猫がいるカフェ(1話 - 3)
一話<其の三>
自宅に着くとすぐにうどん用の湯を沸かす。そういえば一連の出来事で腹が減っていたことを忘れていた。うどんに乗せるちょっとした具材(ネギや天かす等)は買っていたが、おかずはなかったので、佐々木からの頂き物は大変ありがたい。小ぶりのタッパー開けてみる。
「うわっ、美味そう。」
思わず声に出た。それぞれ中身は、小松菜のナムルとナスの煮浸し、そして煮卵が入っていた。いかにもうどんに合いそうなおかずばかりで生唾を飲み込む。よし、それぞれ少量ずつ小皿に装うか。一人暮らしの際に購入した小さな木製ローテーブルに、おかずが乗った小皿と冷蔵庫に入っていた缶ビール――まだ飲めそうだった――を置く。キッチンへ戻ると丁度お湯が沸騰していたので、慌てて冷凍うどんを投入した。
時刻は二十二時半頃。佐々木くんから頂いたおかずのおかげで豪華な年越しうどんを食べることができた。全て程よい塩加減で俺好みの味付けで舌鼓を打つ。これお店出せるんじゃないかなんて思ったが、そういやお店でフード担当しているんだったと納得する。食事を済ませ気分も腹も満たした俺は持ち帰ってきた仕事をする気になれず、先ほどから流していたテレビをぼーっと見ていた。なんか楽しい番組ないかな、とチャンネルを変える。変えた先のチャンネルでは年越しを目前として大盛り上がりの歌番組をやってる。丁度、今年流行した曲をアーティストが歌っていた。歌手や芸能事情に疎い俺でも街中で耳にするのでなんとなく分かる。こんな人が歌っていたのか。なんてあられも無い考えでまた、ぼーっと流し見る。ふと、ローテーブルに置いていたスマホが通知をお知らせして画面が点灯する。取り敢えず開くと、登録している通販サイトの新年キャンペーン告知の内容。そうだ、開いたついでにあのカフェを調べてみようか。
【猫がいるカフェ 東京】
検索ボタンを押すと、一番上にホームページが出てきたのでそれを開く。お、結構しっかり作り込まれている。ホームページのヘッダーに名刺と同じお店のロゴがデザインされていたので、ここで間違い無いだろう。<営業日><お店紹介><ブログ><アクセス>などカテゴライズさてれおり順序よく読む。特に、お店紹介ではスタッフと猫たちの紹介とお店の成り立ちが書かれており、存外ちゃんとしてるんだなと失礼ながらに思ってしまった。本人たちがああだから仕方ないよな。店内の写真もあり、昔ながらの喫茶店のような内装で置かれいている雑貨などもどこか懐かしさを感じさせる。面白そうだ。一月、休みができたら行ってみるか。
床に座って背もたれにしていたベッドに体を預けると、テレビの横に置いてある時計に目がいく。二十三時半。うわ、もうこんな時間か。風呂入るの面倒臭い。でも今年の汚れはこの年のうちに、ってどこかで聞いたことあるフレーズが頭に流れてくる。これは俺に当てはまるな。そして渋々重い腰を持ち上げた。
休みは意外と早く訪れることとなる。
年が明け誕生日と共に仕事が始まると、三十歳という節目を味わう暇もなく怒涛の日々を過ごしていた。今日はキリよく昼休憩前に仕事がひと段落ついたので珍しく社内に併設された売店で弁当を買って自分のデスクで食べていた。早めに食べ終え久しぶりにスマホを開くとメッセージアプリに通知を知らせるバッジがついていた。開くと今年も律儀に腐れ縁のヤツからメッセージが届いており一週間前に送られてきていたことを確認する。誕生日からもう一週間経っていることに少し恐怖を覚えた。一年前のメッセージと変わらない内容で、お誕生日おめでとうの祝いの言葉に、ありがとうの吹き出しが付いた猫のスタンプを返すだけ。ただそれだけ。あまりあいつのことは思い出したくない。するとすぐに既読が付き、何故か近くで見られているような感覚がしてすぐにスマホを消す。歯磨きしてこよう。
