存在意味
4年前の記憶をここに残します。
代り映えしない良くある日本の田園風景。広大な平地の向こう側には、青い山々が連なり、その間には高速道路の高架橋がちらりと覗く。昼過ぎまで雨が降っていたため、空はまだ灰色の雲に覆われていた。
三十歳を目前にして仕事にやり甲斐もなく、人生を変えたいと、カナダのワーキングホリデービザを取った。航空券に、住居、語学学校の予約も全部完了。仕事の引継ぎも無事に終わり退職し、東京の賃貸を引き払って実家に帰って来た。後は飛び立つだけ。未来は無限に広がっているようにも感じられた。そんな時に、世界はコロナウイルスのパンデミックに包まれた。
私は田舎の祖母の家で身動きが取れなくなった。少しは気持ちも晴れるかと散歩に出かけたのだ。
気候は暑すぎず寒すぎず丁度良い。風もさらりと吹いて、曇りにしては思いの外、心地よかった。住宅地を抜けて、植樹帯が途切れ視界が開けると共に、開放感が沸き上がる。息を深く吸った。東京のビル群では得ることのできない浄化された空気。瑞々しく若い稲。隔たりなく手足を伸ばす木々。同じであって同じではない天井までの距離。ほんの少し、私の沈んだ心も清く洗われるようだ。
通勤時に人間を消すために聴いていた音楽も、ここではもう必要ない。自然に耳を傾けた。半分は横を走る車の雑音、もう半分は鳥の鳴き声。カラスとヒヨドリは車のエンジンに負けていない。
日本家屋の横では、ツバメが鋭い振り子のように曲線を描いて舞い降り、雛たちはヂヂヂヂヂヂッと元気に答えを返した。彼らは、生命が何よりも尊いのだと呼び掛けているようだった。
私は独りこの道を進み続けた。山が近づくと、ウグイスが高くて長めの歌を響かせる。ホーーーーホケキョッ。街中で聞いた鶯はホーホケホケッケキョッと下手糞だった。田舎の鶯は上手く鳴く。時間がある分、一つのことに集中できるのだ。
彼らに比べて私は……何をしているのだろうか。パンデミック中でも、カナダにいこうと思えばいけたはずだ。ここで私が留まっていることに、何か意味はあるのだろうか。人生はどこへ向かっているのだろうか。
とぼとぼと歩いていたら、顔に靄がかかった。急な不快感に驚いて、あたふたと顔を擦る。アスファルトに中くらいの大きさの女郎蜘蛛がポトリと落ちて、慌てふためきながら植木の下に逃げていくのが見えた。ここは車社会。歩道にクモの巣が完成するほど長い間、人が通らなかったということか。それを私のせいで壊してしまった。呆気なく。蜘蛛は何日もかけて立派な家を造り上げたのだろう。申し訳ない。
しかし、蜘蛛は諦めるだろうか。明日には、また新たな場所を見つけて、せっせと糸を紡ぎ出す。きっと、なんてことはない。私の破壊で死ぬ運命だった蝶を救えた、などと都合の良い理由付けもしない。時間が進むように、命は進み続けるしかないのだ。
私もまた歩き出す。鳥たちは歌っては番い、虫たちは隠れる。花々は芳しく誘い、木々は背を伸ばして天を目指す。ありのままで、理由など考えない。この世で起こること全てに、生きるのに意味なんて必要ないのだと、田舎道は自然に、自然であることを教えてくれている。
ご清覧賜りまして誠にありがとうございます。
是酔芙蓉
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