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混沌の先に描きたいもの【往復書簡 vol.3 にもふーより】
みなふーさま
こんにちは。みなふーからお返事をもらってから、いつのまにか1ヶ月近くが経っていました。この1ヶ月で、外はすっかり真夏になりましたね……!
みなふーから前回お返事をもらって、それを読んだのは近所にあるスタバの、2階のテラス席だったのですが、夜風に吹かれながら思わず1人で涙ぐんだことを思い出します。でも、お返事はまたちゃんと書こうと思って(そもそもそういう企画なので当然ですが笑)、そのときには感想を伝えるのを我慢していました。たぶん同じスタバのテラス席に行ったら、毎回あの瞬間のことを思い出しちゃうだろうなぁ、と思います。
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みなふーの言葉は、ふしぎです。いつだって心地よい素敵なリズムで、ふんわり軽やかに伝わってくるのに、その中にはたしかな重力があって、その重力を感じた瞬間に泣きそうになることがときどきあります。みなふーが自分の手のなかで大事にしている信念と、他者に向けられたリスペクトの心が、矛盾なく行ったり来たりしているように感じられます。それが「重力」の正体なんじゃないかなあ、とわたしは想像してます。
朝を「ままならなさ」と捉える発想も、さすがみなふーです!「それだ!」と思いました笑 わたしは、光の面を捉えるのは得意なのですが、陰の面を捉えるのがあまり得意じゃありません。これまでの生き方として、きっとあえて「陰を気にしないようにする」ことで、自分にとって生きやすい道をつくろうとしてきたんだと思います。それは自分を陰から守るための工夫であり、光を見逃さないようにするための工夫でした。
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でも最近はすこしずつ、生活のなかに「陰」がおとずれることも多くなりました。これは悪い変化ではなくて、それだけ他人の多面性と付き合うことが多くなったり、自分の深い部分と向き合うことが増えたからです。
山や空を動かすことはできないのと同じに、自分の身体も心も、簡単に支配できてしまうような小さなものではないのではないでしょうか。
でもそこには自分自身が思っているより豊かな土地もあって、種を蒔けば芽が出るし、水やりをしていれば勝手になにか実ることもある。ちょっとした働きかけにも応えてくれたりすることがあるから面白いです。舌にも鼻にも感受性があって、トーストの四方に切れ込みを入れるだけでうんと幸福な香ばしさを受け取ることができる。
みなふーが、お手紙のなかでこんなことを綴っていました。これを読んだとき、とっても救われた気持ちになったことを覚えています。今でもたまに、この一節を読み返しては、勝手におまもり代わりにしています。
Quu&Fuuで伝えたい「工夫」とは一体どんなものなのか、みなふーのおかげで理解がさらに深まりました。メディアをやっていてたのしいなあと思うのは、それまで自分の中にあったふんわりとした概念が、こうしてアップデートされて強くなった姿で、自分のもとへ帰ってきてくれることです。みなふーをはじめ、みんなで工夫について考えて言語化した概念が、そのままわたしの自信になる。もしかしたらわたしの自信は、みんなに依存しているところがあるかもしれないけれど、Quu&Fuuはいわば自信の化身であり、祈りのようなものなのかもしれないなと思いました。
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そういえば、Quu&Fuuのやわらかい空気感を作り出しているにもふー編集長の絵。とてもスタイルがある素敵なイラストだなぁといつも思っているのですが、絵柄ってどうやって確立していったんですか? 素朴な疑問です。
そういえば、みなふーからこんな質問をいただいていました!
う〜〜ん、なんですかね。。。わたし自身、あんまり自分の絵柄をよく認識できていません笑 自分を客観視するのが苦手なので、いつも自分のことをうまく説明できないんです。
でも、あえて考えてみるならば、わたしは「色を重ねる」ことが好きです。部屋が臭くなるので普段あまりやらないですが、ほんとうは油絵を描くのが一番すき。そんなに描いた回数は多くないですが、高校の美術の授業のときに先生から教わった「ほんとうに塗りたい色とは遠い色を一番下に敷く」という油絵ならではの技法に、おもしろさを感じたんです。たとえば、表面はブルーっぽい色味なのに、立体感を出すために、あえてその下には黄色や赤が塗られていたりします。そういう、一見ゴールとは矛盾しているのに、プロセスがぐねぐねしている絵の描き方がだいすきです。デジタルでイラストを描くときも、あえてまったく違う色を重ねることで曖昧な雰囲気を出しているのは、そういうところから来ています。
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人間もおなじで、表面に見えている色がその人のすべてだとは限りません。その奥には、実はもっと違う色が重なっていて、その色に気づいた瞬間にもっとその人のことが好きになったりもする。そういう人間らしさも、油絵では表現できるなあと思っています。上に載せた絵は、わたしが就活で悩んでいるときに、息抜きがてら描いた絵です。全体的に暗いのですが、一部には光があったりもするし、ファンタジーな世界に飛び込みたい!という自分の願望も表れているような…そんな絵ですかね。。。
単純じゃなくて、奥行きがあって、曖昧な絵が好きなので、その感じは残しつつも、仕上がりはどこかポップだったり柔らかかったりする。自分で自分の絵の話をするのはすこし恥ずかしいですけれど、自分で言語化してみるならば、そんな感じでしょうか。きっとそれは、わたし自身がそういう生き方をしたい、という気持ちの表れでもあるような気がします。道のりは混沌としているけれど、いつだって向かいたい先は、たのしくてあったかい未来。
そう考えると「日々のままならなさに対して、工夫で立ち向かう」というQuu&Fuuの姿勢は、まさにわたしの理想を体現しているんだなぁ、と。。。なんだかつながっちゃいました!
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つらつらと書いていたら、けっこうな文章量になっていました。ここまで読んでくれて、ありがとうございます。
絵は1人で描いてきたけれど、Quu&Fuuはみんなで色を重ね合えるなあ、ということに気づきました。きっとその過程で、見たことのない景色をたくさん見られるだろうなあとワクワクしています。そうして重なり合った色によって浮かび上がった作品は、どんな表情をしているのか。たのしみです。
それでは、またみなふーにお手紙のバトンを回します。
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最後に、夏らしい質問をさせてください!好きなアイスはなんですか?
にもふー
〈 Quu&Fuuの往復書簡 〉
『Quu&Fuu』編集長のにもふーと副編集長のみなふーが、日々の活動をとおして感じたことや考えていることについて、note上でゆるやかにやりとりを交わします。不定期更新。