新しく年が変わっても、相変わらず俺の仕事量は変わらない。なんなら前よりも増えている気がした。原因は周りの同僚せいだと言いたい。同僚たちは休み気分が抜けていないようでダラダラとお喋りをしながら仕事をしていて遅いのだ。案の定『大崎、ごめん手伝ってくんね?』と頼まれる。他人の所為にせず俺が注意をするか、断ればいいだけの話だが、納期は待ってくれないことと、頑張れば出来るのではないかと思ってしまい引き受け、結局自分で自分の首を絞めている。そんな毎日がまた今年も続くのかと思っていた。
そんな時だった。
一月の下旬、突然直属の上司から呼び出される。わざわざ別室まで移動して話をするということに、俺は何かやらかしてしまったのだと覚悟した。まあ、罵声や怒号は慣れている。
会議室に上司と二人きり、会議テーブルを挟んで向き合って座る。いつも仏頂面で愛想がない上司は、何故か今日は柔らかい雰囲気を醸し出している。嫌な予感がする。そしてその予感はいつも外れたことがないのだ。
「お疲れ様、大崎くん。」
「はい、お疲れ様です。」
上司は、テーブルに肘をつき両手を組み合わせて一呼吸置くと途端に笑顔を見せた。失礼だがその笑顔に背筋にゾッと悪寒が走る。
「さて。単刀直入に伝えるけど、君、来月から○○部に異動が決まったからよろしくね。」
「えっ。」
来月まであと二週間もない。というか聞いてないし相談されていない。
「大崎くん、周りよりも仕事ができるし、毎日遅くまで頑張ってるから…そろそろ昇格してもいい頃かなって上と話になってさ。自身のスキルアップのためだと思って、よろしくね。」
嘘だろ。というか気づいているなら手伝ってくれよ。俺に仕事を押し付けてくるうちの一人だろう。口に出したい衝動に駆られるがすんでのところで飲み込む。スキルアップと言っているのは建前だということは勿論わかっている。だってあそこの部署は今よりも劣悪な環境で、異動した者は誰も戻ってこれない、所謂、身も心も滅す部署と有名だからだ。だからいつも欠員ばかりで入っては辞めを繰り返す、負のループが続いている部署。
俺は、少しでも会社のために、みんなのために、なんて思ってイエスマンの仮面を被っていたが、結果的に報われず良いように使われたんだな。仕事でも俺は報われないのかよ。
「大崎くん?」
下を俯いたまま一向に返事をしない俺を不思議に思ったようで、呼びかけられる。
「優秀な君なら答えは勿論、イエスだよね?」
そう、俺に用意された答えは最初から一つしかないのだ。
「…はい。わかりました。」
「よかった。君ならそう言ってくれると思ったんだよ。ありがとう。」
膝の上で握った拳に力が入る。悔しい。頑張っても怠けている奴らに良いようにコキ使われる。結局真面目なやつが損をする世の中なのだ。
なんで、俺が。
でも、『はいわかりました』と易々言うのは俺自身なのだ。因果応報、結局自分で蒔いた種を自分で収穫している。思考はどんどん闇に落ちていく。
「まあまあ。そう難しい顔しないでさ。確かに新しい部署っていうのは不安でいっぱいだろう。」
何を勘違いしたのか。上司はそういって気遣いの言葉をなげてくる。異動することが不安じゃあないんだよ。握った拳に爪が食い込んで痛い。だがそれ以上に頭の中は怒りと諦念でいっぱいだ。涙が滲む。
”そんな君に朗報だ”と、上司は今までに見たことのない笑顔で告げる。
「大崎くん、明日から今参加しているプロジェクトから外れていいよ。」
「えっ、で、でも、今のプロジェクトは会社にとって結構大事なものじゃないんですか。」
「いいのいいの。それはみんなに任せて。君は次の部署の準備をしてくれていいから。引き継ぎも私がやっておくから。」
「…わかりました。」
上司の有無を言わせない圧に、俺は頷くことしかできなかった。
