〈36.アートは笑う〉
《4階 高級アート》
4階に昇った。そこは特に高級なアートのコーナーだった。このコーナーには中国人の爆買いツアーらしき人たちが大勢いた。
「この辺にあるアートは特に値段が高いね。アートって何でこんなに値段が高いんだろう?」
「それはいい着眼点だ。お金持ちの財産としてのアートの価値だね」
アーサーくんはアンジュちゃんの着眼点を褒めた。
「アートの価値は需要と供給で決まる。絵を欲しがる人が多ければ値段は上がるし、欲しがる人が多い割に供給が少なければもっと上がる。1つの絵を2人の人が欲しがったとしたら、どちらかが諦めるまで値段は上がり続ける。そういう風にして値段が決まる。
無名なアーティストのアートを買った後でそのアーティストが有名になればそのアートが高くなる。アートには転売価値がある。買った値段と同じかそれ以上で売れる可能性がある。儲けを狙って買う場合もあるし、財産を貯金だけでなくアートという形でも取っておこうと考える人もいる。
お金持ちにはお金が有り余ってるのだ。使い道に困ったお金がアートに使われる」
アーサーくんの言葉にまほろちゃんは笑った。
「お金が有り余るということはあるかもしれないけど、使い道に困るということあるかしら? お金はどんなに多く持ちすぎても困ることないんじゃない?」
「実はそれが困ることがあるのだよ。お金はいろんな理由で減るのだ」
「盗まれるとか?」
アンジュちゃんは推測した。
「それもあるが他にもいろいろな理由がある。例えばインフレと言って社会全体で物価が上がる。するとお金の価値が下がるのだ。そうすると財産として貯金しか持ってない人は損する。だけどインフレの時はアート作品の値段も上がる傾向がある。だからアートを買うのだ。
他にも税金が取られるからという理由もある。財産をアートという形で持ってると取られる税金が少なくて済む」
「お金持ちにはお金持ちの悩みがあるのね」
まほろちゃんは納得した。
「それにイメージダウンという問題もある。財産を金銀財宝で宝石ジャラジャラさせて持っていると成金だと思われる。だが絵画を飾ってると感性豊かな人だと思ってもらえる。アートはイメージダウンからお金持ちを守るのだ。
高級ブランド品を買う人の中には単に見栄を張ってるだけの人もいる。お金持ちしか持てないような高級品を自分が持っているということだ。本当のお金持ちならお金持ち気分を味わう必要はないからそんな無駄な贅沢はしない」
そういうアーサーくんに対してダイアナさんはこう言った。
「高級品の競売では自分以外誰も買えないくらい高い値段で買うのを競い合ったりするじゃない?
だけど最近では教科書にも乗るような名画がインド人に買われたとか、インドネシア人に買われたといった話も聞くわ。そういう名画がどこの国の人に買われたかというのはどこの国が先進国かを示してるわ。もう白人が世界一お金持ちという時代は終わったのよ」
アーサーくんは続けた。
「アートは人脈作りの手段として使われることがある。社交パーティーの華としてのアートだ。
アートを高い値段で売買するのは、価値を理解できない者に渡したくないという思いもある。
高級ブランド品と同じ品質の服を普通の町工場が作ろうとしたら簡単に作れる。ただしそれを高級ブランド品と同じ値段で売ろうとしても売れない。ブランドイメージ作りとお金持ちとの交流を通じて少しずつステータスを身につけてきたからである。」
僕はそれに共感した。
「お金持ち版、仲良しやり取りだね。」
「単にお金持ちというだけでなく貴族としての品格が大切だ」
するとキングくんも共感した。
「サプールも同じだ。サプールが何でコンゴのためになるか理解出来てない人に高級な服を着せても意味ないからな。」
「その通り。政治経済を理解して国際社会に精通してる人ならそういう場で社会を平和で豊かにするために適切な行動が取れる。アートや宗教を理解するのも同じだ。社会を平和にする上で社交ほど大切なものはないからね。
世の中に豊かな資源や商品があったとしてもそれが行き渡らない場合もある。景気が悪くて売りたくても売れない、買いたくても買えないという場合だ。
だから豊かさを分かち合いましょうという話になるが、そのためにお金があるだけじゃ足りない。お金も貯金して貯め込む人がいるからね。いくらみんな仲良くしようという考えを持っていたとしても、実際には誰とでも仲良くするわけにはいかない。裏切りがあるかもしれないから。
そこでやり取りに理由が必要である。それが社交パーティーであり、アートである」
《5階 宗教芸術》
僕たちは最上階5階に昇った。そこは宗教芸術のコーナーだった。そこは人が少なかった。車椅子に乗って押してもらってるおじいさんがいた。
「熱心に宗教を信じる人はその教えが素晴らしいと考える。正しいことが美しいという真善美の考えだ」
そういうアーサーくんに対してダイアナさんは、
