"ゼビオアスリート社員"であり、チーム消滅も、リーグ優勝も知る男。シュライカー大阪⑰今井 翔
高校選手権出場もサッカー引退。大学でフットサルと出会い、Fリーガーに
高校では、神奈川県代表として、全国高等学校サッカー選手権大会に出場。
しかし「サッカーは高校までと決めていた」という。
大学に進み、友人に誘われて、遊びでフットサルを始める。
やがて、始まった"Fリーグ"に興味を持ち、この世界に飛び込んだ。
ブラックショーツ(関東リーグ)から、ステラミーゴいわて花巻(Fリーグ)入り。そこからクオーレ仙台(東北リーグ)、湘南ベルマーレ、ヴォスクオーレ仙台と渡り歩き、シュライカー大阪へ。今年がシュライカー大阪4年目となる。
現在は、ゼビオスポーツのアスリート社員として、仕事をしながら、Fリーグに挑戦中。八尾市の久宝寺店で、「平日は練習終わって、14時半ぐらいから、終わりは19時半、20時ぐらいまで働いている」という。
これまでのシュライカー大阪の選手インタビュー記事一覧は下記の通り。
◆帝京長岡で高校日本一&MVP。ロベカルにもアシストした、パスセンスに秀でる未完の大器。シュライカー大阪⑥齋藤 日向
◆大阪の未来、日本の未来を切り拓く、若きサイドアタッカー。シュライカー大阪⑭仁井 貴仁
◆前歯7本を折るケガから復帰。シュライカー大阪①高見 政顕。『名古屋と大阪の違い』など
◆シュライカー大阪?檜山 昇吾のゴレイロ論。『本能でやらない』『準備ですべてが決まる』『キーパーこそ、子どもの頃に、フットサルを』
◆シュライカー大阪⑨前鈍内 マティアス エルナンに訊く、アルゼンチンのフットボール事情。シュートが得意になるまで
◆シュライカー大阪キャプテン⑱田村 友貴『フィクソに求められるのは、コーチングと予測』
友人に誘われ、サッカーを始める
サッカーを始めたのは「小学1年生。当時すごく仲の良かった友だちに誘われた」のがキッカケ。実はこの友だち、後に今井がフットサルを始めるキッカケにも関わっている。
小学校では習字、ほんの少しそろばんと、高校受験に向けては塾にも通った。勉強はどの教科も「平均ぐらいだった」という。
サッカーは小学校は町田市(東京都)の小山FC。5年生からFC町田、中学校はFC町田のジュニアユースに所属。FC町田はゼルビア町田の下部組織のチーム。
高校では、麻布大学附属渕野辺高等学校の主力として、神奈川県代表となり、第83回全国高等学校サッカー選手権大会へと、全国大会出場を果たしている。全国大会は1回戦負けだった。
同じ友人に誘われ、フットサルを始める
大学に進学したが、母校(麻布大学附属渕野辺高等学校)のサッカー部のアルバイトコーチを、コーチを監督に誘われ、携わっていたころ、友人に誘われ、遊びでフットサルを始めた。
友人が大学でつくったフットサルサークルの練習に参加しだしたのが始まりで、大学リーグ(関東大学フットサルリーグ)にも参加しているチームだった。
ちなみに今井をフットサルに誘ったこの"友人"は、小学1年生の時、今井をサッカーに誘った"友人"と、"同一人物"。
そこで「楽しくなって・・・」フットサルにハマって行った今井は、大学2年の時、セレクションを受けて、ブラックショーツに入団する。今井を誘った友人の大学で、"サスーン"こと、碓井 孝一郎(現LIGARE TOKYO)との出会いもあった。
「Fリーグが始まって2年目、3年目かな・・・やっぱり興味がありました」
という今井はセレクションを受け、今度はステラミーゴいわて花巻(Fリーグ)に入団をする。当時の監督は1年目が岡田ジオゴ。2年目が相根 澄。選手には渡邉 知晃、半田 徹也、久光 邦明、後呂 康人らが居た。
しかし、2年目、今井らはチームが「Fリーグから離脱する」話を受けることとなる。
チーム(ステラミーゴいわて花巻)消滅のショックを乗り越えて・・・
2011年、12/10(土)、11(日)の2日間、船橋アリーナで、"船橋セントラル"が開催されたが、その試合会場の一角で、ステラミーゴいわて花巻の選手が集められ、"Fリーグ離脱"の話は告げられた―。
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