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近畿大学の新制大学としての設置認可の経緯:校史関係の学外史資料調査➁

第2期第16回(通算第25回)勉強会報告

 「近畿大学 創立70年の歩み」(近畿大学 平成7年)収録の「学校法人近畿大学沿革」では、新制大学としての近畿大学の設置及びその直後に関しては、次の様に記されている。

 新制大学としての近畿大学の認可が何故にこの様な過程を辿ったのかについては、従来全く未解明であった。この点を解明すべく、昭和23年から24年にかけての『朝日新聞』及び『讀賣新聞』に掲載された新制大学認可についての記事から丹念に近畿大学の認可の過程を確認し、国立公文書館所蔵の「近畿大学 大阪 第4冊」(整理番号は文部省・60文・10-6・729)収録の第一文書群である「新制大学設置認可について」(校學一〇九號)、第二文書群である「新制大学設置認可について」(校學二二二號)、第三文書群である「二部認可について」(校學二二三號)、第四文書群である「認可指令案」(校管第84號)等を綿密に検討した。その結果、当初は理工学部及び法経学部で申請がなされ、理工学部は認可されたが、法経学部は審査保留となり、その為に商学部として申請して認可され、更に法学部が「増設」という形で認可された事が解明出来た。この報告は論文化して掲載する予定であるので、ここでは簡潔な内容の報告とした。

文:広報室建学史料室特別研究員・近畿大学名誉教授  荒木 康彦
写真:昭和27年(1952年)の近畿大学東大阪キャンパス正門(映像資料『昭和27年伸びゆく近畿大学』より)



(2022年12月1日公開)

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