「宗教性のみで価値を高めるのは、変な宗教が壺を高く売るのと同じ理屈よね」
とつっこんだ。
キングくんが教えてくれた。
「キリスト教ではキリスト教の歌を作ることが許可されてる。誰でもクリスマスソングを自由に作れるんだ。そうやって作られたキリスト教の歌をCCM(コンテンポラリークリスチャンミュージック)と呼ぶんだぜ。
『天使にラブソングを』っていう映画あるだろ?」
「知ってる。私の好きな映画だ」
まほろちゃんは共感した。
「あの映画に出てくる『I will follow Him.』という曲もキリスト教の歌だ。この曲のおかげでキリスト教を信じる人が増えて、キリスト教ソングを作る人も増えて、CCMが音楽の一大ジャンルになったんだ。
だけどこの曲はキリスト教の歌でありながらCCMと認められてない」
「どうして?」
まほろちゃんはふしぎがった。
「キリスト教のイベントを世俗の人と一緒には楽しみたくないということさ。
宗教熱心な人は世俗を否定してあくまで世俗とは別の世界に行きたがる。宗教熱心な人は、世俗の人々をエゴだといって、それと比べて自分たちは真面目だと言いたがる。
俺はクリスマスのようなイベントでは宗教熱心かどうかに関係なくみんなが笑顔になるといったことが一番大切だと思うけどな」
「全く同感である」
アーサーくんが拍手喝采した。
「最近のアメリカでは公の場でメリークリスマスと言うことさえ禁止されてる」
するとまほろちゃんは、
「日本では普通にメリークリスマスって言っていいわよ」
と言った。
そういうまほろちゃんにダイアナさんは、
「禁止された理由はキリスト教以外の人への配慮のためよ。アメリカにはキリスト教以外の人もいるのよ。日本人はそんなことも知らなかったら国際社会から置いて行かれるわよ」
と忠告した。アンさんは言った。
「絶対『メリークリスマス』って言える方が自由だと思う」
僕もこう推測した。
「アメリカでクリスマスソングが否定されるのは嫉妬のためだと思う。クリスマスソングは毎年繰り返しかかるから歌手に入ってくる印税が桁違いに多いんだ」
キングくんはこう語った。
「俺は本当の理由はキリスト教迫害のためだと思う。アメリカではキリスト教とリベラルの対立が起きてる。『All I want for Christmas is you.』を歌ったマライアキャリーさんはそんなに宗教熱心な人じゃないけどクリスマスソングを流行らせたことでリベラルを怒らせちまった。そこでキリスト教に対抗するために担ぎ出されたのが『Born this way.』を歌ったレディーガガさんって訳だ」
「アーティストも言い争いに巻き込まれることあるんだ」
アンジュちゃんは悲しげな顔した。
ダイアナさんはこう言った。
「でもリベラル派のアーティストも迫害されてるわよ。ニューヨークのストリートアーティストが逮捕されてるの」
「何で絵を描くだけの人が逮捕されるの?」
アンジュちゃんの質問にダイアナさんは答えた。
「ストリートでの販売が治安を乱すということなの。盗まれやすいから被害者として危ないし、それに麻薬の売買の隠れ蓑になってるの。
でもそれは表向きの理由よ。アーティストが捕まってる本当の理由はアートが反権力のための抗議の手段だと思われてるからなの。
アーティストが必ずしも反権力だとは限らない。だけど行政は反権力だと疑うとすぐ逮捕する。抗議するつもりのない人まで抗議してると決めつけてる」
アーサーくんはこう言った。
「SNSで有名な人がアンチコメントを受けたり芸能人がスキャンダル攻撃を受けたりすることもあるから、それと同じだと考えられる。有名になれることへの嫉妬もあるだろうな」
「じゃあアーティストが逮捕される問題は僕たち庶民が日常に接してる問題と同じなんだ」
僕は納得した。
アーサーくんは言った。
「反権力の絵画といえば風刺画だ。宗教や政治家を侮辱した絵を描いた者が訴えられたり暴漢に襲われたりする」
ダイアナさんはこう言った。
「似顔絵みたいに面白おかしく大げさに描く場合もあるけど、事実をそのまま見た通りに描く場合もあるわ。何かをそのまま見た通りに描いて、それでおかしく見えるとすれば、それは絵がおかしいんじゃなくてその人がおかしいのよ。
それが風刺画の一つの目的、事実の指摘よ。だからそういう絵は写実主義なの」
するとアーサーくんは言った。
「それだけじゃない。怪しい者同士の社交の場になってるからだ。出会ってはいけない人同士の出会いの場になっている」
アンジュちゃんはふしぎに思う。
「世の中に仲良くしちゃいけない人なんていないんじゃない?」
「もちろん理想論としてはそうだよ。だが『みんな仲良く』を邪魔する人もいる。『みんな仲良く』を邪魔して稼ごうとする人と『みんな仲良く』を邪魔する力を持った人が出会うと大変なことになる」
「例えば?」
僕の質問にキングくんがこう答えた。
