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10月23日の日記 救済について

10月23日に再び天才を見た。場所は下北沢のしもきたドーン。あの忘れもしない3月6日からおよそ半年。永田敬介ネタライブ。以前は確か衝撃がデカすぎて興奮冷めやらぬまま帰ってすぐにnoteの記事を書いた。もちろん今回も書く。なるべく自分が思ったことを余すところなく全て言語化したいので、ネタの内容も覚えている限り書き残しておきたいと思う。何かまずいことがあれば指摘していただけるとありがたいです。このnoteの背景画像は前回に引き続きライブのあとに真っ先に打ったツイート。永田敬介はこれら全てを包摂している唯一無二の存在で本当に凄いんだよ。

春とヒコーキ「謝罪」
粉飾決算で取引先に大迷惑をかけた下請けの社員が菓子折を持って謝罪に来るという設定。ぐんぴぃさんはナチュラル異常なヤバい人が本当に上手くて凄い。毎回ちょっと可愛げがあるのもいい。純度の高い素直なヤバさ。謝る時の顔が真っ赤で、土下座を要求された時の不本意な感じの時の顔は真っ赤を通り越して紫色で凄かった。土岡さんも土岡さんでかなり演技が自然で「愛され新入社員」もそうだけど、顔立ちや服装で仕事人間っぽい感じを生かした設定が生えるなぁと思った。取り乱しながら怒鳴るのも「ぽい」し、苛立ちを上手く隠しきれずにパニックになりかけているのも「そういう人」みたいで、コントの中では誰でも何にでもなれるから表現の幅が広くて素晴らしい。凄く面白かった。どっちがボケでもツッコミでも好きだし、暴れる系のコントも好きです。お互いがお互いに変わり種でしかない高知能面白陰キャコンビ大好きだ。皆がいる平場ではそこまで変なことを言わないのも好きです

永田敬介①「スプラッシュマウンテン」
言葉では言い表せない。「言葉では言い表せない」というのが永田敬介のネタのまず大きな1番の特徴ではないかと思う。でも今回はなるべく自分の中にある感情を言語化してここに残しておくのが第一目標だから頑張って言うと、永田敬介の笑いは「命乞い」に似ている。「命乞い」であり「独白」であり「訴え」で、話を継ぎ足し継ぎ足し社会に殺されそうになりながら必死で生き汚く目の前の敵、本人にしか見えていないであろう敵に対して足掻きもがいている。彼の「敵」は目の前の明日だったり、その先の将来だったり、周りのどんどん売れていく芸人だったり、あるいは自分以外の社会の全てだったりするのだろうが、真綿で首を締められていく生きづらさ苦しさ切なさ、歪み、劣等感に対して必死に首を振りながら冷や汗をかいて嫌だ嫌だと頭を振っている。話の展開が多動的で、半ば焦るようにしながら口角泡を飛ばし懸命に喋る姿は恐ろしくもあるが、だからこそ凄みがあり美しくすらあるのだと思う。これをわざとやっているのだとしたらあの場にいた全員が綺麗に騙されている。話の展開やオチの回収もこなしつつ、そんなの全部ぶっ飛ばす語彙力の高さに表現力の豊かさ、命を賭して大勢の人間の前で喋る必死さ。ガロでありつげ義春であり町田康であり早見純であり吉村萬壱であり筒井康隆。太宰治の「駆け込み訴え」にも似ている。きっと本や漫画を色々と読んでいて、頭も良ければ活字も好きな人なのではないかと勝手な印象を受けた。どうしてこの人がまだ世に出ていないのか?世の中が無能すぎて怖い…世の中、マジで何をやっている?節穴?

レッドブルつばさ「四兄弟」
数回ライブで見た事しかないが、青春や恋愛をネタにしたものが多いイメージで、多いだけあってどれも面白いのが本当に凄い。いわゆる陰キャとまでは行かないけどキョロ充一歩手前というか、絶妙にナード寸前っぽい人を演じるのが面白すぎて毎回良すぎる。今回に限らずだけど、真っ直ぐな目で結構気持ち悪いことを言うのが好きです。そんな真っ直ぐな目でそんなこと言うな、みたいな…高校のクラスにこういう男子がいて見る度にその子のことを毎回思い出します

