娘と一緒に Echoes of Life 広島公演へ
広島とEchoes
Echoesの日程が発表された時、まだチケットの抽選も始まっていないのに、これは絶対に中学生の娘を連れて広島へ行こう!と旅の手配を始めた。学校もあるので日程的には1月3日しか見られないスケジュールだった。しかも広島は遠い。せっかく遠くまで行くなら、2日間現地で見て、中日を観光に当てたいところだけれど、今回はチケットが取れたとしても行けるのは1日のみ。それでもなお私は行きたいと言うより、これはぜひ行かなければいけないというような強い想いに駆られた。
私も娘も広島市に足を踏み入れるのは初めてだ。
娘は多感な年頃。この旅はとても記憶に残る旅になる。
そんな気がした。
羽生くんの演技はいつもいろいろな祈りがこもっていると感じるし、MCで世の中の様々なできごとについて触れてくれることもあるから、広島公演までにと思って、この1年のこと、震災や戦争などについて娘と色々と話をしてみた。
年末の報道写真展
出発
元旦の早朝、私たちはバックパックを背負って旅に出た。車窓から初日の出を拝み、朝イチで東京駅の交通広告にご挨拶。
広島に行くついでに、四国に寄った。四国に足を踏み入れるのも10数年ぶりだ。瀬戸内海ってお天気が良いと穏やかで景色が良くて好きだなぁ。
災害や戦争
この日は1日で16,000歩も歩いた。
歩き疲れてホテルに戻って付けたテレビ。
たまたま見ることになったのが、Nスペの能登半島地震の番組だった。
妻も小さなこどもたちもみんな失ってしまった若いお父さんの深い悲しみ。
救助の最前線で決断をを迫られた医師。
災害時どんなことが問題になったのか興味深い番組だった。
旅行気分とは全然違う番組だったけれど、娘も私も見入ってしまった。
日常ってこんなにも簡単に一変するんだ。と今の日常を思わずにいられない。
「いま」がかけがえのない一瞬であることを実感する。
そしてgokuriさんのnoteも親子で読んだ。
ここにも書かれている密集地の家屋を間引く作業をしていて被爆した広島市内の中学生たち。平和記念資料館でも彼らについての展示を見たけれどまさに娘と同じ年齢のたくさんの子供達が犠牲になっていて、非常に心が重くなる。
旅の出発前には、RE_PRAY佐賀公演の時に羽生くんが観たとMCで触れていたこちらの番組も録画が残っていたので一緒に見直した。
原爆資料館へ向かって歩いている時、娘に
「あなたが将来、核廃絶について何か行動を起こすかはわからない、でももしみんながみんなそういう活動をしなかったとしても、ひとりひとりがどんな想いを持ってこういう問題に向き合っているかが大事だと思うの。そのためには知っておかなきゃいけないことがたくさんあると思う」
という話をしながら歩いた。
娘は寒さで私の腕に絡みつきながら、うんうん頷いた。
広島平和記念資料館
入館したのは10時半頃だっただろうか。
空いている時間でないことは覚悟して行ったつもりだった。
でも資料館の中は、想像以上に混雑していた。
ちょっとした満員電車みたいで、なかなか前に進めない。
西洋人の観光客の方も多い印象だった。
みんなイヤホンで解説を聴きながら真剣に見ていた。
3歳の亡くなった子供に鉄のかぶとを被せて埋葬したという錆びたかぶとと三輪車の展示。
建物疎開作業中に被爆し亡くなった3人の中学生の衣服をつなぎ合わせたもの。
真っ黒になった中学1年生の子の弁当箱。
歩みをすすめていくうちに、だんだんいろんな感情が許容量を超えてきて
亡くなる前に書かれた手紙や日記などの直筆の文字を見ていたら、涙が溢れてきた。
11万何千人という数字じゃない、そこにみんな生きていたんだ、登場人物Aじゃない、みんなそれぞれの人生のハイライトがあったんだ。
ほんとに、そう実感した。
ふと顔を上げてみると隣の女性も涙を流してた。
そして気がつくと娘がそばにいなかった。
ぐるっと見回してもいない。
慌てて探すと、随分と手前の方で展示に見入っている娘がいた。
全部読んでるの?と聞くと、そうだと言う。
結局その後も何度も娘とはぐれ、最終的には私が展示出口で娘が出てくるのを待った。
たぶん行けばきっと何か感じることはあるよね。
くらいの気持ちで連れて行ったけど、私の想像以上に娘は真剣に展示を見ていた。
もうお昼時を過ぎていた。
混んでいたとはいえ、何時間あの空間にいたんだろう。
外に出た瞬間、2人ともとてもお腹が空いていることに気づいた。
