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上坂すみれの「恋する図形(cubic futurismo) 」を読み解く

ふと、2016年に発表された名曲、上坂すみれの「恋する図形(cubic futurismo) 」が、生成AIも含めた現状を明確に予言していたよなと思ったので書き始めてみた。

この曲は、MVとしての出来が本当に素晴らしくて定期的に見てしまうのだけれど、まずはその素晴らしさを言語化してみようと思う。
無粋と言われればそれまでだけど、上坂すみれと彼女を中心としたグループの非凡さが伝わればうれしい。
最初に歌詞について、後半でVideoとの関係をいくつかの記事に分けて徐々に紹介していきたい。ただ、この音楽はMVとして受容することを前提としているので、Videoを見ないと歌詞の意図の理解が難しい点も多い。

歌詞について

曲のタイトル

この「恋する図形(cubic futurismo) 」というタイトルは、2次元を愛する我々(2次オタ(2.5次元など広い意味で取ってほしい。ここでは2次オタと表現させてもらう))が将来どうなるか(futurism)について考えたい音楽だよという事を宣言している。そして実際そうであるというのは、この後を読んでいただければわかる。

第一節(2次オタの定義)

第一節歌詞(引用

キュビズムというのは、ピカソなどで有名なように、

それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し、いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収めた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%93%E3%82%B9%E3%83%A0

という絵画の方法である。一人のキャラクターを色々な面から、多面的に描き、描かれたものを楽しむ。美術館に展示されているような気合の入った一枚のアート(笑)をじっくり時間をかけて楽しむようなシュプレマティスム(絶対主義、至高主義)とは異なるのが2次オタのあり方だよなって感じ。
アート(ART)なんて表現手法はこれからの時代にそぐわないよ、問題があるよ!

第二節-1

第二節-1歌詞

さっき定義したARTに変わる新しいカルチャー、これこそ革新的な楽しみ方(嗜好)だよね。これこそが論理的に正しくて、理想的な嫁を描いて愛して行く、自分の中で自己完結しているのが理想的だよね!
ここで、ファム・ファタールというのは、

ファム・ファタール: femme fatale)(或いはファム・ファタル)は、男にとっての「運命の女」(運命的な恋愛の相手、もしくは赤い糸で結ばれた相手)というのが元々の意味であるが、同時に「男を破滅させる魔性の女」のことを指す場合が多い[1]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB#:~:text=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB%EF%BC%88%E4%BB%8F%3A%20femme,%E3%82%92%E6%8C%87%E3%81%99%E5%A0%B4%E5%90%88%E3%81%8C%E5%A4%9A%E3%81%84%E3%80%82

いわゆる俺の嫁のことです。後半の「魔性の女」をどこまで意識しているかはわかりません。

第二節-2

第二節-2歌詞

2次オタとしては、2次元(絵)を楽しむわけですが、だんだんあっちから見たりこっちから見たり、色々な視点(パースペクティブ)から主体的に鑑賞させてくれという気持ちがふつふつと湧いてきます。色々な視点から3次元的に絵を楽しみたい。2次元(絵)だった次元に、介入したくなってくるのです。

第三節

第三節歌詞

2次元だった絵に加入することで、より次元があがった俺の嫁はフィギュアみたいな立体として私が生きる現実世界に現れ、交差します。
理想の嫁、言ってみればイデアみたいな形而上の存在だったはずの俺の嫁が、なんか立体として現実にあらわれてしまった。これは言ってみれば本末転倒でシュールな出来事です。コンストラクティビズムとは、

社会構成主義 / 構成主義(コンストラクティビズム、(social) constructivism)は、国際関係の重要な側面が、人間の本性あるいは世界政治におけるそのほかの本質的な性質の不可避の帰結というよりもむしろ歴史的かつ社会的に左右されるものだと主張する国際関係論の学派である[1]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%A7%8B%E6%88%90%E4%B8%BB%E7%BE%A9_(%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%96%A2%E4%BF%82%E5%AD%A6)

ということで、このシュールな出来事は本質的な帰結ではなく、偶然的な、歴史により生じた悲劇だよねっと仕切り直しているようなニュアンスでしょうか?

第四節

第四節歌詞

仕切り直して、ちょっと感情方面で2次オタを定義することにしましょう。俺の嫁とは、沢山のメモリーから生まれる感情によって構成(フォルム)されるのです。
その中で、絵って視線によって切り取られたキャラクターの一側面、表現でしかなくて、本質的なものではありません。

フォーヴィスム: Fauvisme、野獣派)は、20世紀初頭の絵画運動の名称。ルネサンス以降の伝統である写実主義とは決別し、目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を表現した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%A0

心が感じる色彩、恋愛感情が重要で、目に見える色彩、絵は副産物みたいなものなのです。恋愛感情こそが俺の嫁の本質なんだ。
でも、俺の嫁のことを知りたいから表現はだんだん過激に、エッチになっていきます。これまでと同じような絵じゃドキドキが、恋愛感情が生まれません。何か他とは違ったアヴァンギャルドな驚きをもたらしてくれるような、一瞬で恋に落ちるほど印象的な輝きを私は欲してしまうのです。

第五節&第六節

第五節&第六節歌詞

そしてそんなワンパターン(単一性志向)の繰り返しになります。
俺って何やってるんだっけ(WHAT YOU MAKE?)。過激でただならない絵(VISION)をワンパターンに並べる美術館(EXHIBITION)みたいです。
キャラクターを表現した文章の意味、フィギュアで現れる形、2.5次元など、抽象的なもの、具象的(実際に物質として存在する)なものが渾然一体にMIXされています。果てはハンドメイドな2次創作者が神(MUSE)扱いされるようになってきて、もっとミニマルで根源的な好きっていう感覚(FEEL)から始まったはずなのに、こんな観念的でよくわからない状況が永遠にLOOPして続いていくの!?これが求めてたことだっけ???

まずはここまで

という感じで、歌詞についてこのような形で言語化していきたいと思います。いい曲ってリズムだけでも心地よいので、歌詞を深く追っかけないで聴いてしまうことも多いですが、この曲に限らず歌詞まで深く読み解くと更に良さが見えてくる音楽は多いのではないでしょうか?
歌詞にあまり注目されていなかった方も、この記事をきっかけにして、この後続く第七節以降の歌詞も、もしかしたら読み解いていただけるのではと思います。色々な人の読み解き方を教えてもらえると嬉しいです。
それではまた。

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