華僑心理学No.1 公平さとは何か
こんにちは、こうみくです。
先日、医学部の女性受験生の差別のニュースを見て、公平さについて、改めて整理してみました。
「何を公平とするか?何がフェアなのか?」
という価値観は、文化によって異なる一方、ビジネス等両者間で協業する際に非常に大切な部分であり、この根幹となる価値観がずれると、大きなトラブルの元になる。よって、今回は中国の大学受験のシステムから、華僑的公平性に関する価値観について、紐解いていきたい。
1.華僑の価値観:実力値=個人の能力+運+友人知人の総力
1.1 大学受験の定員/足切り点数は地域によって変動
中国における大学入試の最大の特徴は、大学が受験生の住む地域*ごとに合格枠を設定している点である。(*正確には戸籍登録地。)
下記表は、中国の東大こと、北京大学と精華大学の2017年の受験データである。北京市の合格者率(录取率)が0.913%と、他地域と比べて群を抜いて高いことが、お分かりいただけるだろうか。
これは、両校共北京市に位置しており、地元の学生に優遇措置を取っているためである。更に、ラサ地区(西藏)や青海省といった経済貧困地区に対しては、支援という形で、試験成績が低くても受験生が入学できるよう優遇制度が敷かれている。(それでも当該地域の合格率が低いのは、教育レベルが全体的に低いため)
従って、合格点のボーダーも必然的に地域によって異なり、同じ700点を取ったとしても、北京市に戸籍を置くAくんは合格だが、上海市戸籍のB君は不合格という事態が多発する。
そして、どの地域に対して、どの学部が、どの数の定員が割り当てられるかに関しては、国策により毎年調整されるため、目指していた大学や学部の定員がいきなり激減、なんということも全然ありうる。
よって、コントロール不能な時流や運に大きく左右されるのが、中国流大学受験の大きな特徴である。
1.2 奨学金は成績対象者対象の給付型のみ
では、合格点は超えたけれども、家庭の金銭的な事情で、入学金・学費が払えないという場合は、どういう扱いになるだろうか。
結論から言うと、貧しい学生対象の救済目的の奨学金はあるものの、基本的に成績優秀者向けの給付型のみであるため、定員は限定的である。近年、中国の経済発展により、徐々に給付者が増えてはいるものの、日本学生支援機構による、申請者ほぼ全員に行き渡る奨学金とは、性質が全く違うのだ。
つまり、入学試験に合格後、奨学金を申請しても、もらえない、なんてことも全然ある。
そうなった場合、親戚知人友人から気合で掻き集めるか、進学を諦めるか、という二択となる。ここで特筆したいのは、例え結果的に資金を用意できずに進学できなかった場合、当事者も周りも「お金を準備できなかった側が悪いよね。仕方ない。」と考えることが一般的であり、「こんなの教育格差だ!差別だ!社会が悪い!国が悪い!」という発想には至らない(0とは言わないが、聞いたことがない)。ここが日本人のとの大きな思考の違いである。
2.華僑の価値観:公平さ=ギリギリラインでの総合格闘技
2.1 華僑ビジネスマンは、日本人ビジネスマンの怒りを理解出来ない
大学受験の一例で分かったように、中国で生まれ育った華僑ビジネスマンにとっては、子ども時代の頃から、自力ではどうしようもない前提条件の違いも、政府の突然の方針変更も、問題解決を測るために知人友人の力を総出させることも、すべて慣れっこで、当たり前なのだ。良くも悪くも、世間とはそういうものであり、その中で戦っていけないと認識している。
典型的な華僑と日本人の価値観の違いは、このようになる。
よって、ビジネスの場で、政府からの外資規制、突然の法律変更、取引先からの契約条件変更、はしご外し、競合企業の模倣に対して、「モラルがなっていない。あり得ない」という日本人の怒りを、中国人は理解できない。
悪気があるわけではなく、純粋に、理解ができないのだ。だって、小さいころから、国って、社会って、そういうものだったから。
2.2 法律さえ守っていればOK。ギリギリラインを攻めるのは格好いい。法律を換えられたら、最強。
大学受験を例にとると、日本人的価値観では、生まれ育った経済環境や性別といったコントロール不可能な運的要素をならした上で、純粋な個人の能力(学力)で勝負することが公平とされる。
一方中国では、①個人の能力(学力)+②運(生まれ育った地域、国や大学の方針)+③友人知人の総力(経済力)の足し合わせで勝負することが公平とされる。いわば、総合格闘技である。
とはいえ、賄賂の取締りが厳しくなったりと、③の要素は少しずつ薄れているが、日本的価値観とは比べ物にはならないほど、未だ色濃く残っていることも事実である。そして、ルールのギリギリラインを攻めれば攻めるほど、格好いいとされている。
代表的な話として、3年前に、わたしは日本人と中国人の友人と3人で、Apple社やStarbucks社が採用していたグレーな節税手法のセミナーを受けたことがある。
説明を聞いた後、「けしからんな…」と眉をひそめていた日本人同僚の横で、「なんと素晴らしい。早速自分の会社でも取り入れたい…!」と中国人の友人は眼をキラキラと輝かせていた。この差こそ、日中の公平観や正義感の差を如実にもの語っている。
また、「规矩是死的,人是活的」という言葉が有り、「ルールなんて、人間が決めたものだから、いくらでも変えられる」という意味の通り、「ルールなんて所詮、同じ人間が作ったものだ。気に入らなかったら、変えてみろ。」というニュアンスを持つ。そして、変えることができた人が最強であり、大勝利とされるため、皆、交渉に熱を上げるのである。
ルール違反は格好悪い、はしたない、という日本の価値観と真逆なのだ。
<今日の華僑的価値観のまとめ>
①実力=個人の能力+運+友人知人の総力
②法律の中で勝負できるのであれば、公平性は担保される
③ルールギリギリのラインを攻めるのが格好いい
④ルールを変えられたらより最強
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