永田敬介②「地獄」
地獄に落ちた男の話。言わずと知れた「蜘蛛の糸」をベースにしたコント(コントなのか…?)「太陽のようなエネルギーを持った阿婆擦れの方が俺たちに優しいんだよ」というセリフは本当に笑いました。実際にその通りだと思うし。処女が故の頑なさというか、男に対して排他的な感じとか懲罰性の高さってなんかあるよね。「お前は蛇だ」のセリフもゾワッとした。ところで「阿婆擦れ」ならまだしもネタの中で「レイプ」を何か笑える単語だと思って使うのって個人的には普通に怖すぎてどんな文脈でも1ミリも笑えない。あの場で「レイプ」という単語に手を叩いて笑っていた女性も女性でホモソーシャル的な笑いに知らず知らずのうちにどっぷり染まったかなり偏った空間だったなと思った。男性はその気になれば女を殴り殺せるし、力で捩じ伏せることの出来る圧倒的強者かつ加害者側の人間なので性犯罪を容易に笑いのネタに組み込めるんだなぁ。一部の男の人の「その気になればなんでもシコれる自慢」も本当になんなんだろうと思っていたけど(〇〇で抜いたことある、お前で抜いてやるぞとか)これって性欲だけでなく自分の征服欲をも満たす行為の代替行動と言うか「(頭の中では)いつでもお前を犯して汚せるんだぞ」って陵辱の一種だよなと思った。お笑いが大好きだし、別に怒りも感じていないし絶望もしてないが、お笑いがホモソーシャル的思想に塗れるのはもう仕方のないことなのかもしれない。だからこそ「本来言ってはいけない」はずの禁忌の言葉がひりつくような甘美さとおかしみを伴って聞こえるのかもしれない。

サスペンダーズ「写真撮影」
写真撮影で女の子に「もう少し足閉じて」と何度か注意する依藤と、依藤が何かを言う度に「それって…パンツ見えてる…ってこと!?」とソワついて全く撮って貰う姿勢になれない古川。サスペンダーズも凄い。メニーフラワーズでよく見ますがどんどん面白くなってどんどん変わっていってる…。「それってパンツ見たってことだよね!?」も面白かったけど、最後取り乱して泣いてしまった女の子に対しての依藤さんの「もういいよどうせ時間経っても笑顔なんか作れねぇんだから」というセリフに心をやられた。あの舞台に女の子なんか一人もいなかったのに取り乱して泣く女の子の姿が見えた。「これがジャーナリズムの敗北か」という言葉も凄かった。古川さんは毎回力いっぱいおかしいことを言っていて良い。パンツに反応する部分は小学生男子みたいなのにちゃんと大学生で、好きな子を守りたくて、でも好きな子が他の男にパンツを見られるのは嫌で、ここらへん歪んではいるけど良かれとやったことがセカンドレイプの片棒を担いでおり、更に好きな女の子を傷つけてしまったという話。切ない。最後の一言も効いていてめちゃくちゃ面白いなと思いました。確かにヤバい状況だ

永田敬介③「12年」
「あんたいつも部屋で何をしているの」と母親に聞かれたという独白から始まる。Wikipediaの記事をエロ単語にひとつずつ置き換えてエロい記事をして、それでプレビューのカーソルを行ったり来たりして「こんな記事を公開してしまったら最後、パソコン上に俺のIPアドレスが残ってしまう。あああ」という背徳感と焦りからオナニー、というくだりはめちゃくちゃ面白かったのだが、正直な話リアルで「ありそう…」と思った。知り合いの男性数人と話していて、まぁ軒並み尻を物凄い勢いで開発していたり、男を含めたtwitterのフォロワー全員でシコっていたりとそういう話を聞いていて、男の人は何でも「種」に出来るんだなぁと思っている(違う)「女の子で抜くのは可哀想だから俺はふたなりで抜くんだ」という人の話も聞いたことがある。意味がわからん。「干支が俺を見ている」という表現も最初よく分からなかったけど後から聞いてうわぁ!となった。後輩芸人同士が付き合ってるのを第三者から見てる視線が面白い。永田敬介のネタは話がどんどん重く重くなりそれに伴ってどんどん引き込まれ闇に呑まれて行くが、洒落にならなそうになる前にサッと撤収して軽い後味のオチを加え、前半から中盤にかけてのずんとした重さを力技めいた技量で冗談にして終わらせるところでやっと我々は「ああこれはコントで、我々はお笑いを見ていたんだ」と思うことができる。悪夢から覚めたときの、あの冷や汗をかきつつホッとして胸を撫で下ろした時の感じと同じ。光る表現や言い回しが沢山あったのにそのどれもが頭から消えてしまって書き残せないのが悔しい。使う人が使うと言葉というのはやはり魔力を持つんだなと思いました。面白かったなぁ  面白かったんだよほんとに 

