エッセイのコンセプトが決まった
私は毎週月曜日に、noteでエッセイを書いている。ただただ「文章力を上げたい!」という思いで始めたため、特にこれといってコンセプトを決めずにここまで書いてきた。
だけどここまで書いてきたからこそ、定まった思いがある。それは、「読んでくれた人の心が軽やかになる文章を書きたい」ということだ。今回はそのことについて語らせて欲しい。
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基本、私がエッセイで書きたいテーマは「死別(生と死)」「気づき」「ユーモア」の3つだ。
まず、「死別」に関しては、過去にパートナーを亡くした経験から、自分と同じ境遇の人たちが少しでも生きやすくなるように、リアルな死/死別の現状を世の中に届けたい。そんな使命感を勝手に抱いて、これまでも手探りで書いてきた。その思いは今も変わらない。
また、エッセイの勉強をしていくうちに「いいエッセイとは、読者に気づきを与えること」だと学んだ。そのため、自らも過去の体験や経験をモチーフに、気づきや発見に関わるエッセイをいくつか書いてきた。それこそ、堅苦しくならないように、少しのユーモアを織り交ぜて。
だけど正直なところ、どれもしっくりこなかった。なんというか、「私らしくない」のだ。
後悔のないように生きよう!
読者に気づきを!
読んでくれた人に笑いを!
伝えたいことを言語化して並べると、そのとおりではある。そのとおりではあるのでだが、どうしても違和感が否めない。
というのも、私は元々「誰かに気づきを与えたい!」なんて微塵も思ったことがない。どちらかというと、そういった指導者となるようなポジションは苦手だ。こう書くと「なんだこいつ、嫌な奴だな」と思われるかもしれないが、人の上に立ちたいとか、人に何かを教えたいといった欲求が私にはないのだ。
たとえば目の前に、ひとつのホールケーキがあるとしよう。
そのケーキがそこにいる全員に行き渡るように、均等に切るやり方を教えたり、配ったりする立場ではなく、その場にいる全員と「どう切ろうか?」「誰がどのくらい食べようか?」と相談をし合えるような、そういう立ち振舞いをしていたい。
人の上や前に立つことは、どうしても好きになれないし、中心にいて目立ちたいとも思わない。けれど、その場にいる全員で相談をしたとき、何かしらの意見を言えて、且つ他の人の話にも耳を傾けられるような、そんなポジションにいたいのだ。
だからだろうか。「読者に気づきを与えるぞ!」といったエネルギッシュな文章は、書くのも読むのも苦手に思う。それよりも、もっと「その人らしさ」が見えるような、そんな柔らかい文章を紡いでいたい。そのなかでたった一言でも、読んでくれた人の胸に残る言葉を置くことができたなら、それでもう十分だ。
そういった思いを言語化したとき、たどり着いた答えが「軽やかさ」だった。
どんな理由にせよ、生きづらさを抱えている人の心が、ほんの少しでも軽やかになるような、そんなエッセイを私は書きたい。自分の言葉で、自分なりの表現の仕方で、文章を綴っていきたい。そして、言葉を紡いでいる私自身、軽やかな心を持てるようになればいい。
そんな想いを込めて、私はこれからも、自分の文章と向き合っていく。
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