フットサル界を驚かせた異端戦術、Praia Grandeの『オールコートプレス』
2018年の全日本フットサル選手権、この年の予選ラウンドは、兵庫のワールド記念ホールと、高知の高知県立春野総合運動公園体育館の2会場で行われていたが、2日目、フットサル界に衝撃が走った。
東海リーグ所属のPraia Grandeが、Fリーグのバサジィ大分に4-2で勝利。2連勝を上げ、決勝ラウンド(東京・代々木)進出に名乗りを挙げた。ただし、最終日、グループ首位をかけて戦うのは、再び、Fリーグクラブの、シュライカー大阪だった。
シュライカー大阪にとっても、敗れれば"予選敗退"の可能性が残る試合。その本気の"Fリーグクラブ"相手にPraia Grandeは一歩も引かず、2-2の引き分け。予選ラウンド2勝1分。Fリーグクラブと2試合戦っても無敗を守り、見事にワイルドカード1位で、決勝ラウンド進出を果たした。
東京で、Praia Grandeの"特異なフットサル"は、フットサルメディア、多くのフットサルファンの注目を集めた。『オールコートプレス』。当時(も今も?)どこもやっていない、唯一無二の戦術を引っさげて勝ち上がって彼らは、この年、優勝を果たすバルドラール浦安に敗れて1回戦で大会を去るものの、その試合を生で見た人たちに、十分すぎるほどに強烈なインパクトを残した。
プライアに7年間所属した、藤井 一弥
藤井 一弥。今季、新たなチャレンジのために退団となったが、静岡で、クラッキスというジュニアユース、ユースチームの指導に励んだ男だ。
クラッキスの立ち上げには元ペスカドーラ町田の篠崎 隆樹も関わり、スクール生からは、U-20フットサル日本代表でアジアを制した山田 凱斗、U-19サッカー日本代表で清水エスパルスの滝 裕太らが出ている。
自身は日本大学明誠高等学校出身。静学や清水商、清水東、暁秀など、静岡のサッカー強豪校のサッカー仲間たちと立ち上げたパッション・フベニブ(現静岡2部のterrific)で19歳でフットサルを始めるも、全日本選手権の予選、静岡県大会でジュビロ磐田フットサルクラブ(現デリツィア磐田)にグループ予選で10-0で完敗。その結果を受けて『本気でフットサルをやりたい』と想っていたところに、同地区のPraia Grande草場 大介から「本気でやるなら」と誘いを受ける。
Praia Grandeに入ってから「やれることと、やれないことがハッキリ出た」と藤井は言う。
「パスサッカーをやってきたので、出し手受け手と言う部分は『テンポが速くなるかな・・・』ぐらいで、苦にはならなかった」しかし「ディフェンスのギャップは一番激しかった。距離感、強度・・・自分の中では全く違うな・・・と感じた」
「フットサル特有の動き、2人組戦術の部分は"なんとなく知っている"程度だったのが、東海リーグに行くと『今のはここが空いてたんだから使えよ』という会話になって来る。それでもプライアもコテコテのフットサルと言う感じでは無かったので、比較的、順応は早くできたと思う」と言う。
『オールコートプレス』はアイデンティティ。引くのは第3、第4の選択肢
「オールコートプレスはプライアの"アイデンティティ"だった。"引く"のは第3か第4ぐらいの選択肢だった」「基本的には前から行く」「プライアと言う名前を掲げているからにはそこは譲れない」という感じだった。
藤井の語り出しに、どこか"刹那的"だったPraia Grandeのフットサルが、頭の中に一気に蘇ってきた。
細かな守備戦術の変更もあったが、『ハイプレス』『ショートカウンター』に関しては、メンバーが変わっても「変えなかった」
プライアに『オールコートプレス』を持ち込んだ男
発案者は吉村 匡史。監督でもコーチでもなく、いち選手であった吉村は当時サッカーで主流だった『前から追う』ディフェンスを「どうしてフットサルではやらないのか?」を不思議に思い、チームへの導入を促した。
※当時のフットサルのディフェンスの主流は"ハーフ(自陣)に引く"ディフェンスが主流だった。
当初は「うまく行かなかった」。「裏のスペースが空いたり、人と人の距離が遠くなって・・・」という、通常考えられるデメリットにはプライアもすぐにぶち当たった。
『20×40mを5人で守る』ことで、裏のスペースをケア
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