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自分たちのAttentionをいかに守るか。

最近ハマっている本に「新百姓宣言」という本がある。
その中で考えたいと思ったテーマがあったので、
内容のシェアと、問いを共有したい。


前後の文章や本全体で提案している生き方など、
他にも共有したいことはたくさんあるけれど、詳しくは実際に読んでみてほしい。



簡単に本を要約すると
なぜ人々はこれだけ文明を発展させてきて、経済的にも物質的にも豊かになったのに、いまだに「やりたいこと」ではなく「やらねばならないこと」に追われているのだろうか。なぜ遊ぶように暮らせないのか。という問いを出発点に、いろんな考察を経て、「つくる喜び」を中心に置いた社会の見方、生き方を提案している内容です。

その上で、以下、「新百姓宣言」より引用。

「つくる喜び」を最も大切にするCreativismの価値尺度で見れば、「成功」とは「つくることに夢中になって楽しんでいる状態」になる。それはその人の創造性が最も高まっている瞬間でもある。

つくることに夢中になる上で、最も重要かつ限りある資源が、私たちの「注意」である。「創造性を発揮するためには、利用できる余剰の注意(つまり、心理的エネルギー)が必要だ」

現代社会に生きる私たちが、この限られた資源である「注意」を、自分が夢中になれる創造行為に向けつづけることがいかに難しいか。

SNSやニュース、ネット広告、オンラインゲームなど、行動心理学に基づくアルゴリズムを用いたコンテンツ群に巧みに奪われている。
あるいは、知識詰め込み型の教育システムへの適応や、非効率的な行政システムへの対応を強いられることなどによって、日々浪費させられている。

このような社会システムによる人間の心理的エネルギーの搾取は、長期的には私たち人間から莫大な創造性を奪い、社会システムへの依存度を高めている。

年齢を重ね、社会との関係が増えれば増えるほど、私たちが自らの心理的エネルギーを「今、ここ、自分」に向けつづけることは、より難しくなっていく。

新百姓宣言 p132


共感する人も多いのではないかと想像しているのだけれど、
スマホや広告など、日々いろんな情報に触れる現代社会で、自分たちの「注意」「意識」がいろんなところに奪われ続けている。
振り返ってみたときに、奪われてない時間のほうが貴重なんじゃないだろうか。

一晩寝たら忘れているようなニュースや情報とか、たいして重要じゃないと気づいてるけど続けている娯楽とか、1ヶ月前は欲しいと思ってなかった広告の商品とか、いつの間にか、いろんなものに意識を持っていかれている。

そうやって今の経済は回っているのだろうし、各企業は研究を重ねて意識を集められるように工夫していると思う。
そんな社会であることを知っているし、どこかで加担もしていると思う。


けど、本当は、新百姓が提案しているように「つくることに夢中になって楽しんでいる状態」で日々暮らしたいし、働きたい。
そのゾーンに入っている状態が充実感に満ちていることも知っている。

新百姓宣言では、つくることに夢中になって楽しんで生きるために、どう視点を変えていけばいいのか、を考えさせてくれているのだけれど、

引用で持ってきたこの一節を読みながら、
今一番奪われているのは、お金や時間じゃなくて、「注意=Attention」なのだと気づいた。その結果として、お金や時間が減っていっている。



では、創造的に生きるにはAttentionを本当に大切にしたいことに注げるように、取り戻せばいいと思うのだけれど、
この「注意」を奪われないためには、どうセルフコントロールしたらいいのだろうか?


みんなの意見も聞いてみたい。


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