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インド映画ガンドゥ(Overdoes?)の日本語のかんそうがなかったから書くかんそう

ぼくはもともとインド映画に対する造詣が深くないどころか脈絡なく歌われたり踊られたりするんだったらちょっと現時点では求めていない気がすると思って見ないことが多かったわけです。ヘッダ画像をお借りしています。

偉そうな物言いでお恥ずかしいこと限りない。しかしながら全否定しているわけではなく、映画の最中に急に歌い踊るという文脈に対してぼくなりの納得および同調サインが表れた場合、全然抵抗なく観れる気がするといいますか今でも別に抵抗があるわけじゃないんだけど、だったら……もうちょい静かでもええんかな?というぐらいの面持ちでいます。

つまり歳をとって水戸黄門の再放送を見たりするようになる、好きじゃなかった味が食えるようになるみたいな、いつかそういう日が来てもおかしくない分野にインド映画は属しているんだろうな、と思っています。

という上記の言い訳をある意味「偏見」とした場合に、今回なにげなく見たガンドゥは「あれ?そういえばインド映画ってそういう側面をもっているはずなのに……」という感想を持つぐらいには「偏見通り」ではなかった。

どころか、割と北野武のようなキャメラの「続け方」―――――例えば恥ずかしいことを言われたキャラクタを延々と撮り続ける、何か悲しいイベントがあった後の二人が丘の上とかを歩いている様子を必要以上の秒数撮り続けて、今この人達が何を思っているんだろう?こうに違いない、みたいなことを視聴者に思わせるように誘導する―――――が、日本的で親しみが抱ける人もそこそこいるんじゃないかと思った。

これは決して低予算だからとかいう感じじゃなくて、だって「結果的に面倒そうなロケだったろうな」みたいなシーンがある(ド狭いライブハウスみたいなところで楽器とか客とか入れて歌うシーンとか、風俗女?みたいな人と意味不明な液体を飲み合うシーンとか)からそもそも低予算だとは思っておりません。

ただ見せるための工夫が果てしない気はする。何かしらの原動機の積荷席に二人で乗ってどこかに運ばれているのをただ撮るんじゃなくて(今だったら……といいますかハリウッドだったらドローンでしょうか)、原動機の後ろ辺りにカメラを貼っつけてゴンゴン揺れまくる荷台の二人をずーっと映しっぱなしにする。車がすすんでいるわけだから、景色はがんがん移り変わっていってそこまで味がない絵ではない。

このように結果的にそこまで悪い心証は抱いてないんですが、映画そのものは暗くて暗くて……モラトリアムとか一言で済まそうと思えば済ませられるんだろうけどインド(舞台はインドですよね?)という国家や民族性みたいな下地を捉えた場合に、簡単にモラトリアムとかで片付けるのもなんかわりいな、とか思ってしまうほど色々なことを思ったので、その感想をまたあしたぐらいに。

お読みくださりありがとうございました。感謝の極みといえようもの

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中村風景
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