見出し画像

過去の経験が今をつくる

〈閲覧注意〉
こちらは僕の「別れ」の体験談が書かれております。
精神的ストレスを受けそうな方の閲覧はお控えください。


 僕は過去に結婚をして別れた経験があります。

僕の場合は死別でした。


ファロー四徴症という生まれつきの心臓の病気をもって生まれた人と

結婚し生活をしてきました。


結婚当初は病院に関わることはほとんどなかったのですが、

次第にむくみが出始め、大きな病院へ通院するようになり、

そのうち、何度も何度も入退院を繰り返し、大きな手術もしました。

手術から7年経って、結果として亡くなってしまいました。


もちろんその後の精神的ダメージというものは、

自分自身に大きな影響を与えました。


妻中心の生活リズムで、週3回、点滴を打つために病院に通院し、

入院しているときは、病室に入り浸る生活が一変しました。

時間はすべて僕だけのものになりましたが、

何もすることができない。

何もしたくない。


自分の生きる価値をそこで見失ってしまったのです。


妻を見送った後は、

自分の人生にはもう価値はもうなくなってしまった。

生きる意味がないと考えていました。

妻は41歳でした。

やるべき事はやったのだから、

後は僕自身もお迎えに来てもらうだけだとと思っていました。


そうは思ってても、僕にはなかなかお迎えが来てくれないのでした。


言い換えると、

僕にはまだまだ生きる意味、存在価値、

やるべきこと、やるべき役割があるということなのでしょう。


それを教えてくれたのは、やはり周りにいてくれた人たちでした。

仕事で会った方に自分のビジョンを話すと、

いつも、涙ながらに妻のことを語っていました。


ここがさらりと話せるようになったのは、

妻の話を続けることによって、

妻が精神的に生き続けるのではないか、

と考えられるようになったからでした。


妻は「必ず再婚して」と言い残していました。


いつまでも泣き続けていて、

相手に心配をかけさせる存在であっては、

前に進めなかったのでしょうが、

妻が病気で亡くなったことを話し続けることで、

心の負担が大きく変わり、気持ちが軽くなり、

さらりと話すことができるようになりました。


ここを乗り越えるまでには長い長い時間がかかりました。


もちろんそれまでに人に迷惑をかけたこともありましたし、

何が何がでも人にすがりたかったこともありましたし、

支えが欲しかった時期もありました。


でもそこを本当に乗り越えたときに、

精神的な自立というか、

本当の意味で前向きに生きることができるようになりました。


先ほども言いましたが、

人は必ず誰かに影響を与えて生きていくものだと思います。


だからこそ、多くの人と関わり合う中で、

妻の死を受け入れ、

自分の経験としてしっかりと認識できるようになってきたのでした。


これを言い換えるなら1つの成長であったと思います。

40歳代前半で死別した経験がある人は、

それほど数が多くないですよね。


事件に巻き込まれた、事故に遭ったなど、

そういった方は、また違った心のダメージを負っていると思います。


すぐに立ち直れるものではありません。

でも、その人にはその人の社会的役割があると考えています。


僕自身の社会的役割は、

今のパートナーとの関係がお互いの成長につながり、

最終的には1番ベストの状態で、

幸せの絶頂で別れていくことができるのか、を提起することです。


結婚披露宴で「幸せ絶頂のお二人がご入場されました」

というセリフを聞いたことがありませんか。

確かに結婚披露宴で「幸せの絶頂」という感覚は

とてもよくわかります。

ただ、幸せというのは、

他の要素が加わり、変わってくるものと思います。

仕事の問題、家族の問題、お金の問題、健康の問題、、、

お互いに好き嫌いと言い合っているだけではなく、

こういった要素が入ってきて、好き嫌いと言ってる割合が減るからこそ、

好き度は減るんじゃないかと言われる人もいますが、

それはある意味で間違いはないと思います。

しかし、幸せの要素として考えるならば、

仕事の問題、家族の問題、お金の問題、健康の問題、などといった

トータルバランスが取れているからこそ、

幸せを感じられるのではないでしょうか。

そして、そういったもの全てが最大化された瞬間が

別れるタイミングであってほしいと僕自身は考えています。


亡き妻との経験は、僕が生きる中で消すことができない、

僕の人生の一部ですが、その経験や思い、感情があるから、

今が存在していて、

今のぽんちゃんとの生活が成り立っていると感じるのです。

もし仮にこの経験がない時に、ぽんちゃんと知り合っていたのであれば、

今のように、ぽんちゃんを受け入れることができたでしょうか。

もちろん福祉の経験だけでなく、

受け止める力、考え方、覚悟、生活力、生活の知恵もなかったでしょう。

きっと多くの不満を言っていたのではないかと思います。


福祉サービスや福祉制度も知らず、

また各新幹線に個室があって、

それを利用することができるなどと言う知識もありませんでした。

今のぽんちゃんには、自分の持っている知識、経験を活かし、

もっともっとぽんちゃんを輝かせるため、

支えていくつもりです。


#絆深 #きずなみ

いいなと思ったら応援しよう!