猫がいるカフェ2話−1
――じゃあさ、俺んとこで働けば?
――俺は本人のやりたいことと、カフェを融合させて新たな形で夢を叶える近道を作れたらいいなって思ってるんだ。
先ほど言われた言葉を反芻する。寒さを忘れ床に座り込む。ベッドを背もたれがわりにして、頭を凭れさせながら天井の模様をぼうっと見つめる。頭ではずっと別のことを考えていた。辞める決断力があるならとっくに俺は辞めている。じゃあ変わらず今のままでいるのか。このままだと二週間の内に俺は更に劣悪な環境へと身を置くことになるんだぞ。スッゲェ嫌。もう明日からでも仕事に行きたくない。これは毎日思っていることだけれど。
「あー…そういえばここに入れてたっけ?」
ベッド下の空きスペースにブリキ製の缶を収納ボックス替わりに置いている。その中には特に必要性はないが捨てるに捨てれなかった思い出の品物が入れられている。実家を出るときに一緒に持ってきたものだった。
「あ、あった。」
そこから取り出したのは、俺が昔から書き綴っていた小説たち。宿題用として親に買ってもらったノートだったが、それに使用されることはなく、俺の創った物語が何冊にもわたって汚い字で書かれている。このボックスに十年近く閉じ込められていたので、表紙が少しカビている。表紙に書いた汚い字。懐かしいなぁ。今でも書いた光景を鮮明に思い出せる。
これを取り出したのも、決意を再確認するためであった。
諦めた夢、とか気取った風に言っちゃったけど拙いこの作品たちを捨てることもせず、実家にも置かずに手元に持っているということは結局未練たらたらなのだ。
パラパラと捲り、目についた箇所を部分ごとに読んでいく。そういやこんな話だったな。当時の俺はジャンルで言うとファンタジーを好んでいたので、自然と書く小説もファンタジーものが多い。そうそう、こいつが本当は悪いやつで主人公を貶めているんだよな。いや、モロにバレてるって。うわ、ここの漢字間違ってるし。しかもここで終わるのかよ、オチないじゃん。
「・・・。」
あの頃は滅茶苦茶に面白いもん書けた、と思っていたし俺はこんなに書けて天才だ、とか何とか思っていた。でもまぁそれは幻影に過ぎないのだけれど。見返すとおかしいところだらけ。だけどそれは反対に、純粋に書きたいという気持ちだけを持っていたからこそこんなに楽しく書けたのだろう。進路を決めなきゃいけない高校三年にもなる頃には、昔よりも見える世界が広くなっていた。ということは勿論、世の中には俺よりも凄い人=天才がごろっといることを知ってしまったのだ。読み手を考え過ぎて、誰かの作品と比べ過ぎて、評価というものを考え過ぎるようになっていた。もうこの頃には俺の創る物語の価値が分からなくなり筆を置いたのだった。
純粋な気持ちで書き綴られたこの物語は破茶滅茶だ。だけど、不思議と読み終わる頃には感情が高揚していることに気づく。
嗚呼そうか。単純なことだったんだ。物語を創るのは面白い。自分の『面白い』を信じればいい。それだけでいいのかもしれない。年齢はただの数に過ぎないと誰かが言っていた。今からでも遅くはないだろう。
*
現在午後十八時、猫がいるカフェ本日の営業終了。暗くなった店内はカウンターのみ照明が付いている。BGMも消した店内はしんと静まっており昼間の賑わいと対照的である。閉店したこの時間帯は猫たちのご飯時間でもあり、カウンター近くの定位置で三匹ともお行儀良くならんでご飯をカリカリと咀嚼音を出しながら美味しそうに食べている。
「っはぁ~…、やっと終わった。モモちゃんお疲れ。」
「ナツメさんもお疲れ様ですぅ…。はぁ今日はなんだかいつもより忙しい気がしました。祝日でもないんすけどね…。なんでだろ。」
「そうだなぁ…。まぁ、とりあえず今日も何事もなく終えてよかった。レジミスも無いし。」
「ホントそれっす。俺計算苦手だからマジでミスってなくて良かった。あっ、そういえば、昼間に来てた人ナツメさんの知り合いっすか?」
「えっ、あぁ…う~ん、知り合いっていうか…いや、やっぱモモちゃんにはまだ秘密だな、うふふっ。」
「なんすかそれ、気持ち悪い。」
「おい、お前先輩に向かって今気持ち悪いって――」
「はいはい二人ともお疲れ~。今日、常連の山田さんから差し入れのケーキ頂いたぞ。」
俺とモモちゃん――百瀬庵、この職場の一番若いスタッフ――の二人で閉店業務を終え、レジ内カウンターで一息つくと、奥からアオイさんがエプロンを外しながら出てくる。その片手には白い紙袋を持っていてそれが差し入れらしいことは明白だった。モモちゃんは後でシメる。
