センザキ
まともに話す機会が一度もなかったので確証はないけれど、現役時代の入試直前講習会を経て4月から引き続き通い始めた池袋の予備校には僕と同い年、且つ同じタイミングで浪人生活を始めたセンザキという男の子がいた。入試直前講習会にいたかどうかは分からないけれど、当時の彼はたぶん、ほとんど初めてと言ってもいいくらいに絵を描き始めた程度の経験値の持ち主だった。
一浪の時のセンザキは、彼と同じクラスのBという、同じく一浪目の男の子と仲良くなり、どちらかと言うとあまり真面目に絵を描かない二人組として、別のアトリエにいる僕が何かの用事で外に出るたびに高頻度で目にするくらいにはよく廊下にいたように記憶している。
いま、便宜上「B」と呼んでいる男の子のことは名前も顔も全く記憶にないにも関わらずその存在だけは覚えているのは、傘立てに挿しておいた自分の傘を眼の前でBに盗まれそうになったという話を当時よく話をしていたカミカワから聞いていたからで、Bのネガティブなイメージに引きずられた僕はセンザキに対してもあまりいい印象を持っていなかった。
センザキはデッサン的な意味で形を取ることが絶望的に下手な人で、例えば単純な立方体や球体といった幾何形体と呼ばれる石膏像でさえ碌に形を取れていなかったし、陰影の付け方も整合性がなくて、何ヶ月かに一度の油絵科内で実施されるコンクールでも評価は低くいつも下位に追いやられていた。
形状の狂いに関しては学術的に説明できる点があって、例えば横を向いているモデルの姿を描こうとしているにも関わらず、画面上での顔が正面を向いてしまう現象がある。それは描者の観察力の成熟度に拠る。じっさい小学校に上がるか上がらないかの頃に仮面ライダーショーに連れて行ってもらった僕は、ショーの後にもらった写真付きのサイン色紙に舞い上がってその模写をチラシの裏に描いたことがあったんだけれど、写真では確か空を飛んでいたライダーの横顔が、僕が描く紙面上ではこちらを向いていることに描き終わってから気がついて我がことながら不思議に感じたことがある。人の顔を正面を向いた状態でしか認識できないと言う、観察力が未成熟な場合に起こる現象だ(いま検索してみたが適切な学術的単語が見つからない、しかし大雑把な説明は上記の通りで間違い無いと思う)。また少し話は逸れるがブルータスやマルスやパジャント等といった日本でメジャーな石膏像をデッサンする際に、初心者ほど画面上の顔の様子が描画者に似てしまう傾向がある。それは普段最も見慣れた自身の顔に似せてしまうからだという説明がなされる。
それらの説をその当時に知っていたかどうか覚えていないが、センザキの描くモデルさんの横顔はこちらに向きがちだったし、石膏像などのデッサンの陰影は講師らに指導されたのであろう、光の当たる面、陰になっている面(また何かに当たって照り返す反射光)、光の当たる面と影の面の境目に発生する稜線の表現等がいかにも説明的に施されており、とてもじゃないが美大に合格できるレベルには何年経っても到達できるとは思えなかった。
そもそも興味の対象として彼とその作品群を見ていなかったこともあり、センザキがその年にどこを受験したのか知らなかった。しかし次年度も同じ予備校にいるセンザキの姿を認め、彼もまた僕と同様に希望する美大全てに落ちて2浪目を決めたのだと悟った。女の子たちとおしゃべりして時間を無駄に消費してばかりいるように思えたBもいたはずだけれどその頃の僕の記憶には定かでは無い。センザキの姿を廊下で見かけることはなくなり、アトリエで真面目に絵を描き続けていたのだろうけど、当時の僕は彼のことを気にすることはなくなっていた。
あらためてセンザキを気にかけたのはいつ頃のことだったろう。作業時のエプロン姿は一浪の時のままだったと思うけど、その頃の彼は木炭や油絵具の汚れが顔や手にまでベットリと着いていても無頓着で、画材を購入するとかトイレといった必要な用事を済ませたらアトリエにさっさと戻って行く様子が印象的だった。もしかしたらアトリエ内ではクラスメイトと仲良くしていたのかもしれないけれど、廊下での彼は他を寄せ付けない威圧感のようなものが漂っていた。手に少しでも汚れがついたらそれを気にするようなタイプだと勝手に思い込んでいたので、2浪の時のその姿は意外な感じがした。
しかし彼の作品に関して言えば、他所のクラスを巡回して皆の絵を見て回ると言うことを大体の学生がそれぞれに行い、僕もまた同様に見て周っていたが、その時に観たセンザキの絵は一浪の頃と大差なかったような気がする。
巡回の時だったかコンクールの時だったか、技術的には相変わらず下手なんだけど、センザキの絵に惹かれるということがあった。それは上手く描けないことに対する怒りや苛立ち、それにも関わらずなんとしてでも絵を描きたいという欲求が、画面上にとんでもないプリミティブな力強さを与えていた。
稜線に木炭を突き立てて描かれる炭色は真っ黒で、それはもはや影の表現ではなく色としての表現、更に言えば画面上の傷だった。しかしセンザキの絵の中ではそんなことすら瑣末なことであり、怒りや苛立ち、憎しみやらの諸々の感情の表現としてそれらがなされているのだということが説得力を持って画面に現れていた。小手先を身につける器用さも持ち合わせていなかっただろうけど、技術に因らない、感情を直に画面にぶつけているように感じたのだった。それは予備校講師の教育でどうこう出来るようなレベルでは無い、なにか名状しがたい表現だった。それらはまさしくアートだった。しかしそうかと思って次の課題の際に絵を見に行けば相変わらず画材の無駄遣いとしか思えない程のどうしようもない凡作だったりした。
彼はたぶん、常に大振り三振か特大ホームラン狙いの2択しかなかったのだろうと思う。この感覚が他の人に伝わっていたのかどうか確かめる手段はもう無いけれど、絵を構築するための方法論も持ち合わせない彼の絵は常に全力で自分自身を画面に叩きつけているように思われた。いまにして思えば、彼は予備校とか美大とか関係なく、もっと自由な場所で絵を描いていれば良かったのかもしれない。
その年も受験に失敗した僕は一先ず予備校に通うのはやめて、自力で金を貯めながら自室で絵を描き、画力の向上に励んだ。そして冬の直前講習会にだけあらためて通い出したが、その時にセンザキがいたかどうか記憶が定かではない。僕自身余裕がなかったので、視界の隅に彼の姿があったかも知れないけれど、それを気にかけることはなかった。
それ以降、センザキを見ていない。