〈3.もし僕がハーバー大学で佐賀をアピールしたら〜忍者〜〉
佐賀は忍者の里です。日本には忍者の里が3つあります。伊賀と甲賀、そして佐賀です。
佐賀の嬉野という町には忍者村があります。今の日本にはホントの忍者はいませんが、嬉野には忍者の文化を大切に守る人がいます。
嬉野にある忍者村は肥前夢街道という名前のテーマパークです。肥前夢街道はもともと南蛮貿易のための長崎街道の様子を再現したテーマパークだったんですが、お客さんが減って人気回復のために忍者のテーマパークにイメージを変えた所、V字回復して大人気になりました。
本来の忍者はもともと戦国時代に戦国武将に使われたスパイだったんですが、平和な江戸時代になると殆んどはその役割を失ないました。
ただし佐賀の忍者にはその後も重要な役割がありました。それは国境警備のための情報収集です。
明治時代の開国の時、日本で最初に産業革命が起こったのは佐賀でしたが、その時に忍者が集めた情報が役立ったと言われています。
次に神社の教えについて説明します。
神社の教えの1つに「災い転じて福となす」というものがあります。
佐賀は洪水の起きやすい土地です。放っておくと雨が降るたびに浸水して水浸しになります。
ですが佐賀の人はそれを逆手にとって水路をたくさん作り、大雨の時にその水を流すと同時に生活用水や農業用水を採り、国防のためのお堀、そして遠い町から船で運ばれた品物を小舟に乗せ替えて町の隅々まで運ぶ運河としても使い、佐賀を繁栄させました。
現代人にとって災害は人が困るだけですが、昔の日本人は災害は神様が起こすもので、神様は時に怒りますが、普段は人間に恵みを与えてくれると信じていました。神様が起こす災害は人間に恵みを与えるための創造的破壊でした。
僕は未来に日本のそんな教えを残したいと思います。
つづく