「コンゴでお金持ちと権力者が口裏を合わせて搾取を隠すとか」
それに対して僕は聞いた。
「それは権力主義の立場で出会ってはいけない人が出会う例だけど、反権力の立場で出会ってはいけない人が出会う例は?」
「警備員と泥棒が出会って犯罪を隠すとか。アートに損害保険をかけてコッソリ盗むと保険金を騙し盗ることが出来る」
僕はまた聞いた。
「それは明らかに誰が見ても悪いことだけど、別に悪いことしないのに邪魔だから消される場合の例は?」
するとアーサーくんが答えてくれた。
「『庶民には理解できないアートを自分だけが理解できる』というウリで商売してる人がいたとする。その人にとっては多くの人に簡単にアートを理解されたら営業妨害。『日本的なやり方の問題点を改善する』という売りで商売してる人にとっては、日本的なやり方で交流したいという国の人は営業妨害という訳だ」
「つまり人脈の仲介役を独占するってこと?」
僕は理解した。ダイアナさんはこう言った。
「つまり支配者が出合わせくないと思ってる人同士は、支配を終わらせるためにはむしろ出合った方がいいってことじゃない?」
またアーサーくんが言った。
「例えば歌手と呼ばれるためには曲が100万回以上歌が聴かれないといけないという風に歌手の定義を厳しくしたがる人がいる。高く評価されているアーティストを天才芸術家だと持ち上げてる人にとって、そんな天才芸術家に簡単になれると思われたら権威のメッキが剥がれる。」
アンさんはまた別の例えを出した。
「東京ガールズコレクションで奇抜なアーティスティックな服装を見せようとしたんだけど、その服をちょっと太った男性のお笑い芸人に着させて歩いてもらうということがあったの。アーティスティックなイメージは台無しになったけど観客にはウケたの」
「意外な組み合わせでコラボしたら権威にすがる人のメッキが剥がれるってことだね」
僕は納得した。アーサーくんはこう断言した。
「権威主義のメッキなど剥がれた方がよいのだ。アートの権威に価値があるという思うのは転売価値しか考えないのと同じで、アートの美しさ自体に価値を感じてはいない。学歴主義で学んだ知識自体を役立てないのと同じだ」
「学歴で評価を求めるだけで、学んだ知識を役立てないのが、権威主義と一緒ってこと?」
「他人にとっての価値ではなく自分にとっての価値は何か?ということが大切だ」
アーサーくんは語る。
「ある絵が人に共感され、同じように絵に共感した人同士が繋がり、交流が生まれることもある。そしてそこでまた新しいアートが生まれる」
僕は共感した。
「まさに未来メルヘンだね」
「だが1つの絵が道徳的な人に共感されると同時に反社会的な人にも共感されるということはあり得る。1つのアートが人によっていろんな風に解釈され、それによって意味が全然違ってくる」
ダイアナさんは言った。
「芸術は戦いよ。一見、その人を讃えてるように見せかけて実は風刺しているという場合もあるわ。社会を美しく描いてるように見せかけて皮肉を言ってるのよ」
キングくんも言った。
「ダイアナさんのモデルの仕事も戦いじゃないか?」
「見る人はみんな皮肉を理解してるけど、権力批判をやめさせようとする役人だけが気づかないの」
ダイアナさんは主張した。
僕たちは宗教画の一つに目を向けた。富士山の壁絵をバックに銭湯に入っている人々の姿。阿弥陀仏(あみだぶつ)の刺青(いれずみ)をした大男や女性など大勢の人が混浴で一緒にお風呂に入っている。
「素晴らしい。日本の原風景だ」
アーサーくんは感動した。それに対してダイアナさんは水を差す。
「何言ってるの? これは皮肉よ。この絵は仏が世俗のものだと言いたいのよ」
七福神の恵比寿様がサンタクロースの格好して家にプレゼントを配ってる絵を見つけた。これも他のみんなは賞賛したけど、ダイアナさんは宗教画を次々に見て、その美しさを皮肉だと言って笑い飛ばした。
グリーンスリーブスというタイトルの絵を見つけた。綺麗な女性が立っていてその周りに服などが置いてあった。グレーンスリーブスとは昔の宮廷音楽で、現代では電話の待ち受けなどに使われる有名な曲だった。
「グリーンスリーブスは宮廷音楽として有名だけど、実は性的に奔放な女性だったのよ。これも皮肉よ」
するとアーサーくんはダイアナさんが気づかなかった点を指摘した。
「見たまえ。ここに魔女の帽子と杖がある。グリーンスリーブスは魔女狩りされた魔女のためのレクイエムだという説がある。おそらくその説を暗示してるのだろう」
「へぇ、そんな説があるんだ」
他のみんなは感心した。
「平和主義を訴えているだけなのに変な宗教だと思われる場合もある」
アーサーくんがそう言うと僕は共感した。
「分かる。僕も平和な未来を小説に描いて、無償の愛を広めましょうと言ってるだけなのに、変な宗教だと思われたり、現在の現実社会を否定してると思われたりする」
つづく