「アオイさんお疲れ様です。山田さんから毎回頂いてて申し訳ないっすね。」
「やったー!ってこれ、あの駅前にできたとこじゃないっすか。」
「なんだ知ってんのか?」
「知ってるも何も、毎日行列できてるとこですよ!うわぁ食べてみたかったんだよな。」
「モモちゃん、甘いの好きだもんな。」
「はいっ!」
ケーキの入った紙袋をモモちゃんが受け取り、先程までの疲れ切った表情を一変させ、目を輝かせながら中からケーキを取り出している。どれにしよっかな、なんて言いながら。ほんと、甘いものが好きだよな。アオイさんはがっついているモモちゃんに『俺の分も残してくれよ。それと、今度山田さんにあったらお礼言うんだぞ。』と言っているが、『はーい。』という軽い返事に本当に聞いているかどうかはわからない。それを横目に俺はずっと気になっていたことをアオイさんに聞く。
「あの、アオイさん。」
「…大崎くんのことだろ?」
「!なんでっ…。」
「お前分かりやす過ぎんだから。俺が話してた時、お前ずっとこっちみてただろ。しかもその後もチラチラ俺の方ばっか見てたし。てか、ちゃんと仕事しろよ。」
「仕事はちゃんとしてますよ!それより、あの時、来月からでも働けるって言ってたのはどういうことですか?」
というか、くん呼びも気になるけど一々聞いてると埒があかないのでこの件は後で問い詰めることにする。
「えっ?なになに?新しい人でも入るんですか?」
「モモちゃんは今黙ってて。それで?」
「俺の扱い酷くないっすか。てか、早く選ばないとナツメさんの分まで食べちゃいますよぉ。」
口を挟むモモちゃんに、俺は苺が乗ったシンプルなショートケーキをすかさず取って、離れた場所に置いた。『やっぱナツメさんも食いたかったんじゃん。』なんて声は無視をして。視線だけでアオイさんに話の続きを促す。それに気がついたアオイさんは言いたくなさそうに頬を掻きながら口を開いた。
「あ~…。まあ、踏ん切りがついたんだとさ。そんでやりたいことを決意したっつってたから誘ってみたんだよ。お前の時と同じ。あと、うちも有難いことに繁盛してきてるから人雇おうっていう意味も込めてな。」
「…へぇ。」
「お前聞いてきたのになんだその返事。」
アオイさんが何か文句を言っているが、聞きたかったことを聞けて用がなくなったので無視を決める。
やりたいことか…。俺は今まで大崎さんのことを一方的に見てきただけで知らないことだらけだ。実際に話してから日が浅いので当たり前だけど。大崎さんは何をやりたいのだろうか。やっと認識してもらえて、友人(という名ばかり)の枠に入ることができたのに、連絡が取れないもどかしさ。こんなことになるならあの時、無理にでも聞くべきだった。
彼は損得よりも、困っている人に手を差し伸べることができる器の大きい人だ。俺もその助けられた中の一人なんだけど。そんな彼だからこそ現職を辞めてウチに入ってくれるなんて想像もつかないや。あ、でも大崎さんがウチのエプロンを着用してコーヒーを淹れる姿を想像すると…、んふふ、良い。
そう考えている時だった。
――ピコンっ♪
アオイさんのメッセージアプリの通知オンが鳴る。まぁ、どうせまた出会い系のアプリで知り合った人だろう、なんて特に気にもせず、俺はとっておいたショートケーキを食べることにした。近くで見ると甘い香りが鼻腔を刺激する。お、苺おっきい。美味しそうだなぁ。山田さんありがとうございます。
因みに何故出会い系かと決めつけるのか、それはちゃんと理由がある。アオイさんの口癖は『パートナーが欲しい』『恋愛がしたい』『キュンキュンしたい』で、出会い系アプリのヘビーユーザーと言っても過言ではないだろう。しかし、付き合ったかと思えばすぐに別れているのだ。長続きしない。俺とは恋愛に対する価値観が違うので、そういう彼を見ては呆れているってことはここだけの話にしてほしい。
美味しくてペロリと食べてしまったが、まだまだケーキは余っているようなので、俺はモモちゃんからケーキ争奪しようか、そう思った時だった。スマホを見ていたアオイさんが急に顔をあげた。
「お!噂をすれば、だな。大崎くんからメッセージ来たぞ。」
「――はっ?!」
アオイさんの口から出てきた思わぬ人物に驚く。それよりも何故彼が連絡先を持っているんだ?
