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週末を迎える今日、安堵を持って過ぎてゆく(野菜たっぷり鶏団子鍋で身も心もぽかぽかになる)

今朝は、身体がクタクタだった。目が覚めてもしばらく布団から出る気力がなく、タイムリミットが迫る中、「あぁ、寝ていたい・・(休みたい・・)」と思いながら起き抜けの時間が過ぎていった。でも、寝たままでは身体の調子も分からない。本当に体調が悪ければ休めばいい。そう思って、起き上がった。

朝の散歩は、ここ数日行けていない。ベランダに出て野菜たちに挨拶することも、2日連続できてない。
朝の支度は早かった。いつもより、時間が少し余ったくらいだった。
自宅を8:20分前には出発して、最寄り駅までいくつもある信号は全て「青」。
正直、信号で止まって休みたかった気持ちが強く「あぁ〜またgoサインが出た〜」とへこたれそうになっていた。でも、その時に思い出した。「言霊」は、脳科学的にも実証されていたことを。 コロナ後遺症の症状改善の一助になりそうだと思って、以前、そのことを取り上げていた番組の一部を、Xでシェアしたことがあった。それによると、 言葉を発した時に脳の視覚野が反応。言葉のイメージが浮かび、生理反応にまで影響を及ぼすとのこと。よしっ!と思い直し、敢えて、言い直してみた。「疲れた〜」と言いかけたけれど、「楽しいな〜」「すごいな〜(私って)」に変えて、実際に呟いてみた。なんとなく、愉快な気持ちになった。(体感と言葉とのズレが、かえって愉快な気持ちにさせてくれた。)

駅には普段より少し早く着く予定だった。つまり電車には余裕で間に合うはずだった。当たり前にそう思っていたのに、なんと、遅刻ギリギリを通り越して、駅に着いた時には、いつも乗る電車の発車ベルが鳴っていた。「なんで・・・???」
不思議だった。どう考えても早く着くはずなのに、こんなことってある??と、がんばって自転車漕いだのにな〜と、残念に思った。でも、まさにこの遅れが「天からのはからい」だったことを、この後すぐにしみじみ実感し、感謝する事になる。
普段を、乗車率100%だとすると、今日の車内は乗車率150%だった。朝はなかなか座席に座ることができないから、今日もこのまま立って堪えるんだなと思っていた時、私の目の前の席の男性が降車した。この男性は目が半開き状態で、よく眠っているように見えた。(半開きの目が見えているのか寝ているのか分からず、しばし見入ってしまった・・)降りる直前までその気配はなかったから、突然降りてびっくりした。混雑に押されるようにして、私はその空いた座席に滑り下りるようにして座った。おしくらまんじゅう状態だったから、ここでしばし座って休息できたことが、今日の私の運命を左右した。

職場では今日も、雑用を自ら買って出るつもりで、どんどん積極的にやらせてもらった。これまでは、担当業務があまりに忙しく、目に止まることのなかったような細かなこと。簡単に言えば雑用だけれど、誰かがやらなければいけない。その誰かに自分が今なっている。その立場に今は置かれている。それなら、それを自分から喜んでやらせてもらおう、という前向きな気持ちが沸々と湧いてきた。
朝の電車で座ることができたから、と言っても過言ではないくらい、しばしの休息は次の一手に大きく影響する。そんな今日を終えて、帰宅した時の体調は昨日より良かった。夕飯を作るエネルギーがちゃんと残ってくれていた。


ネギが本当に美味しい季節。有機のネギ。根っこはうちのミニ畑に植えて育てて美味しくいただく。
ニンジン、ゴボウ、こんにゃく、鶏団子、
最後に白菜の柔らかいところをたっぷり。
いい匂い。ゴボウと鶏の旨みたっぷりの出汁で野菜が美味しくなってる。

さあ、カボスと柚子の果汁を絞って、お醤油と少しの甘味(オリゴ糖)で調整したポン酢を作る。

柚子とカボスはそれぞれ良さが違うけれど、互いに尊敬し合ってる気がする。
カボスはかなり楽に果汁が出る。柚子は頑張ってもなかなか・・(切り方を間違えた)
だけどその皮は最高の素材。香りも、ものすごくいい。
二つの良さが混じり合った。


引きで撮らないと湯気がものすごかった。
油揚げみたいに見える二つの物体は、「玄米もち」
もくもくの中に美味しいものが詰まってる。
味変に柚子胡椒は最高だった。

今日はご飯も炊いて、冷凍庫整理のため鶏そぼろ煮も作った。炊き立てご飯の土鍋の蓋を開ける瞬間て、最高に贅沢な瞬間、という気がして、いつも同じなのに撮らずにいられない。

この瞬間に全ての苦労が報われる気がする。
生姜たっぷり。炒めずヘルシーな鶏そぼろ煮。

1週間を終える金曜日の夜は、独特の安堵感に包まれる。普段は時間に追われているけれど、のんびりした気持ちになれる。子どもたちも、毎日本当にがんばっていると思う。

食後に、頂き物のメレンゲを「美味しねっ」って言いながら食べました。(ありがとうございます)


何をしていても、していなくても、どこにいても、何者であってもなくても、その人たちとの出会いによって生かされている自分がいることを、強く感じる。これも、コロナ後遺症という病によって教えられたことの一つ。

今週も、文字通り「生き切った」そんな感慨を覚える金曜日の夜に安堵する。

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