見出し画像

数字の価値は人の価値?

 「今って、かけっこに順位をつけないんですよ」

少し前、職場の人がそう話しているのを聞いて、「へぇ~!」と驚いてしまった。
なんでも、今は幼稚園や保育園の運動会で、かけっこ(徒競走)に順位をつけない園もあるのだという。

「順位をつけると、差別になるみたいで……。よーい、ドン!でみんなが一斉に走ってゴールして、それだけで終わりでした」

自身の子供がこの前運動会だったと語るその人は、笑いながらそう教えてくれた。だけどそれって、見ている側としては面白いのかなぁ……なんて、子供のいない私は単純にそう思ってしまったけれど、最後、その人も「見ごたえないですよね~」とケタケタ笑っていた。

同じ意見だったことに少しホッとしつつ、ぼんやりと考える。「今の世の中、順位をつけることは差別になるのかぁ」と。

 私は子供の時から超絶運動音痴だったため、運動会や体育祭などで順位をつけられることがものすごく嫌だった。それこそ、徒競走ではビリにだけはならないように、懸命に頑張っていたタイプだ。それでも、頑張ったところでいつも順位は後ろから2番目くらい。1位や2位の子が、いつもキラキラして見えていた。
確かに、あの頃から「順位付け」という行為がなければ、私だってもっと気楽に行事ごとを楽しめていたかもしれない。

けれど、結局はそれも私個人の考えにすぎない。なかには1位になることを目指して張り切る子だっていただろうし、ビリになる悔しさから負けず嫌いを発揮する子だっていただろう。そう考えると、順位をつけることが絶対に悪いとも言えない気がするのだ。

ただ、最近は大人や子供関係なく、多くの人が数字に囚われがちの生活を送っているなと感じる。かくいう私も、そのひとりだ。

 私は副業でシナリオライターの仕事をしている。発信や交流目的に、このnoteの他にライター専用アカウントとしてX(旧:Twitter)もやっているのだが、最近のSNSは『数字』が一種のパロメーターになっている。
フォロワー数、リツイート数、いいねの数、インプレッション。Xひとつだけでも、『他人からもらう数字』を気にする人は意外と多い。確かに、ひとつの世界(SNS)でこれだけ『数字』が可視化できる作りになっていれば、『数字=他人から認められた数』のように思えてしまうのも無理はない。『バズる』という言葉は、今の時代の象徴のようにも思える。

とはいえ、私はXの数字は正直あまり気にしていない。フォロワーは何人でもいいし、いいねが少なくて落ち込むこともない。ついでに言うと(これはライター失格かもしれないが)『インプレッション』の意味はよく分かってすらいないのだ。
ただ、Xと違って、この週に1回書いているnoteは別だ。noteに関しては、更新したその瞬間から『スキ』の数をチラチラと覗いてしまう自分がいる。

あぁ、悲しいかな承認欲求……。
そう、この違いは恐らく『承認欲求』なのだろう。きっと私は、自分の文章や意見、感性を認められたい気持ちがあるのだ。だからこうつらつらと書いているエッセイが多くの人に読まれると、やっぱり嬉しいと感じる。反対に、Xに関しては頭のなかに浮かんだことをそのまま垂れ流しているだけゆえ、そこまで気にならないのだろう。

承認欲求は、きっと誰にでもある。だからそこまで悪いものだとは思わない。思わないけれど、数字だけで自分の思いを満たしたり、はかったりするのは危険な行為だ。これはよく聞く言葉だが、数字だけがその人の価値ではないはずだから。それなのに、大人になった今もこうして『数字』に気を囚われてしまうのは、『ビリはダメだ』という思いに翻弄されて生きてきたからだろうか。

幼稚園や小学校の運動会で、どうしてビリになりたくなかったのか。きっとあの頃から私は『ビリ=恥ずかしい』と決めつけていたのだ。ビリはダメ、恥ずかしい、かっこ悪い。誰に教えられるでもなく、そう決めつけていた。だって、周りから称賛されるのは、いつも1位や2位の子だけだったから。1位や2位じゃないと、周りから認められない。そんな捻くれた感情を引きずったまま、大人になってしまった。

 1位は、もちろんすごいしかっこいい。できることなら、私も運動会で1位をとってみたかった。けれど、大人になった今なら分かる。順位をつけるつけない以前に、ビリがダメとかかっこ悪いとか、そういうわけではなのだと。結果がどうであれ、そこまでの過程にもきちんと意味はあるのだと。単純な結果である数字だけに囚われず、自分も周りも認めてあげられるような、そんな柔軟さを持った人間でありたい。

『平等』の定義って、確かに難しい。さまざまな意見の尊重を求められる現代で、運動会の種目に順位付けが無くなるのも仕方のないことだ。
だけど、だからこそ、数字だけで人や物事の価値をはかったり、決めつけたりしないことも大切だと私は思う。

承認欲求を悪いものにしすぎないために、数字に囚われない自分でいよう。


【今日の独り言】
もちろん、全部の幼稚園や保育園で徒競走に順位をつけないわけではないらしい。でも最近、そういった園や学校は多くなってきているみたいですね。
そういえば前職時代、男性スタッフが子供のお遊戯会を観に行ったあと「シンデレラの劇をやってたんだけど、うちの子含めシンデレラが5人いたわ」と話していたことがあった。平等になるように、主役をやりたい子全員にやらせてあげるのがその園のスタイルだったらしい。
シンデレラが5人……時代ですね。

【90/100】

いいなと思ったら応援しよう!