「本を売る読者」の視点

30数年勤務した出版社を辞めてから、そろそろ1年半。
 
いろいろな巡り合わせがあって、今では東京都北区にある自宅の一部を「しかのいえ」の名で開放し、スペースレンタルや、様々なイベント、ストレッチサロン、色えんぴつ画教室、リコーダー教室、出版関係のサポート業務などをしている。

この7月からは、自宅の一室を別途新たに開放して、本とお茶を売る小さなスペースも設けた。 
 
住み開き本屋「しかのいえ本の茶屋」だ。

「住み開き」とは、この言葉を発明したアサダワタル氏によればプライベートなスペースの一部を時間限定で外部に開き、そこでイベントや会合、マルシェなど、あれこれしてみること。
 
アサダ氏曰く、すると……
 
「小さなコミュニティが生まれ、自分の仕事や趣味の活動が他者へと自然にかつ確実に共有されていくのだ。そこでは無論、金の縁ではなく、血縁でもなく、もはや地縁でも会社の縁でもない、それらが有機的に絡み合う『第三の縁』が結ばれるのだ」(『住み開き』筑摩書房・アサダワタル著・2012年刊・P14)。
 
しかのいえ本の茶屋という住み開き空間でも、様々な縁が錯綜し、新たな結びつきも生まれつつある。
  
すべて、旧知の方々や新たに知り合った地域の方々からのお力添えがあってこそ。
 
本当にもったいないこと、ありがたいこと。
 
感謝の一言に尽きる。
 

 
長年勤めてきた会社を辞めた経緯について、これまで私は仕事の関係者や、知人友人に対してできるだけ正直に語ってきた。
 
主な退社の理由はまず2つ。
 
①自分自身の業績不振と、
②事態を改善するために必要な人的・時間的コストが私の「持ち分」を超過していたことだ。
 
会社が私に期待していたものを実現するために、私には恥ずかしながら眠らずにすべての時間を使うか、来世分の時間を前借するくらいしか手が無かった。
 
そして説明の必要に応じて、私はここにもうひとつの理由を付け足した。
 
古参のスタッフであり会社の役員でもあった私には、共に働くスタッフが煮詰まって、たとえば来世がどうしたこうしたというような戯言を持ち出さずに済むように、抜本的なイノベーションを起こす道筋を率先して探る責任もあった。
 
私は、それにも失敗したのだと。
 
役員としての自分は、現場のスタッフとしての自分に安心して働ける居場所を用意してやれなかった。
 
自分で自分の尻を蹴っ飛ばし、自分自身を会社の外に放り出すしかなかったのだ……
 
こうして書いてみると何とも寒々しい話だし、忸怩たる思いと共に悔しさを拭い切れない。
 
大学の学部を卒業後、人生の最も活動的な期間の大部分を使って取り組んできた仕事から、まるで生木を裂くようにこの身を引きはがした。
 
言葉にならず、まだ沸騰し続けている思いもある。
 
しかし、だ。
 
私と同じような選択を迫られた人や、業界の中に踏みとどまりながらも突破口を見いだせず苦悶している人も少なくないのではないか?
 
出版社の外に身を置き、ある程度の時間が経ってみると、そんな気がしてならない。
 
「出版不況」と言われ始めて既に四半世紀近くが経過した。
 
この間、本屋さんの数も紙の本の売り上げも半分くらいに減り、なお減り続けている。
 
最早、不可逆的な「傾向」と言ってもいいような業績の全体的な右肩下がりによって、街角からは小さな本屋さんが次々と姿を消し、私たちの日々の暮らしと「本」の接点も日増しに減っていっているように見える。
 
でも、出版社の中にいた者としてこれだけは断言できるけれど、作り手にも売り手にも怠けている人なんてほとんどいないのだ。
 
実力の差や仕事の上手い下手こそあれど、かつての私がそうだったように、みんなシャカリキになって働いている。
 
それでもまだ足りない。
 
足りなくて止らない右肩下がりだからこそ、本当に恐ろしい。
 
そうではないか?
 
もちろん1年半前の私と同じように、業界全体で眠らないとか、来世から時間を前借するようなわけにもいかない。
 
がんばりたくてもがんばりようがない。

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