自分の文章がなぜかリライトされる件
こんにちはこんばんは。風雲の鷲尾です。この週末、久しぶりに地元に帰省し羽根を伸ばしてきました。
かれこれ2年ぶりくらいに、学生時代の友人にも会うことができました。
これまで帰省しても、「連絡しようかな。でも予定決めたくないな。当日に連絡してみようかな。でも連絡するほどでもないな。」と思いながらいつの間にか2年の月日が経ってしまいました。
そんな連絡不精のわたしですが、今回は外出中に少し暇ができたので思い切って連絡し、やっと会うことができたというわけです。外出中の暇時間って強い。
さて、本題に入りましょう。
本日は「自分の文章がなぜかリライトされる」ということについてです。
わたしの学生時代の得意科目は、国語でした。特に小論文が得意で、数時間で書き上げることができました。かなり「適当」だったんですね。それでも、入試準備の期間に国語の先生に「指摘がない」と言わせるほどでした。小学生から国語が好きで、幼少期から小説やらを読んでいたのが功を奏したわけです。
そんなわたしが、なぜリライトされるのか。
リライトされる原因を分析してみた
自分なりに分析した結果、出てきたのはこの3つ。
自分の想いをそのまま書くと、万人に理解されにくい
自分の想いをそのまま書くと、言葉が直接的すぎて強い
すぐふざける
つまり、小論文や読書感想文、テストの出題など、何かしらの制約が設けられているものは、わかりやすく上手に書けていたようですが、自分の想いや考えをそのまま綴ることに関しては、理解されづらく強い言葉になってしまうのです。
そして、すぐふざける。要は、わたしの性格が災いして、リライトをさせてしまう、いやリライトせざるを得ない文体になっているのだと推測します。
自分の想いをそのまま書くと、理解されにくく言葉が直接的すぎて強い
わたしは幼少期はそれはそれはおとなしく、控えめな子どもでしたが(記憶の改ざんかもしれない)、物心ついた時からは何事もはっきり伝えてもらわないと理解できず、それでいて矛盾が大嫌い、というまぁ面倒なやつでした。
それに加えてとにかく内向的な性格だったので、家族以外の人とほとんど話をせずに学生時代を終えているので、自分が共感性に欠けていることや少し変わった価値観を持っていることも知らずに大人になりました。
そんな生い立ちによって、社会人になってから人にものを伝える時はとにかくありのまま包み隠さず、自分の価値観が共感されづらいということを意識せずに話をするようになり、理解してもらえないことに困惑したこともあります。
そして年を追うごとにどんどん強くなってくる自我。
白か黒か、0か100かでしか物事を理解できない。なので、体裁や調和のために隠していることも詳らかにしたがる。
絶対的に関わらなければいけない家族や会社の上司とはたくさんぶつかりました。
すぐふざけてしまう
共感や理解をしてもらえないことが多かったことから、
「真面目に話をしてもどうせわかってもらえないや〜」
という短絡的な考え方で、まともに自分の考えを話すことや、議論するということをしないまま育成されてきたので、少し真面目な話をすると具合が悪くなって吐き気を催すようになってしまいました。
そんな背景もあり、ついついふざけてしまうのです。
面白いことを言おう、と思っているわけではないのですが、面白おかしく表現を変えてしまって、ふざけているように見えてしまう。そんな人間です。
結局なぜリライトされるのか
そんなわたしの短所とも言える部分を、短所にしないようにリライトしてくれる人が現れました。それがみねこです。
嘘をつかずにありのままを伝える、ということは長所だと言ってくれる弊社のメンバー。伝えたいことは理解してくれていて、かつそれを万人にわかりやすい言葉に変換してくれます。
わたしの言葉そのままだと、人のつつかれたくないところをつついてしまったり、伝わりづらかったりするため、柔らかく清らかにわかりやすく変換が必要なのです。
リライトって大事ですね。
noteではありのままのわたしの言葉
noteでは、わたしの言葉で伝えることを許されているので、好きなことを好きなようにお伝えしています。
経営者になって少し真面目に、伝える意識をしている側面や、ありのままの不器用な側面を楽しんでもらえると嬉しいです。
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