バボのキママな日 #68 『同じ日のことを思い出す4月がまた来た。』
今日は4月5日。僕が大好きなバンドNirvanaのKurt Cobainの命日だ。そしてこの日は僕が音楽で生きていくことを志した日でもある。4月が来るたびにまたこの季節が来たと感じる。
今から11年前のこの日に僕はMTVでNirvanaのMTV Unplugged In New Yorkを見た。そしてその日が僕の人生をここまで狂わせたと云っても過言ではない。あの日はKurtの命日だったからMTVでNirvana特集が組まれていた。延々とNirvanaのMVが流れていて5日から6日に向かう深夜の時間に前述のUnpluggedが放送された。The Pixies直系の極端なまでの"静と動"、魂から叫んでいる歌声、嘘偽りのないあのバンドサウンドに14歳から15歳になる瞬間の僕は一発でヤられた。こう云うことがしたいと直感で感じた。ギターが弾きたい、あんなバンドをやりたい、こんな生き方を選びたい、そう思った。そして次の日の朝、自分の誕生日に父親に入門用のギターセットをプレゼントとして買って貰った。そこから今に繋がる全部が始まった。
あれから11年経った今も僕はギターを弾いている。あの日に憧れたロックバンドでギターを弾いている。音楽に人生を狂わされたとよく聞くけど間違いなく僕もそのうちの一人だ。音楽がなければ自分の人生がどうなっていたのか今では想像もつかない。音楽を通じて出逢った大切な人たち、味わえた貴重な経験、そしてこれからもそれが続いていくと云う確信、全部あの日にNirvanaに腹の底から喰らったおかげだ。
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5年前の3月に相方と彼が眠るSeattleのViretta Parkに行った。
あの日もSeattleは鬱陶しいくらいの曇り空だった。ダウンタウンからタクシーを乗ってそこから割と歩いたのを覚えている。"Kurt's Bench"と呼ばれる彼がよく座っていたベンチがある場所に近づくにつれて僕の口数が減っていっていたと相方に後から聞いた。届くかわからなかったけれど彼に云いたいことが色々あった。そしてこの地に彼がいたと云うその事実が、その痕跡が、たまらなくて仕方なかった。あの日を境に僕の中で何かが変わったような気がした。
そしてその場所は意外なほどにあっけなくそして突然目の前に現れた。ベンチを見た瞬間僕の周りの時間が止まったように感じた。完全な静寂が僕を包んだような気もした。命名し難き感情がとてもつない速度で溢れてきて、どうしたらいいのかわからなくなった。頭の中で云いたいことを、ずっと云いたかったことを一方的に伝えた。自己満足と云われたらそれまでだけど僕にとっては特別な筆舌しがたい瞬間だった。彼が見ていた景色の一部を見れただけでも嬉しかった。そして彼が見ていた景色をこれからもっと見たいとも思った。彼が見て楽しんだ景色も、苦しんだ景色も、見たかった景色も、見たくなかった景色も、見ようとしても見られなかった景色も、見られるはずだった景色も、全部。
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僕が放心状態になっていたのがどれくらいの時間だったのかはわからない。一瞬のようにも思えたし、とても長かったようにも思えた。我に返った僕は相方に一言だけ"ありがとう。"と云った。アイツはそっぽを向きながら"おう。"と短く答えた。その後、たまたま散歩をしていた近所に住むおばあちゃんに2人の写真を撮って貰った。彼の死から20年経っても今だに僕らのようにこの場所を訪れる人が絶えないのだとも教えてくれた。ロックスターになるとはどう云うことか、その一部分に触れられた気がした。そして14歳のあの夜に思ったことをあの場所でもう一度改めて思った。
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"I'd rather be hated for who i am than loved for who i am not
偽りの自分を愛されるよりも、ありのままの自分を憎まれる方がいい"
そう彼は生前口にしていた。僕はこの言葉が大好きだ。自分に嘘をつきたくない。ありのままでいたい。自分を偽って人に好かれるくらいなら嫌われた方がマシだと僕も思う。いくら他人に好かれても自分が自分のことを好きになれなければなんの意味もないから。同じ日のことを思い出す4月がまた来た。
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今日もフツウキママに訪れてくれてありがとうございます。
【今日のいいニュース】
この日をまた変わらない気持ちで迎えられたこと。
<バボ>
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