と、まあ最悪な通告受けたその週の日曜。会社は定休日だが、以前までの俺なら家に持ち帰って仕事をしていた。だが、プロジェクトから外されたので今日は特段することがない。一日間だけお休みを貰ったかのようだ。まあ、休みなことが当たり前なのだが。大事なプロジェクトに参加していた筈だったのに何故このタイミングなのか。折角の休みなのに会社のことだけを考えている自分に嫌気がさす。もう考えるのは止そう。俺は結局どう足掻いても駒に過ぎないのだから。
常日頃から休みたいと思っているが、さて急に休みになると、どうやって過ごせば良いのか分からない。今まで休みといっても自宅に仕事を持ち帰っていたからな。今はその仕事もないんだが。
いつもの時間に目を覚まし、今日が休みだったことを思い出してベッドに仰向けになりながら天井を見つめる。何か俺はやらないといけないことがあったはずだ・・・。寝起きのぼーっとする頭で逡巡する。
「あっ、そうだ。佐々木くんのとこに行ってみるか。」
枕元にあったスマホを開き、再度検索をかける。営業開始時間は十時から。現在は六時半。どうせなら開店と同時に入ろうかな。大体の道順を頭に入れて、時間の逆算をし準備に取り掛かる。
家を出るまでには充分時間がある。まずは歯磨きするか、と洗面台へと向かった。
「うわっ。」
ちゃんと鏡を見たのは久しぶりかもしれない。そこには草臥れた俺が映っていてびっくりする。無精髭は生え、隈のある目元は実年齢よりもだいぶ歳をとって見える。髪もここ最近切っていなかったのでボサボサと不揃いに伸びている。俺ってこんな不潔だったのか。改めて認識し、ショックを受ける。学生の頃は、モテたい一心でお洒落に精を出していたが、今となっては億劫になってしまった。プライベートでカフェに行くのは殆どないので、少し小綺麗にした方がいいよな。早めに出てカフェに行く前に髪切るか。馴染みの散髪屋もまだ開店していない時間だったので、それまでの間、普段できなかった家の掃除をしようじゃないか。窓を開けて朝の空気を取り込む。途端に一月の冷えた空気が入り込んで、上下スウェットの俺はガタガタと震える。でも、淀んでいた部屋の空気が新鮮なものに変わった気がする。
最後にいつ洗ったのか分からないベッドシーツ類を剥ぎ取り洗濯機にぶち込む。終わるまでの間に、軽く掃除を済ませ、一通りキリがいいところまで終えたのでそろそろ外着に着替えることにする。
「そういや俺、外に着ていけるような私服ねぇな…。」
クローゼットを見ると仕事着のスーツ一式たち。あとは部屋着にしているヨレたTシャツやスウェット・パーカーたち。暖かいインナーを重ね着し、まだ外で活躍できそうな一軍の黒のTシャツとその上から白いパーカーを着る。そして下は黒いスラックスを履く。高校の時に好きで集めていたスニーカーは実家から持ってきていてよかった。有名なブランドのロゴが入ったスニーカーを履き、家を出た。久しぶりのスニーカーに少しテンションが上がる。あっ、借りていたタッパー忘れていた。慌てて部屋に戻り、近くにあった綺麗なビニール袋にタッパーを入れ、リュックに突っ込む。他に忘れ物はないよな、と辺りを見回して確認してから家を出た。
「・・・ちょっと切り過ぎたか?変じゃないよな?」
散髪屋にて、刈り上げてさっぱりしたいと曖昧に伝えた俺も俺だが、思ったよりも短い気がする。こんなに短いのは学生ぶりだから、久しぶりで小恥ずかしい気持ちになる。刈り上げられたサイドを触りながら、まあ仕事でのモヤモヤも少しは晴れた気がするからいいかと、カフェへと歩みを進める。
