1年間ひたすらUI設計に関わって、情報に向き合った話と2018年振り返り
自分の2018年は振り返ると、「ひたすら現場で汗をかいた」1年だったと思います。もともと現在の会社に移ってきたのも「自分自身の知識、スキルをつねにアップデートし続けられる圧倒的に成長できる課題がある場所」を求めてのことだったので、そういう意味でこの1年は自分にとって「現場で体感できる“生きた”知見を多く吸収できた」年になりました。
個人的にデザイン界隈の軽い振り返り2018
デザイン業界にも大きな動きがありました。2018年5月23日、経済産業省・特許庁が「産業競争力とデザインを考える研究会」の一環として、「デザイン経営宣言」を発表、「デザインと経営」について、明言したのは印象的でした。
また、デザイナーの情報発信も活発になった一年だったと思います。Basecampの坪田さんが主催するCXO nightや、Designshipのような大規模なデザインカンファレンス、Designscrambleのような場とデザインの掛け合わせのようなイベント、THE GUILDの深津さんがCXOに就任してからのnoteでの情報発信など、、、デザイナーのプロトコルがデザイナーたちの情報発信によって外に開かれ始めた1年になったような気がします。
ひたすら業務システム開発で泥臭くやった1年
翻って僕はというと、ひたすらとある業務システムの大規模な開発プロジェクトに関わり、その中でUX/UI デザインをリードするロールとして、業務要件定義→基本設計→外部設計とウォーターフォールなプロセスで、ひたすらUI設計と向き合いました。
その中で、ひさびさにModeless / Modal、OOUIといった概念を反芻し、現場の状況と相まって、数年ごしに大きな腹落ち感を得ました。この感じは自分の中でも大きかったと思います。
プロジェクトに関わる中で、システム開発、とくに大規模なSI案件においてデザイン上気をつけるべきポイントがあることに気がつきました。
1. 「タスク」を「情報」に分解すること
2. デザイナーは「形を作る」ことに固執することが大事
1. 「タスク」を「情報」に分解すること
業務システムにおいては、「ユーザタスクを意識しすぎると設計上非常に複雑なUIになってしまう問題」があります。
業務システムが対象とする業務は、多岐に渡っており、そのそれぞれをベースにUIや構造設計を行なっていくと、業務を網羅できないか、網羅できたとしてもシステムの入り口が複雑すぎて、とても使いやすいものにはならない、、、ので、これをどうするか、と思っていた時にたまたま「Modeless / Modal」の話を目にして、数年越しに腹落ち感を得ることができたというわけです。
業務システムにおいて重要なのは、「アクセスしたい情報のグループ(オブジェクト)」がいくつあり、そのオブジェクトに対するデータはどういう構造になっているのか、というユニークなデータモデルを設計した上で、そこに対するアクセスパスとしての導線を設計する、というプロセスを取った方がシステムを不必要に膨張させることが防げるのでは、と思います。
そのために、業務フローやユースケース、カスタマージャーニーなどといった、ユーザの利用シーンを把握するメソッドやドキュメント上定義される、「業務」や「タスク」を平準化して、オブジェクトとデータに変換するプロセスをかませたほうがいい、と思いました。
業務やタスクを分解して、「情報」にバラしていき、それを統合して構造化する、という分解と統合のプロセスの重要性を強く感じました。
2. デザイナーは「形を作ること」に固執することが大事
今回、大規模なSIプロジェクトにUX/UIデザインのロールとして入っておもったことは、「業務要件を基本設計に噛み砕く存在が必要」ということでした。
よくある構図としては、要求事項を出すビジネスステークホルダーとしては「業務要件出したのだから、これをもとに設計してよ」となり、要求を受ける開発側は「抽象度が高すぎてこれでは設計できません」となって押し問答状態に陥るというケースは少なくないのではないかと思います。
僕はここにデザイナーが活躍できる場があると思いました。
前項「1.」で見たようなタスクを情報に分解して、システムの形に統合していくプロセスはまさに業務要件の抽象度を基本設計が可能なレベルに具体化する行為でもあります。
ここで、Business - Technologyの間にDesignが入り間をとりもつ動きをすることで、ステークホルダー間のコミュニケーションを円滑にすることができます。
ぼくはずっとインフォメーションアーキテクトを名乗ってきているのですが、インフォメーションはin-form(形を与える)という意味があります。また、Informationの語源のInformatioには「アイデアを形にする」という意味もあります。
