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バボのキママな日 #101 『お前の出来ないを俺の出来ないにしてくれるな。』

"ざまあみやがれ"と心で叫んで拳を強く握った。これでまだ此処で戦える。

少し遅ればせながらの報告になるが無事に2回目のビザ更新が出来た。弁護士からメールが来た瞬間に頭の中で真っ先に叫んだ言葉はそれだった。安心と同時にやってやったと思えた。自分を信じ続けられて良かったと。此れは過程の1つに過ぎない。此れを持って此れから何をするか、それが一番大切だから。

"厳しいかも知れない"、"難しいと聞いている"、"万が一があったら"、"他の道も考えたら"、"あなたの実力では"、"諦めたやつがいた"、etc。そう云うクソみたいな言動を聞きすぎてイライラを通り越してもはや呆れていた。俺の人生なのだから俺の勝手に生きさせてくれ。本当にそう思った。そしてそう思い続けられて良かった。他人の挑戦に対して否定的になる人間はきっと自分にも同じことをしているのだろう。"ポジティブになりすぎるのもよくない、最悪のケースを考えたほうがいいからアドバイスしてあげているだけ"なんて言葉を云われたことも頭をよぎったがそれも死ぬほど鬱陶しい。万が一なんてこちとら数万回は考えてんじゃ。そもそも最悪の状況を考えて、それで行動をしないと云う結論に至る思考がまず理解ができない。最悪の状況を考えたとしても結局やることは変わらないのだから。理想を語ると"理想主義だね"なんて云われるのも意味がわからん。理想を語らないと理想にたどり着くこともできないことに何故気づかないのだろう。現実主義に生きている人間を否定するわけではない。ただ人がどのように考えて生きているかに一々茶々を入れないで欲しい。お前の無理を他人の無理に勝手にしてくれるなと本当に声を大にして云いたい。見たかボケ。なんとかなると思えればなんとかなるのだ

別に特定の個人に対しての不平不満をぶつけているわけではない。ただ単純にそう云う人がいる事実が鬱陶しくて本当に鬱陶しくて(大事なことだから二回云った)もういっそのこと云ってやろうとなっただけだ。

他人の失敗を期待するタイプの人間がいる。人が失敗すればその分自分に成功が回ってくると思っているのかも知れないがその病んだ思考に吐き気がする。関係ないがな。自分は自分で、他人は他人なのだから。競争社会の弊害か知らんがもうこのタイプの人間は眼を見たらわかる。人の成功を素直に受け入れられないタイプの人間だ。そう云う人間の曇った眼を見ていると人が信じられなくなって恐ろしくなる。アホか。自分をしっかり見つめろよ。他人と自分を比べてる暇があるのなら自分と自分を比べろよ。他人と比べることによって自己を獲得している人間は非常に危険だ。自己の価値基準は自分の内側にとどめておくべきだ。少なくとも僕はそう云う人間の近くにいたい。17歳のBillie Eilishが気づいているのにいい年した奴らが気付けないのは何故なのだろう。自分は自分なんだから自分になれよ、とっととさ。

イライラしないようにしていたけれど最近また世界の空気感にものすごくイライラしてきている。誰もいない島に行って自給自足な生活がしたい気分だし、ユナボマーの"産業社会とその未来"を強ち間違ってないと思えるほどには溜まってきている。人と話せば話すほどに分かり合えると思っていたけれど、人と話せば話すほど分かり合えないことに気づくといった旨の発言を峯田和伸もしていたが、そんな気分になってしまうほどだ。そしてそんな自分すらも鬱陶しく感じてくる。めんどくせぇ。

ただ悪いことばかりではない。味方になってくれる人間や友達になってくれる人に出逢えると"やっぱり人間捨てたもんじゃない。人は信じないといけない。"と思えるからだ。騙されても裏切れても明日はきっと楽しくなるんだとまだ信じられている。それが唯一の救いだし、此れからの希望でもある。

自分が出来た人間だとも優しい人間だとも聖人だとも全く思っていない。だからそう云う風に見られていると感じたり云われると非常に困惑する。どう云う受け取り方をすると"この人間"をそう云う風に見れるのだろうと自分を客観的に見たりもしてしまう。だからと云って別に自分が極悪人とも思っていないのだが。人はきっと他人を自分の見たいように見る傾向があるのだろう。きっと自分も知らず知らずのうちにそうしているに違いない。出来るだけニュートラルに。美点も汚点も知った上で人と繋がっていたい。

自分はただ自分らしく自分の人生を生きたいだけなのだ。本当にただそれだけなのだ。そしてその過程で自分自身も含めてもっと知らないことを知りたいし、いろいろなことを経験したいだけなのだ。そして疑問に思ったことには突っかかりたいし改善すべきと思ったことは声に出したいだけなのだ。先日同校のともだちと話した時に今の当たり前が当たり前じゃなかった時代の話をした。だから今の当たり前を疑ってしまうことはなんら間違ってないと僕は思った。それは個人でコントロールできるものではないのかも知れないが少なくとも僕は変わり続ける価値観を意識していたい。そのともだちと朝まで呑んで喰って遊んだから少し気晴らしが出来た。やっぱりともだちは素敵だ。ありがとう。

めちゃくちゃ愚痴っぽくなってしまったし此れ以上書くと将来何かに響きそうな気もするからこの辺で止めておく。自制心も大切だ。
【今日のいいニュース】
Brooklynで行われたエフェクターの見本市に行ってきた。色々なペダルを試せて楽しかった。

<バボ>

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