上には首都高が通っている大きな交差点に差し掛かる。いつもの通勤ルートだとこの交差点を渡らず右へ曲がるのだが今日は違う。歩行者信号が青に変わると交差点を渡り切る。ここに住んでからこの道を通るのは初めてなので、新しい景色に自然と気分が上がる。この辺は駅前と違いどうやら個人店が多いらしくカフェやパン屋、アパレルショップや雑貨屋などがひしめき合っている。日曜ということもあり賑やかな人通りでさっきまでの上がった気分を表すかのように自然と足取りが重くなる。少し立ち寄ってみたいとも思うが、人の多さと本日の目的はカフェへお邪魔することだしな、と帰りに余裕があれば寄ることにする。目的地はまだまだ先のようで突き当たりまでくるとT字路になっており二手に分かれる道が現れた。手元のスマホで開いている地図アプリを確認する。ピンは左側の細い路地の先を示している。一見すると先程と打って変わってお店の数も少なく人通りも少ない。少し暗い印象だ。反対に右側の方はお店も多く賑わっている様子だ。進むのを躊躇していたが、有名なアプリ様を信用し、一歩踏み出した。
しばらく歩くと、それらしき建物が見えてきた。店の前に鉄製の二つ折りの看板がちょこんと立っており、近づくと『猫がいるカフェ』と書かれていた。
――ここだ。
目的地に到着。建物の外観は、一階にカフェ、二階は住宅となっていてカフェはガラス張りで中が見える仕様になっていた。今になって入ることに怖気付く。チラリと店内の様子を伺うと、営業開始してから間もない時刻だが客が数名入っているようだ。お客がいない個人店に入る勇気はいまだに持ち合わせていない俺。よし、数名いるならまだ入りやすいなとガラス扉を引き開ける。扉についていたベルがチリンと軽快な音を鳴らした。その音にドキリと心臓が高鳴る。扉を開けると途端に暖かい空気とコーヒーの良い香りが鼻腔をくすぐった。
『いらっしゃいませ。おはようございます。』
途端に、複数名のスタッフが挨拶をする。俺も控えめに「おはようございます。」と挨拶し会釈をする。入ってすぐ正面にあるカウンターをチラリと見ると、和かな男性スタッフが一人いたが、佐々木くんでも白川さんでもなかった。でも確かに二人以上の声が聞こえた気がしたが一人しか見当たらなかった。もしかして今日はやすみだったか?
カフェの内装は、入ってすぐ正面にレジとカウンター、カウンター奥にはコーヒーマシンなど色々置かれており(詳しくはないので多分コーヒーに関わる機械と器具たちだろう)、そしてカウンター奥の壁にはカフェのロゴがネオンサインで飾ってある。今時のおしゃれなカフェかと思いきや、壁には風景画や静止画が飾られてあったり、置かれているテーブルやチェアなどは節々に年季が入っていて、どこか懐かしさを思い出させるデザイン。現代とレトロ調が絶妙にマッチしている。これが俗に言うニューレトロというやつなのか?分からないが、特に調べることはせずただ心に留めておいた。
カウンターを中心に左右にそれぞれ席が四席ずつあり、右側の奥にはお手洗いがある。入り口側のガラス張りの窓側にもカウンター席が左右に三席ずつあり、道路に面しているので景色と日当たりが良い。お客は俺を含めて五名。それぞれ間隔をとって座っている。
視線をカウンターに立っている男性スタッフに戻すと、相手もこちらをみていたようで、ニコリと微笑んだ。男は見た感じ佐々木くんよりも若そうで、韓流アイドルのような黒髪のヘアースタイル。所謂ハンサムショーと呼ばれる髪型だ。先程散髪屋に置かれていたヘアーカタログの雑誌に載っていたので合っているだろう。少し垂れ目の子犬のような顔で微笑まれたその仕草にまた別の意味でドキッとする。モデルをやっていてもおかしくない等身で、彼がアイドルをやっていると言われても納得するような外見をしていた。何度も言うが、このカフェは美形しかいないのか?先程の胸の高鳴りは、美形にされると誰だって高鳴っちゃう自然現象だよな、なんて誤魔化すように俺はカウンターへと歩みを進めた。