「なんだよ。すごい顔だぞお前。」
「いやいやいやいや?なんでしれっと連絡先交換してんですかっ!」
「あぁ…そういうこと。んふふ、羨ましいだろ。教えんぞプライバシーに関わるからな。自分で聞けよ。」
「当たり前ですよ!ったく、俺が最初に大崎さんと出会ったっていうのに…。」
「わざと社員証抜き取った悪徳出会いだろ?」
「人聞き悪い言い方やめてください。」
「あれは良くないだろ。真正面から堂々と――」
「ほんとは五年前に会ってますよっ!」
「えっ?」
しまった、と思った時には既に遅し。秘密にしていたことを洩らしてしまった。慌てて取り繕う。
「ン゛ンっ…まぁ教えないですけど。で?なんてメッセージ来たんですか?」
「どうせ碌でもない話だから聞かねぇよ。えっと、」
碌でもなくは無い。まあこのことは俺の大切な思い出だから誰にも言わないけど。そういうとアオイさんはメッセージを確認する。短い文章なのだろう。すぐに俺に向き直りニヤニヤした気持ち悪い笑顔を見せてきた。なんだよ。
「ふふーん。皆さんに朗報です。」
「はんふぇすか。」
「モモちゃん食べながら喋らない。」
「ふぁい。」
「大崎くん、近いうちにウチくるってよ。」
*
――お疲れ様です、大崎です。先程は引き留めてしまいすみませんでした。もう一度ちゃんと時間をいただいてお話ししたいのですが、空いている日はありますか。
「おかしくないよ、な。」
打ち込んでは消してを繰り返しながら、文章を三回ほど読み直し以上が出来上がった。俺の右親指を彷徨わせながら、ええいままよと送信ボタンを押してその勢いのままスマホをベッドへ放り投げた。先程と何ら変わらぬ体勢に俺のケツが悲鳴をあげていた。しかも寒い。一つ任務をこなし幾分気持ちが軽くなったので、そのまま重い腰をあげて風呂へと向かった。
賃貸アパートの大して広くない湯船に膝を曲げて浸かりながら、ぼーっとする。肩まで浸かりたいがそうすると膝が出るので、交互に体勢を変えるが結局膝を出すことにした。ふぅっと一息吐く。
逃げ道を断たない限り俺は絶対に行動に移せないと思ったので、会社に伝える前に思い切って先ほどの文章を送ったのだが…。
「明日、言うしかないよな…。」
そう考えると気分が重くなる。簡単な事ほど難しいものだ。世の中そういう事だらけだよな。
辞めることは決めていても、実のところあのカフェに就職するつもりでもないのだ。ありがたいお言葉だし、彼らの仕事振りを少し見ただけで分かる人柄の良さ…アオイさんは少々苦手だが、それは今置いといて。『ありがとうございます、じゃあ働かせてください。』なんてどうも現金すぎると思っているからである。そんな素敵な人たちが頑張って働いているのにこんな中途半端な俺がのこのこと簡単に入っていくのはいくらなんでも失礼だろう。
ちゃんと定時で帰れて休みもしっかり取れる仕事に自分の実力で転職して、一度諦めた夢の再スタートをするぞと心に決めたのだ。だからといってありがたいお言葉を無碍にすることもできず、あくまで候補先の一つとして、ちゃんと時間を取ってお話を聞きたかったのでメッセージを送ったのだった。
*
大崎さんがウチのカフェに来たのは、メッセージが来てから実に一週間を過ぎた頃だった。その日は、閉店時間三十分前を切ったところだったと思う。
――チリン♪
入店を知らせるドアベルが軽快に鳴る。同時に冷たい空気が店内に入り温度を下げる。この時、何故か直感的にこれから良いことが起こりそうだと、別の意味で身震いした。
「いらっしゃいませ…って大崎さん!」
「佐々木くん、お久しぶり。」
「お久しぶりです。もしかして今日って…。」
「ああ、白川さんとお話しがあってさ。ごめんね閉店間際で忙しいのに…。」
「いえ、大丈夫ですよ。今日はもうお客様もいないですし。アオイさん呼んできますね。」
