埼玉県リーガーの翌年に日本代表入り。デビュー戦でブラジルから初ゴールを奪った男。シュライカー大阪⑫小曽戸 允哉
これまでのシュライカー大阪の選手インタビュー記事はこちらにまとめてます。
2008年、ブラジルで行われた、FIFAフットサルワールドカップで、フットボール王国・ブラジルと開幕戦を戦ったのが、日本だった。
1-12で大敗した日本だったが、チーム唯一のゴールを奪ったのが、小曽戸 允哉だ。
インターセプトから、相手DF1枚を"オソドリブル"とも名付けられたドリブルでかわし、相手ゴレイロもかわすシュートを決めた日本人とそのゴールは、王国・ブラジルからも高い評価を得た。
しかし、この時の小曽戸は「試合に出るようなポジションに居なかった」と振り返る・・・。
高橋 健介の戦線離脱(急遽、稲田 祐介を追加招集することに・・・)。小野 大輔の負傷など、様々な要因が重なって、小曽戸に"出場"チャンスは巡って来た。
そして、小曽戸は、王国・ブラジルからゴールを奪うという"偉業"で、その千載一遇のチャンスをしっかりと掴んだ。
ブラジルからのゴールに留まらず、小曽戸はこの大会4ゴール。チーム最多得点を奪う活躍を見せ、高橋 健介に続き、"シンデレラボーイ"と評された。
小曽戸 允哉のプロフィール
埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。B型。性格は「几帳面」と言われるという。両親と5才離れた兄と4人家族で育った。現在は、5才と3才の女の子を持つ、二児の父親。
子どもの頃は「ボールを蹴っていることが多かった。兄貴だったり、友だちと。団地に住んでいたので、空き地で」。勉強は「普通だったと思います。やらなかったわけでもないし、好きでやっていたわけでもないし・・・と自分では思っています。(笑)」
フットサル以外の趣味は「しいて言えば読書。昔は読み始めると止まらなかった。何でも読みます。小説だったり、サッカーの本だったり」。最近読んだ本でおすすめは「シメオネの本」だそう。
好きな漫画は『ジャイアントキリング』『フットボールネーション』。休日は「家族で出かけることが多い。一緒に公園に行ったり、他の県や行ったことのないところに行ったり」
座右の銘は「プラス思考」。小さい頃の夢は「プロサッカー選手」。試合前や練習前のルーティンについては「それがルーティンなのかと言われたら、いっぱいあります」。行ってみたい国は「思い当たらない」。ストレス解消法は「そんなにストレスを感じることは無い。子どもたちと居ることが一番」だという。
年長からサッカーを始める。小学生では父もコーチを務める少年団へ
サッカーは幼稚園の年長から始めた。「幼稚園のサッカークラブに入った」のが始まりで、「何を習っていたのかは全然覚えていませんが、幼稚園から習っていました」。他に習い事は無しでサッカー一本。「兄貴がサッカーをやっていたのもあって、歩き始めたころからボールを蹴っていたイメージ。サッカー少年団のコーチを親父がやっていた」
チームでのお父さんとの関係については「直接自分を見ることがなくて、他の学年を見ていたので、直接担当(指導)になることはなかった」という。
両親は「二人ともまじめな方だと思う。特に厳しかったというイメージはないですけど、周りの人から自分のことを『できている』と言ってもらうたびに、『親が教育してくれたからなんだろうなぁ。しっかり教育してもらったなぁ』という気持ちになります」
親に怒られたのは「家でボールを蹴ったりしたとき。団地だったので、下の階に迷惑がかかるから、と。後は自分のことができないときに、人のせいにすると『自分のことは自分で出来ないとダメでしょ』と言われた記憶はある」
テレビやゲームは「GameBoyとかはそれなりにやっていた記憶がある」というが、のめり込むほどではなかったという。
転機となった、中学2年でのサッカー留学。中学卒業と同時にアルゼンチンへ
中学校では部活でサッカー部に入り、夏休みの一ヶ月、アルゼンチンに短期のサッカー留学に行く。これが小曽戸の"転機"となる。
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