「いらっしゃいませ。お決まりでしたらこちらでお伺い致しますね。」
俺がカウンターへ近づくとレジの方へ案内され再度挨拶される。初対面の方には印象良く思われる方が何かと良いと働く上で経験して学んだので、それに対し俺も笑顔を返す。レジ台に貼ってあるメニュー表を見ると知らない名前の商品が多い。さらに商品の写真がないタイプだ。大体のカフェってそうだよな、なんて思いながら取り敢えず俺は安牌なものを選ぶ。
「えーっと・・・じゃあ、オリジナルブレンドの、ブラックコーヒーをホットでお願いします。」
「かしこまりました。オリジナルブレンドのブラックコーヒーのホットですね。お客様、本日おすすめのみかんの大福もご一緒にいかがですか。」
そう言ってレジ横にある小さなショーケースを、こちらですとスタッフの男性が片手で指す。みかん大福?カフェでは中々見ることのない組み合わせで驚く。指した方へ目線をやるとそこには黒いオーバル型の皿にふっくらとした大福が六個ちょこんと鎮座していた。大福だけを見るとよくあるものと変わり無いのだが、鎮座する六個の一番手前にはサンプル用にと、半分から切られており、みかんが丸ごと入っている様子がわかる断面図をこちらへ向けられている。美味そう。甘いものを欲していなかったが、一度見てしまうと途端に食べたくなるものだ。
「うわぁ・・・美味しそうですね。じゃあ、それも一つ頂こうかな。なんだかコーヒーと大福ってカフェではあまり見ない組み合わせな気がします。」
「ありがとうございます!そうですよね。俺も、意外な組み合わせだなと思いつつ食べたんですけど、柔らかい餅と果汁たっぷりのみかんの甘さがコーヒーの苦味と合うんですよね。今の時期、みかんが旬で、ご贔屓にさせていただいている農家さん直送のものともあって、本当におすすめなんです。」
「へぇ、そうなんですね。益々美味しそうだな。」
感嘆の声が漏れる。使う食材の産地や農家さんにも拘っているのは好印象だ。やはり旬のものは旬の時期に食べることが大切だよなと思う。
「はい!美味しいのでお客様のお口にも合うと思います。では、お会計いたしますね。オリジナルブレンドホットコーヒーおひとつとみかん大福、あわせまして八百円でございます。」
男性スタッフが軽快にお会計金額を告げ、俺もリュックから財布を取り出し『これでお願いします。』と言って千円札を出す。慣れた手つきでお釣りの二百円とレシートを笑顔で渡され、俺はそれを、『ありがとうございます。』と伝えて財布へと仕舞った。
「では、出来上がりましたらお呼びいたしますので空いてるお席でお待ちください。」
「はい。お願いします。」
すると男性スタッフは、少し声を張り上げてカウンターの更に奥にキッチンがあるのだろう、そちらへ向きながら別のスタッフの応援を呼んだ。
「オリジナルブレンド、ホットコーヒー一つお願いします!」
男性スタッフは、そう伝えるとすぐにショーケースから大福を取り出す準備を始めた。呼びかけに対して、すぐに「はーい。」と奥から返事が聞こえる。その声に聞き馴染みがあり俺は、席へ向かう足を止めて振り向く。
「あっ、やっぱり大崎さんじゃないですか!声が聞こえたとき似てるなって思ってたんです。おはようございます!」
予想通り、奥からはカフェのロゴが入ったブラウンのエプロンを着た佐々木くんが出てきた。俺を見つけると、嬉しそうに笑顔を見せてくれた。佐々木くんの笑顔を見ると、つられて俺も笑顔になってしまう。
「おはよう佐々木くん。そして久しぶり。やっとお休みいただけたからお邪魔しました。」
「お邪魔なんてそんな・・・。ほんと、来てくれて嬉しいです。ってか、大崎さん髪切ったんですね。前も良かったんですけど、今はさっぱりしてかっこいいです。どんな髪型でも似合いますね。」