「お願いします。」
初めて来た時と同じようにどこか気まずそうな佇まいだが、その身なりはスーツを着用しており、その上からダウンコートとそしてタータンチェックのマフラーを着用している。もうすぐ一月も終えるこの日、大崎さんは耳と鼻が赤くなっていて外がいかに寒いか目に見えてわかる。というか、鼻まで赤い大崎さん、可愛い。
「ナツメさん、顔気持ち悪いですよ。」
「えっ?」
一緒にカウンター内で閉店作業していたモモちゃんに指摘される。どうやら大崎さんを見て鼻の下を伸ばしているところを見られていたらしい。慌てて表情筋を引き締める。
バックヤードのパソコンで事務作業していたアオイさんに、大崎さんが来ていることを伝える。どうやらいつものように店の経営関連の処理でうんうんと唸って頭を抱えていたらしく、ふわふわのセットされたいつものヘアスタイルがボサボサになっていた。デスクには数字と文字が書かれた書類たちが乱雑に広がっており、横には空の栄養ドリンクが鎮座している。デスク横にはコーヒー以外にも経営に関する沢山の専門書が並べられていて、ここはこの店のバックヤードというよりも、もはやアオイさんの城と化している。しかも全て熟読しているから、どの本からも付箋が顔を覗かせている。本当この人見かけによらず…なんだよな。チャラついているかと思えば、こんな一面もあるから俺がついて行こうって思ったわけだし。大崎さんは今でこそアオイさんに対して良い印象持ってなさそうだけど、こんな一面見たら、もしかすると――。嫌な想像に胸が苦しくなり頭を振って思考を追い出した。
俺が声をかけると、時計をチラリと見てハッと表情を変えた。
「あぁ、もうこんな時間か。今行くわ。」
席から立ち上がり、そのままの状態で表に出ようとするので引き留める。
「せめて髪の毛直してください。」
「ん?…ああ、ありがと。」
俺の一言に何のことかと一瞬眉を寄せたが、すぐに気づいたらしく手櫛で簡単に直し、俺より先にバックヤードから出ていった。俺も慌ててその後ろについて行く。
*
暖かい店内に、巻いていたマフラーを外す。アオイさん呼んでくる、と言って裏の方へ消えていった佐々木くん。俺ともう一人の若いスタッフ二人きりになる。店内は閉店時間間際ということもあってかBGMが消えており、シーンと静まりかえっている。気まずい。何か話さないと。
「あ、あの…俺、大崎恭介っていいます。すみません、急に押し掛けてしまって。」
俺が唐突に彼に話しかけると、作業中だった彼は手を止めて俺と視線を合わせる。すると人の良さそうな笑顔を見せた。
「あっ、いいですよ全然。すんません、俺も挨拶まだでしたね。大崎さん、俺は百瀬庵です。みんなからモモちゃんって呼ばれてるんで、そう呼んじゃってください。」
「モモちゃん…さん?」
「いや、さん付けも敬語も無しで!多分ナツメさんよりも上ですよね?俺は二十三なんでタメで話してちゃってください。」
営業中の時よりも砕けた話口調にどことなく佐々木くんを思い出す。砕けていると言っても、チャラついた感じはなくて、どことなく後輩のような話し易さ。
「あ、あぁ。じゃあそうしようかな。モモちゃん改めてよろしく。」
「はい!…それはそうと大崎さん!」
「っはい?!」
先ほどと打って変わって、少し興奮気味にカウンターから身を乗り出したモモちゃんは何やら不思議な質問を投げかけてくる。
「ナツメさんと一体どのようなご関係なんですか?」
その表情は少し性悪な笑みを浮かべていて、何か探りを入れられているようだ。
「んん?どんな関係って、友人だよ。まだ会って日は浅いけど…。」
というか友人って言っちゃったけど、いいんだよな。まだ口約束でしかないから烏滸がましくなかったか?