私にとってお笑いとは「薬」である。「ショートコント 人生」とまでは言わないにしても、やはり辛かったり中々上手くいかなかったりでどうにもならない現実を、どうにもならないなりにどうにか違う視点からと笑えるものにしたいという思いからライブに来ている。だからこそお笑いが好きで、精神が不安的な時ほどライブに行く頻度が目に見えて高くなる。いつもライブに行く時は周りに不快感を与えないよう小綺麗な格好で行くようにしているけど、そういう時はほぼ化粧もしない。というか、出来ない。春先はかなり精神がやられていて週に2回ライブに行く時期もあったけど、ここ半年は仕事も課題も忙しくあまりライブに行かなかった。精神が安定したということだ。だけど永田敬介には高校生の頃に出会いたかった。人生がドン底で、家にも学校にもどこにも居場所がなくて、自分の顔も体型も大嫌いで周りの美しい女の子たちと違って自分には生きている資格など初めから与えられていなかったのだと強く思っていたあの時、もし永田敬介と、永田敬介のネタに出会っていたら。深夜2時に地元の港を徘徊しながら海を見て死ぬことばかり考えていたあの時の自分が、こんな田舎ではなく東京にはこんな人がいてこういう「表現」をしているんだと知ったら2回も自殺未遂なんかしなかったのではないかと思う。あの時私がずっと聴いていたのは「エレ片のコント太郎」だったけど、永田敬介のネタを知ることができていてそれを聴けていたらそれは確かに「救済」となっていただろうし、もしかするとこの人は自分だとすら思ったかもしれない(全然違うけど)そこに自分の追った傷を剥き出しにして立っているから、彼と同じく傷ついた他人が引き込まれてしまう。人間ゴキブリホイホイ。ひどい例えだが、彼本人の闇が濃ければ濃いほど、呪詛を吐けば吐くほど、周りの光が際立ち「お笑い」の輪郭を際立たせる「芸人」それ以上に「表現者」であると思う。見ていてどんどん呑まれていくというか、不思議な引力のある唯一無二の存在だと感じます。ワーキャーというよりはカルト的、信者のつくお笑いだと思う。

現場で一緒になった仲のいい女の子が「レッドブルつばさのフィクションは永田敬介のノンフィクションに勝てないんだと思いました」と言っているのが印象的だった。どっちが面白い面白くないではなく、架空の設定の話の面白さに同程度の現実の話の重たさと凄みをぶつけると前者が粉々になってしまうということだと思う。あの言葉の意味を一晩経った今でも繰り返し噛み締めています。

普段は主に春とヒコーキを強めに応援しているのだが、今回は春とヒコーキの他にもサスペンダーズ、レッドブルつばさなど大好きな芸人が揃っていてとてもありがたいライブだった。主催者の方にはいくらお礼を言っても言い足りない。勢いのまま書いてしまったけど、本当に生きててよかった。以前永田敬介をバティオスで初めて生で見た時「本当に面白いものを見た時、人は何も考えられずにただ笑って、そして自分が何に対して笑ってたのかわからなくて、でも圧倒的なエネルギーだけが自分の中に残って「すごい」としか言えなくなる。語彙が一切無くなる」とnoteに書いた。あの衝撃を元に、今回は自分の中の語彙を限界までひり出してなるべく言語化しようとしたのだが、果たして伝わっているでしょうか。いや伝わらなくていい、お笑いという言葉の枠に入り切らないほどの、自分の苦しさや生きづらさを煮詰めて煮詰めて煮詰まった先の、傷つきながら訴える一人の人間の自罰的で焦燥的な諸感情に触れられることができてあの場にいた全員は本当に幸せだった。私はそう思っているし、みんなもそう思っている。ただそれだけのことです。


以上です

P.S

このnoteをTwitterのフォロワー(私はFF2桁の鍵垢で毎日己の全てを吐き散らかしフォロワー全員に弱みを握られている)が読んでくれて「いいnoteだ、自分はラーメンズのお笑いライブしか行ったことないから他のライブにも行ってみたい」と言ってくれました。私はラーメンズが好きで進学先を決めた人間なので「お笑いライブをラーメンズしか観に行ったことないって凄いな……」などと思ってしまいました。いつもありがとうございます。フォロワーはやさしいね

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