「いやいや、前は髪切る時間がなかなか取れなくてさ、ボサボサだったよ。久しぶりにこんなに短くしたからはずかしく思っていたんだけど・・・。そう言ってもらえるとやっぱり嬉しいな。ありがとう。」
佐々木くんは俺と話しながら、注文したコーヒーの準備に取り掛かる。その手際の良さに、感嘆しながら見つめる。
「本当のことですもん。なんだか今日の大崎さん、表情がスッキリしてる気がします。」
「そうかな。あぁ多分、久しぶりに仕事がない休日だからかもしれない。」
「えっ。お休みの日もいつも仕事してたんですか?」
「そうそう。毎日仕事が終わらなくてさ・・・。少しでも量を減らそうと思ってやってたんだけど。」
「あ、じゃあその仕事が一段落ついたんですね。」
そう言うと佐々木くんは嬉しそうに、大崎さんお疲れ様ですと後に続けて言った。本当は違う。勘違いされたまま話を流そうかと思ったが、短期間でも分かる佐々木くんの人柄の良さに嘘なんてつけず、本当のことを伝えることにした。
「いやぁ・・・その、お恥ずかしい話なんだが、俺が参加していたプロジェクトから外されちゃってさ。ははっ。」
「えっ。」
佐々木くんはそれまで俺と話しながらも、その手は止めずにコーヒを作りながら返答してくれていたのだが、この時ばかりは手を止めて俺の顔を見た。その顔には、心配と言った二文字が書かれている。
「あ、やらかしてしまった、とかじゃない無いから大丈夫だよ。急に部署異動が決まっちゃってさ。」
「あぁ、そうだったんですね。」
「うん、あっ!ごめんね。お仕事中に話し込んじゃって。」
「いや全然大丈夫ですよ。それよりも大崎さんが本当にそれで良いのであればいいんですけど。」
「うん、大丈夫。佐々木くんありがとね。」
「・・・。」
幸いにも俺以外に注文している客はいなかったので、佐々木くんは止まっていた作業を再開させた。会社の愚痴を朝からカフェで溢すのも良くないと思い簡潔に伝えたが、佐々木くんは俺の返答に納得のいかない表情をしていた。やはり第三者が聞いても、俺の会社には不信感を持ってしまうのだろうか。もしくは俺の表情で伝わってしまったのだろうか。作業は終わりがけだったのか、すぐに佐々木くんはコーヒーカップをトレーに乗せた。
「お待たせいたしました。ホットのオリジナルブレンドブラックコーヒーと、ご一緒に頼んで頂いたみかんの大福です。」
「わあ、ありがとう。美味そう。」
「そして、来店してくれた大崎さんにこちらもサービスです。」
カウンター越しにコーヒーと大福が乗ったトレーを受け取ると、大福の横にちょこんと小さなカップケーキが添えられていた。
「えっ、このカップケーキもいいのか?」
「はいっ。前に言ったじゃないですか。来店してくれたらサービスしますって…言ってもちょっとしたものですみません。これ試作中のみかんのカップケーキなんです。」
「いやいや!全然ちょっとしたものじゃないよ。ありがとう。嬉しい。」
改めて近くで見ると、カップケーキはふわりとして、大福はとても柔らかそうだ。コーヒーの良い香りと混ざってほんのりみかんの匂いがする。
嬉々としながら、どこに座ろうかと辺りを見渡す。どうせなら通りが見える日差しの暖かい場所に座りたいなと思い、入り口近くの通りが見える窓側のカウンター席へと向かう。入り口挟んで左側には別のお客が一人座っていたため、自然と誰も座っていない右側へと向かう。三席あるうちの壁側に座ろうと思い、テーブルにトレーを置く。そして椅子を引いた時だった。
――んなぁ~
そこは空席ではなく、何やらキジトラ模様のもふもふした塊の先客が座っていたのだ。
「!?」
「こちらがメイちゃんです。」
すると後ろから佐々木くんがついてきていたようで、ご紹介を受ける。この子が、あのメイちゃん!