すると何故か、モモちゃんは虚をつかれたかのように驚いている。あぁそうかと一人でに納得したように呟くと俺にも聞こえる声量で一言。
「これは長期戦になりそうですね。」
「?」
*
アオイさんは表に出ると、カウンターから出て、すぐに大崎さんの元へと近付いて行った。近いその距離に一歩だけ下がる大崎さんを見る。アオイさんは尊敬しているが、大崎さんが絡むと途端に嫉妬に駆られてしまう。俺はカウンター内に居て、その距離にもどかしさを感じる。俺ももっと話したいのに。重い気持ちのまま閉店業務の続きを開始する。耳は常に二人に向けながら。
「大崎くん、お久しぶり。」
「すみません、お時間いただいて。」
「いいよいいよ、そんな畏まんなくて。お店の営業時間終わるまで少し待っててくんね?」
「はい。もちろんです。」
「あ、そうだ。俺この前サービスできなったからさ、好きなの頼んでってよ。」
「えぇ、そんな、いいですよ。全然。」
「いいのいいの。コーヒー好きだって言ってたよね。」
「えぇ、でも…。」
「大崎さん!」
「!」
「アオイさんがいいって言ってるので、お言葉に甘えちゃってください。」
「お前なぁ…。」
遠慮する大崎さんに、俺もカウンター越しに話に加わる。大崎さんは謙遜ばっかする人だからな。押しに弱いことはリサーチ済みだ。
「…じゃあ、お言葉に甘えて、いただきます。」
ほら。
大崎さんはそう言うと、カウンターに近づきメニュー表を見るも、すぐに俺の方へ向く。どうしたものかと俺も目を合わせる。
「以前いただいたのも美味しかったんだけど、他にもオススメあるかな?」
多分、お店のメニュー名がどういうものか想像しにくかったのだろう。これは改善しなきゃいけないな。少し眉を下げて問いかける上目遣いのその可愛い仕草に緩みそうになる表情筋をグッと絞めて、いつも通りの俺を演じる。
「お口にあって何よりです。えーっと…じゃあこれはいかがですか。」
「ジンジャーラテ?生姜?」
「はい。寒い中、体冷えましたよね。だからあったまる飲み物はどうかなって。」
「俺ジンジャーとコーヒーって飲んだことないや。」
「お、そうなんですね。ジンジャーラテは、コーヒーの味や香りはそのままなんですけど、後味にスパイシーな生姜の風味がきて体も温まるので、今の季節ぴったりですよ。」
「へぇ、気になるかも…。」
「美味しいのでぜひオススメです。はちみつも加えると甘くて飲み易いですよ。」
俺のおすすめに、好奇心を擽られたようで目を輝かせている。俺の話を聞き終わるとすぐに『それでお願いします。』と注文を受ける。幼い子のようなそれにクスリと笑う。
「畏まりました。」
「じゃあまた閉店まで俺、裏に篭ってるから。何かあったら呼んでくれ。」
「「はーい。」」
「あっ、白川さんご馳走様です、ありがとうございます。」
「良いよ。ゆっくりしてって。」
アオイさんは一連の様子を見ると微笑ましそうに、バックヤードへと戻っていった。
大崎さんに、出来上がったら席までお持ちすると案内したが、俺の作っている工程をどうしても見たいと言われそのままカウンターで待ってもらうことにした。作業工程は毎日のように見られるのでもう慣れてしまったが、相手が大崎さんだと認識すると途端に緊張する。五年間もずっと追いかけてきた相手が目の前にいるんだ。緊張しないわけないだろう。震える手がバレていないか不安になりながらも、いつも通りを意識してドリップしていく。
「大崎さんお待たせいたしました。」
「うわぁ…やっぱすごい。しかも美味しそう。」
カウンター越しに目を輝かせている大崎さん。五年前の俺からしたら想像もつかないだろうな。俺はやっとここまで来れたのだ。まだまだ目標には届いていないが、やっと大崎さんと対等に話せるようになった。それだけでも十分に嬉しいはずなのに、もっと足りないと、どうしても欲が出てきてしまう。その欲に蓋をするかのように、カップの蓋を被せた。
大崎さんが、以前も座った窓側の席をご所望された。片手にマフラーを持っていたため、俺は少しでもしゃべる時間を作る口実に、席までお持ちしますよと案内しようとした時だった。
「あっ!もしかしてこの子達が!」
視線の先には、ご飯を食べ終えて毛繕い中の猫たち。
各々、等間隔で店内のソファに転がっている。メイちゃんだけは以前のように窓側の席でニャルソック中だけど。
「あぁそっか、まだこの二匹には会ってなかったですよね。」
カウンターから近いテーブル席のソファに、陰になるように座っていたのでどうやら今まで気づかなかったようだ。大崎さんから一番近いソファに寝転んで手を舐めている白と茶トラ柄が混ざった子。
「この子がチロ君です。で、あっちにいるのがアンズちゃん。」
「うわあ、チロ君、実際に見ると大きいね。」
「んふふ、そうなんです、ぽっちゃりさんだもんね、チロ君。」
――!