ソフトクリームを食べようか、
そう言うと、娘は子どもみたいに喜んだ。
まだ子どもか。まだ中学生だもんな。
何だか最近背もぐんぐん伸びて、大人なこと言うようになって
もう大人だな、と思うこともあったけど
でもまだ…
そう思いながら
平和記念公園の窓際の席に座った。
娘は普段、口から生まれてきたのかと思うくらいよく喋る。
体験したこと、面白かったこと、読んだ本のこと、友達のこと、ちょっとした悩み事、気になること、最近考えていること・・・
よくこんなに喋ることあるな、というくらいお喋り好きでいつもマシンガントーク。
そういう私もお喋り好きなところがあるから、私に似たのかもしれない。
そんな、2人でいればいつもどちらかが喋っているような2人だが、そして大好きなソフトクリームに喜んだ娘だったが、席について食べ始めると、この時だけは何も言葉が出てこなかった。
私もちょっと何か少し感想を言おうかと思ったけど、続かない。
この時、黙ってアイスを食べている娘の姿を1枚写真に撮っていたのだけれど、後で見返したら、ちょっと何とも言えない泣いた後のような、演技でこの表情してって言われても難しいだろうな、と思うような複雑な表情をしていた。
今日あるしあわせが明日あるとは限らない。
今日はもう何も受け取れない。
そんな気持ちになっていた。
でも今日は1月3日。
Echoes当日だ。
ずーん、とした気持ちを引きずったまま会場の前まで来ると、次から次へといつもお世話になっているゆづ友さん達と会えた。佐賀の時に出会った海外の友達にもまた会えた(というかショーのたびに会ってる笑)
いま資料館を見てきた、という話を何人かに聞いてもらっているうちに少し気持ちが落ち着いてきた。
1/3のEchoes of Life 広島公演
埼玉公演を観た時と演目自体が変わるわけではないし、STORYが変わるわけではない。でもやはりここが広島だということ、そして私たちが今日平和記念館に行って、原爆ドームを見て、爆心地の看板を見て、グリーンアリーナからの近さに驚いて、そういう経験をしてから見るEchoesはやっぱり受け取る印象が少し違った。
産声〜めぐりの後の映像なんかは、埼玉で観た時も連想してしまうものがあったけど、今回は争いの後の荒涼とした地面に鉄のかぶとが落ちているのを見て、嗚呼さっきもかぶとを見た…と胸がギュッとなった。
最後の方のリンクの周りに花が咲いていくシーンからのDannyboyも埼玉以上に色々な想いが重なって涙が滲んだ。
そういえば、あのバグった花たちに手を差し伸べた時、ふっと僅かに表情を緩めるあのシーンのあの表情。。優しさが溢れてて堪らなく好き。
MCも羽生くんの広島に対する思いが聞けて良かった。
本当に本当に本当に来てくれてありがとうございました!!!って
全力で最後まで出し尽くして…
本当に今回来てよかった(いや毎回毎回現地行く度にそう思うけど、特に今回はより一層そう思った)
娘に、
ねぇ、どうだった?
と聞いてみたら
キラキラ輝いてた…
生はすごい……すごいね
アンコールの時、かわいかった…
という、語彙力の喪失した感想しかもらえませんでした。すみません羽生さん、中学生から見てもかわいいそうです、、
そして自宅に帰宅してからも『レッミ〜〜えんたてぃんゆぅ♫』って歌いながら振り付け踊ってて、えらく楽しそうでした。
落ち着いてからちょっと真面目な感想も教えてくれたけど、同じものを観て感じたことを共有できて、やっぱり今回一緒に観られて本当に良かった。
旅の思い出
羽生神殿を堪能したり、
厳島神社を訪れたり、
こうしてたくさんたくさん思い出ができて、忘れられない年明けとなりました。
濃かったな。
肝心な羽生くんのスケートについては、好きなポイントがありすぎて長くなりすぎるのと、あの素晴らしい演技たちを言葉で表現すると陳腐になってしまいそうでなかなかうまく語れません。
ここのこれが好き…みたいなことなら簡潔にまとめられるかな…(また今度)
Echoesは好きな演目ばっかりで、本当にあと2公演で終わってしまうなんて信じられない。Novaくんとお別れしたくない。
観るたびに深まっていくのがICE STORYの醍醐味。
今日はウチのポストに『生誕の厄災』が届いていたので最初の数ページだけ読んだ。
Echoes、履修したいもの多すぎて時間が足りないね。推しの1日はほんとに24時間なんだろうか。どこかに時間隠し持ってない?…んなわけないか。