僕は、デザイナーはつねに「形を作る」こと、もっと言うと「曖昧なものに形を与え、命を吹き込む」ことに固執することが大事だと感じます。
「1.」「2.」で見てきたプロセスは、ともに曖昧な概念を分解してメタ化したあとに形として統合し、具体的な物として定着させる行為です。
これがすなわち「設計」であり「設計」に「思想」を吹き込む行為だと思いました。
ちょっと前にTakram Castでパナソニックのデザイン組織「FLUX」の話が出ていて、FLUXでのデザインのアプローチは「考える、気づく、作る、伝える」という4つに分かれているそうです。
UXデザインは最初の二つ、考える、気づく、だとするとUIデザインは「気づく、作る」、作られた形は組織の中でプロトコルとして機能し、そのプロトコルをもとにコミュニケーションを取ることでデザインが「伝わる」状況が作られる。
デザイナーが求められる役割は、「曖昧なものに形と命を吹き込み、組織のなかの共通プロトコルを作る」と言えるのではないかな、と思います。
また、プロトコルをさまざまなレイヤー(経営、ビジネス、システム開発)にわたって行えるバランス感覚を持った人材が経営とデザインをつなぐ人材になってくるのではないかと思っています。
この1年、いろいろ試行錯誤して気づけたのは大きかったと思います。
この1年を経て、40を前にして思うこと
長くなりましたが最後に。
1年間、ものすごいスピード、かついろいろな気づきを得ることができたわけですが、来年40歳になります。
今年得た気づきと40を前にして、ということで生き方の部分でも考えるところがいくつかありました。
先を見るよりも足元を固める
これまで、いろいろなキャリアを積んできて、その場その場でいろいろ思ってきたわけなのですが、今思っているのは「目標を短期的に設定して、つねに足元を固める」ことに意識するということです。
理想と現状、ビジョンと現実、という二元論的な思考は他責に陥りやすく、理想に近づけない状況を環境のせいに転嫁してしまいがちだと思います。理想と現状、という比較ではなく、1日1日にチェックポイントを設定して、その積み上げでスキルとキャリアを考える、という思考に切り替えると不満や不平や課題のようなネガティブ因子に時間を割くことなく、自分のパフォーマンスも最適化できると思っているので、「先を見過ぎないようにする」というスタンスもありかな、と思ったりしています。
でも長期的な目標は「宣言」する
現状の積み重ねがキャリアを作る、という考え方の一方で長期的な目標を「宣言」だけすることも重要なのかな、と思っています。
たとえば、2025年までに〇〇する!とかでもいいと思うのですが、それを心のどこかに思っていると、不思議とそういう風に潜在的に行動する、という言霊的なことはあるとおもっていて、今、着実に足元を踏み固める一方でゆるく長期的な目標は宣言する、という二つの観点をもっていれば、自分をしっかりと育み、かつ目標の宣言を高いハードルに設定すればするほど、結果的には自分をストレッチさせることができるのかな、と思います。
要は理想やビジョンが先行しすぎないように、足元を着実にやろうよ、と常に自分に言い聞かせるようにしています。
まどわず、くぎらず
孔子は「論語」の中で、15で志学、30で而立、40で不惑、50で知命、60で耳順、70で従心と言っていますが、不惑には「まどう」という惑を充てる説と、「くぎる」という或を充てる説があるそうです。
30代は而立とあるとおり、自分の人格やスキルやキャリアをある程度築いて自分の形を整えた10年になりました。
40代は自分の形を、広げたり、いろいろなものを混ぜ合わせたり、さらに変化させて新しい自分を作る10年としたい、という意味で「不或(くぎりをつけない)」10年としたいと思います。
子どもの頃から図鑑や百科事典が大好きで、知識の泉に触れては無知であることを知り、無知であるからこそ、さらに知りたい、もっといろいろなものを体験したい、という好奇心を原動力にここまでやってきました。
40代はその好奇心を枯らせることなく、さらに育てていく10年にもしたいと思っています。
知識に触れることで、言葉を磨き、思考を磨き、感性を磨く、ということを意識的にやっていこうと思います。
最後に今年読んだ本の中で一番印象的だった幻冬社見城徹さんの「読書という荒野」より。
日々を自己検証しながら圧倒的努力で生きる。やがて結果が積み上がる。目指していたものに手が届く。実現する。その時、静かに噛みしめるようにこれが自分の夢だったんだと語ればいい。(中略)
実践者になるということは血を流したり、返り血を浴びたりしながら、清濁併せ呑むことを意味する。人間は認識者から実践者になることで真に熟成し、人生を生き始める事ができる。
ー 読書という荒野 : 見城徹
みなさま、良いお年をお迎えください。