「もしかしてこの前、見せてくれた動画の・・・。」
「はい、そうです。うちの看板猫のメイちゃんです。ねっ、メイちゃん。おはよう。」
メイちゃんと呼ばれた猫は、こちらを向いており、一つ大きな欠伸をするとガラス玉のような艶のある綺麗なグリーン色の瞳に俺を映す。顔はキジ模様がハチワレに入っておりとても可愛らしい子だ。
「んなぁ~」
再度メイちゃんが俺に向かって喋りかける。これは撫でても良いってことかな。え、そう言うことだよな。などと勝手に都合のいい解釈をして、右手の人差し指を鼻へと近づける。
「メイちゃん初めまして。俺、大崎恭介っていいます。寝ていたところごめんね。」
クンクンと、メイちゃんは俺の人差し指に鼻を近づけて、
まるで品定めするかのように熱心に嗅いでいる。
「うわぁ、かわいい。」
思わず心の声がもれた。だって猫は可愛いの権化だろ、と可愛さを通り越して怒りが芽生える。
「ふふっ、大崎さんもふにゃふにゃしてる。」
「猫はみんな可愛いからな。気を引き締めないと俺もふにゃふにゃになって溶けちまう。・・・ところでメイちゃん。そろそろその可愛い頭、触ってもいいかな。」
少し変態じみた喋り口調になるのは致し方ない。メイちゃんも、俺の言葉に対してゆっくりと瞬きをしてくれたのを合図に右手を頭へと滑らせる。ふわふわとしてつるりとしたあの猫の毛並み。途端に心がほわっと温まる。メイちゃんも瞳をうっとり閉じたのを了承したと得て、様子を伺いながら背中の方も触らせていただく。程良く肉がついており、ふわふわの上にもちもち。極上。そして太陽の当たる暖かい場所に寝ていたので、あったかい。生きている。沁みる。
「あのー・・・大崎さん。メイちゃんとイチャイチャしているところ悪いんですが、コーヒー冷めちゃいますよ。」
「あっ!ごめん!せっかく佐々木くんが淹れてくれたのに、忘れちゃってた・・・。」
「まぁ、メイちゃんになら大崎さん取られても許しますけど。さっ、早く飲んでください。」
俺はここがカフェであることを一瞬忘れていた。佐々木くんが声をかけてくれなければ、一生モフモフ堪能させて頂いていたかもしれない。佐々木くんは少し拗ねている。俺も忘れてたなんて失礼だったかと思い再度、ごめんねと謝る。いいですよと言ってくれたがその顔はまだ少し不満げだ。背負っていたリュックを席の下にある荷物ラックに置き、促されるままメイちゃんの横の席に座ると何故か佐々木くんも俺の左側の席に座った。
「あれ、お仕事大丈夫なのか?」
「はい。今、店内も空いているので少しだけなら大丈夫です。せっかくなんで大崎さんとお話ししたくて。」
ふわりと笑顔を見せる。この短期間で佐々木くんは笑ったかと思えば拗ねたりと表情豊かな愛嬌がある人だと知る。反対に俺は昔から無愛想だとか、何を考えているのか分からないなんて言われてきたこともあり、こんな俺と話をしても楽しませる自信がない。単純に俺にない愛嬌を持っている佐々木くんが眩しいとさえ思う。
「俺、面白い話はできないけどそれでよければ。」
「あ!また自分のこと卑下してますね。話が面白いかどうかに他人の評価なんて気にしなくて良いんです。大崎さんの思ったことを素直に話してくれるだけで俺は嬉しいんです。大崎さんの考え方や景色の見え方を知るだけでも十分楽しいですから。」
「…ありがとう。」
「ふんっ、どういたしまして!俺は、大崎さんのこと尊敬してるのでもっと自信を持ってもいいと思いますよ。」
