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ウォシュレットの悲劇
「人類の進化の過程で、あんな場所にわざわざ水があたることってないでしょ?」
そう話す先生(医師)を前に、目の前にいる10代の患者さんは含み笑いを見せていた。まぁ確かに、笑って良いのか悪いのかよく分からない場面だった気がする。
私は地元の総合病院で医療クラーク(医師事務補助)の仕事をしているのだが、週に1度、超ベテラン先生の診察につく機会がある。ベテランゆえ、とても自由な先生だ。この時もどういった流れだったかは覚えていないが、突然、診察とはまったく関係のないウォシュレットの話になった。
「歳をとって、垂れ流しになったら嫌でしょう?」
畳みかけている……。
そう。この時先生は「ウォシュレットはあまり使わない方がいい」と熱弁していたのだ。ウォシュレットを使い続けることによって、肛門括約筋が緩むのだという。
確かに、何歳であろうと垂れ流しは嫌だ。
ただこの時、2人の少し後ろで話を聞いていた私は、どこか余裕だった。
というのも、私は人生で1度しかウォシュレットを使ったことがない。いや、正確に言うと、そのたった1度の出来事がきっかけで、ウォシュレットを使えない身体になってしまったのだ―――
*
小学3年生の時、急性虫垂炎(盲腸)になった。
はじめての手術はなかなか過酷で、術後、麻酔が切れた私は錯乱したのか、「ぎゃあああ!!」と泣き叫んで傷口のガーゼを自ら引っぺがし、患部を血だらけにするという事件を引き起こしたらしい(覚えていない)。
また、元々高熱を出すと悪夢を見るという体質(?)ゆえ、入院中、小型化した自分の身体がバインダーの穴に挟まれそうになる、といった謎すぎる夢に飛び起き、泣きながら何度もナースコールを押すという多大なる迷惑をかけていた。
まぁ、そんなこんなで退院も間近に迫ったある日。
ちょうど親が付き添っていない時間帯、尿意を催した。
ひとり時間の尿意。とても困った。というのもこの頃、私は極度にトイレに怯えていたのだ。ましてや病院のトイレ。幽霊がいる、という想像しかできない。
けれどこのままだと漏らしてしまう。それは嫌だ。
仕方がなく、私は恐怖におののきながらトイレに向かった。
ただ、人間とは不思議なもので、スッキリすると同時に恐怖心もなくなるものである(自論)。
便器に座ってホッとした私は、ふと右サイドにあった「おしり」マークに目が留まった。この頃はまだ、家庭のトイレにウォシュレット機能は流通していない時代。勝手がよく分からないうえ、水圧ボタンも確か「強」と「弱」の2つだけだった。
ひとりで病院のトイレに行けた!という自尊心も高まって気が大きくなっていた私は、ほんの好奇心でウォシュレットのボタンを押してしまった。「強」で。
次の瞬間、「はぅあっ!!?」と私は盛大に便器から飛び退けた。秘部へと当たった水の威力は、それはそれは強力なものだったのだ。
しかし、便器から飛び退けてしまったことにより、当然ウォシュレットのボタンを止めることができていない。便器の奥から飛び出していた水は、綺麗な弧を描きそのままびちゃちゃちゃちゃ~と壁にまで到達する事態となっていた。
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怒られる!!!!
咄嗟にそう思った私は、そのまま逃げた。
ウォシュレットを止めることも、壁を拭くこともせず、そのまま病室へ逃げ帰って布団を被り震えていた。
どうしよう!バレたらどうしよう!!怒られる!!!
もう、頭のなかはそれしかない。けれど、その不祥事がバレることはなかった。
数時間後、再び同じトイレの個室をそっと覗いてみたが、ウォシュレット機能は停止し、壁には一滴の水分も残っていなかった。恐らく、私の次にトイレを利用した人か、清掃さんが掃除をしてくれたのだろう。あぁ、本当にごめんなさい、ごめんなさい。
*
そんな苦い記憶が、脳裏を過る。あの出来事以来、私はウォシュレットを使っていない。おしりマークのボタンを押すことに、恐怖心が拭えないのだ。
けれどこの時、先生の話を聞いてこれまでの自分が正当化された。いや、もちろん壁に水を当てたまま逃げたことは間違いだっただろう。それでも、あの出来事があったからこそ今がある。少なくとも、将来私が垂れ流しになる危険性は回避されたのだ。多分。
きっとこれからも、私がウォシュレットを使うことはないだろう。
とはいえ、令和の昨今。ウォシュレット機能は一般家庭のトイレにも当たり前にある時代となった。もちろん、私の家にも。
だからだろうか。自宅でトイレへ行くたびに、おしりマークを見て思う。
「今なら押せるかもしれない」、と。
しかし、結局今年もウォシュレットを使う機会はなかった。果たして今後、私があのボタンを押す日はくるのだろうか。
そんな、毒にも薬にもならないことを考えながら迎える、年の瀬なのであった。
【今日の独り言】
さぁ、今回で2024年の週1note更新は無事におわりを迎えました!
この1年、目をとおしてくださったみなさん、本当にありがとうございました!週に1度書くと決めたこのnoteも、読んでくれる人がいるから楽しく続けることができています。そして最後にこんなくだらないエッセイを読ませてしまってごめんなさい!
みなさんお元気で、良いお年をお迎えください。2025年もよろしくお願いします(はぁと)
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