大崎さんが徐にチロに近づくと、その気配に気付いたチロが驚きビュンと走って店の奥へと消えていった。
「あぁ、ごめんね…。」
「チロ君は少し警戒心が強い子なんです。とっても優しい子なので沢山会いにきて仲良くなってください。」
「うん、そうする。…もしやアンズちゃんも?」
一つ隣のソファで寝転んでいた三毛猫のアンズ。先程こちらのやり取りを見てから、警戒してしまったようで、寝転んでいた姿勢から尻尾巻き座りに変えて、瞬きもせずこちらをじーっと見ている。それに気付いた大崎さんはこの子も警戒心が強い子だと勘付いたようだ。
「そうなんです。しかも、アンズが一番気難しい子なんです…。俺らの誰にも懐いてくれなくて…。」
「あぁ…やっぱりな。」
「え?」
「うちも昔飼ってた子が三毛猫だったんだけど、三毛猫って好き嫌いがはっきりしてるって言われてるからさ。実際にうちの子も、俺以外には懐かなかったんだよ。」
そう言う大崎さんはアンズをみている様でどこか想いを馳せるように遠い目をしていた。俺もこの先のアンズとの関わりを想像し、道程は長いのかもしれないとため息を一つ吐いた。地道にだよね…。
大崎さんはチロ君の時と同様にアンズにゆっくりと近づくと右手の人差し指を差し出した。もしかしたら猫パンチされるかもしれないと告げようとした時だった。あの誰にも懐かないツンとしたアンズが大崎さんの指に鼻を近づけたのだ。
「おっ。」
「す、すごい!誰にも近づいてくれないのに。」
「初めまして、アンズちゃん。大崎っていいます。」
――クンクンッ
優しい表情でアンズを見つめる大崎さんの横顔を眺める。本当に猫好きなんだと、言われなくても体現している。メイの時と同様にアンズにも挨拶を済ませて頃合いを図って、するりと頭を撫でようとした時だった。
――パシッ
アンズは大崎さんの手を叩いて、チロと同じく奥の方へ走って行った。どうやら頭を触らせるのはダメだったらしい。
「あぁ…またやっちゃった、ごめん…。」
「匂い嗅いだのは大崎さんが初めてですよ!すごいです、あっ!怪我はないですか?」
「うん血は出てないから大丈夫だ。ありがとう。」
猫マスターの大崎さんは、そのあと窓側の席でメイちゃんと戯れ、ジンジャーラテを飲み美味しいとの称賛の嵐受ける。本当はこのまま隣でお話をしたいのだが、流石にモモちゃんに任せきりは良くないので、『仕事に戻ります。』と告げてカウンターへと戻った。
仕事に戻ると、モモちゃんが気を利かせてくれたようで、閉店業務は殆ど終わっていた。
「モモちゃんごめん、閉店業務ありがとう。」
「良いですよ。だって、折角の逢瀬なんですから。しかも長期戦になりそうっすね。」
どうやらモモちゃんには勘づかれていたらしい。ニヤニヤしながら、小さな声で告げられる。
「やっぱ、そう思う?」
「はい。さっき大崎さんにナツメさんとの関係聞いたら迷わず友人って言ってましたよ。…まっ、セイゼイガンバッテクダサイ。」
「はぁ…。ていうか、モモちゃん応援してくれんの?」
思わず頭を抱える。どうやら第三者から見ても、大崎さんとの恋仲になるまでの道のりはまだまだらしい。
「そりゃあもちろん。ナツメさんが誰かとくっ付けば、必然的に俺がモテるようになるんで。それ狙いっす。」
「なんだそれ。モモちゃんは残念なイケメンだから無理d――イテッ。」
ノールックで脇腹を小突かれた。まぁ、自慢ではないが言い寄られることはある。でも俺は本命から来てくれなきゃ意味ないんだけど。