佐々木くんは少し怒ったように鼻息を荒くしている。本当、可愛い後輩みたいだな。佐々木くんの素直なところが俺は羨ましいし尊敬しているよ。また、卑下しているって言われてしまった。俺も見習わないとな。
「前から思ってたけど、佐々木くんはよく俺を褒めてくれるよな。俺もう三十路になったけど、褒められ慣れてないからさ思わずドキッとしちゃうよ。」
「えっ、だってそりゃあ俺、大崎さんのことっ・・・ぁあ!コーヒー!ほら、冷めちゃいますよ!」
「あっ、あぁ。そっそうだな。」
照れた顔を誤魔化すかのようにここでやっとコーヒーカップを手に取る。幸いにもまだ暖かく、口元に近づけるとふわりとコーヒーのいい香りがする。うん、この香りっていつ嗅いでも気分が落ち着く。ゆっくりとカップを傾けて一口含む。
「んっ!うまいっ。」
「それはよかったです。実は、オリジナルブレンドといってもその季節に合わせて少し配分変えたりしてるんです。」
「へぇ、面白いな。コーヒーはインスタントばかり飲んでるから、あまり詳しくはないんだけど、それでもこれは美味しいってわかるな。今回のブレンドはどんな風に変えてるの?」
「寒い季節はスッキリした味よりも苦めの味の方が好まれるので、深煎りの豆と中煎りの豆をブレンドしてるんです。」
「…なるほど。」
「その大福も、白餡入ってるんですけど、苦めのコーヒーと合うのでおすすめの組み合わせだったんです。また春になると違う味わいに変わってるんで、今日だけじゃなくて次もぜひ来てくださいね。」
「・・・佐々木くん。君さては商売上手だな。」
「えっ?」
「流れるように次の約束してるもんね。」
「あ…。ははっ、バレちゃいましたか。大崎さんにだけですよ~。」
「またまた。・・・まあでも、約束しなくても時間ができたら来るつもりだよ。もう気に入っちゃった。」
そういうと佐々木くんは途端に目を開いて驚いた顔をしたかと思えば、すぐに猫のような可愛い吊り目を細くし、満面の笑みを見せる。
「ありがとうございます!大崎さん!」
その純粋な笑顔を俺は直視できずに「おう。」とそっけなく返し、目線をメイちゃんの方へ向けた。その時、足元にあった荷物ラックに置いていたリュックが目に入り、アレの存在を思いだす。すぐにリュックのファスナーを開き、目的の品が入った袋を取り出した。
「そういえば、お借りしていたタッパー持ってきたんだった。ありがとうございました。全部俺の好みの味付けだし美味しくて、お陰様で年越しから今年の正月までご飯時間は幸せに過ごせました。」
はい、と佐々木くんに手渡す。促されるまま佐々木くんも受け取り『お口にあってよかったです。』と告げられた。
「あぁ!そういえば、まだ新年の挨拶してなかったや。」
「あっ、そうでした!」
「改めて、
「「あけましておめでとうございます。」」
お互い向き合い同じタイミングで言ったもんだから、なんだか小っ恥ずかしくて、俺も佐々木くんもプッ、と吹き出してしまった。
「今年は大崎さんと多く過ごしたいです。」
「いいね、俺も社会人になってから友人と呼べる人なんていなかったからさ。これからも仲良くしてくれると嬉しいな。」
「はいっ。勿論です!まずは”おともだち”からですね。」
***
お待たせいたしました。
誤字脱字あれば教えていただけると助かります。
拙い文章ですが、楽しんでいただけると幸いです。
ここまで読んでくださりありがとうございます!