ままならさを囲むこと 【往復書簡 vol.2 みなふーより】
新幹線の中で、編集長・にもふーへの最初のお手紙を書いています。
夏の前のしっとりシーズンが私っぽいという、にもふーの言葉……たしかに私はちょっと湿った性質をしているかもしれないです。カラっとしていたいのだけど。
にもふーさんは、風が強くない春の日とか秋の陽だまりが似合う人だなと思いながら、この数ヶ月ご一緒させてもらってます。
「みなふーは、この活動を始めてから、生活の中でなにか変わったことはありますか?」という質問がありました。そうですね、最近は朝の中にストーリーがある感じがします。これまでは「今日はどんな1日だろう」と考えることはあっても、「どんな朝だろう」と考えることはあまりなかったのですが、いまは朝にも起承転結があるような。
朝って漠然と明るいイメージがあるけれど、実はそこにはたくさんの困難がありますよね。起きられない、時間がない、食欲がない、テンションが上がらない。それはとても自然なことだし、なかなか完璧にコントロールできる種類のものではないと思います。朝はもしかしたら「ままならなさ」の象徴であるかもしれないと気づきました。
そこにどう対峙していくかというアイデアが工夫の正体ですね。少しでも楽になるように考えるのも、楽しむのも、受け流すのも、逃げるのも工夫。朝はままならない部分があるからこそ、生活の工夫が生まれやすい時間なのだと実感してます。
「頑張れば全て乗り越えられるはずだ」という考え方が苦手です。その強さはいつしか他人に向けられ、どんどん酸素の薄い社会になっていくのではないかという恐怖もある。山や空を動かすことはできないのと同じに、自分の身体も心も、簡単に支配できてしまうような小さなものではないのではないでしょうか。
でもそこには自分自身が思っているより豊かな土地もあって、種を蒔けば芽が出るし、水やりをしていれば勝手になにか実ることもある。ちょっとした働きかけにも応えてくれたりすることがあるから面白いです。舌にも鼻にも感受性があって、トーストの四方に切れ込みを入れるだけでうんと幸福な香ばしさを受け取ることができる。
ままならなさもうれしさも分けあって、完璧じゃなくてもなんとか一緒に生きていくことのできる場所を作れたらこんなに嬉しいことはないです。
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幼いころ学校が嫌いだったという、にもふー。困難を感じながらも、クリエイティブなパワーで生活を切り開いてきたんですね。だからこそにもふー編集長からは能天気な明るさではなくて、自分で沸かしたお風呂のような自家製のあたたかさを感じるのかもしれません。あったか〜いです。
そういえば、Quu&Fuuのやわらかい空気感を作り出しているにもふー編集長の絵。とてもスタイルがある素敵なイラストだなぁといつも思っているのですが、絵柄ってどうやって確立していったんですか? 素朴な疑問です。
誠実なにもふーさんがいつか「利益や数字」と「伝えたいこと」の間で葛藤する日が来るのではないかと思っていたんですが、そのタイミングはQuu&Fuuを立ち上げて即、訪れましたね。
そのときに、にもふーの先輩であるいけふーが「にもふーのやりたいことを守りたい」と言っていたのが印象的でした。にもふーが数字を考えなくて済むようにもうひとつ別のメディアを立ち上げることすら厭わないとも。メディアを守るためにメディアを作るという大胆な作戦。すんごい先輩!
編集部に魅力的なメンバーがどんどん集まってきていますね。読者の皆様からのあたたかい反応も届いています。とてもとてもありがたいことに、すごくいい感じ。
感じながら立ち止まりながら、大切にしたいことを確かめ合ってこれからQuu&Fuuというカゴを編んでいきたいですね。定番のものから珍しいものまでいろんなフルーツを入れておけるような、手仕事感のあるカゴ……。
またお手紙お待ちしてます。
みなふー