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②純文学と無縁だったオタクが「川内まごころ文学館」に行った話

ここまでのあらすじ
里見弴(さとみ とん)について知るために、鹿児島に行くことした。
詳しくは前の記事で↓

1.いざ、「川内まごころ文学館」へ

今回の川内まごころ文学館にたどり着くまでの移動は以下の通りだ。
1日目:鹿児島空港からバスで鹿児島中央駅へ
2日目:鹿児島中央駅から新幹線で川内駅、くるくるバスで文学館へ

鹿児島中央駅→川内駅までは在来線もあるのだが、自分は九州新幹線のcmが大好きなので、今回は新幹線に乗ることにした。

くるくるバスは1時間に1本ぐらいのペース、遅延もたった数分の範囲(もはや誤差レベル)で来るので、とても利用がしやすかった。

そしてついに

来ちゃった


受付に行き、入館料の支払いとクイズラリーの受付を済ませ、いざ展示へ……。

2.1F「山本實彦と改造社」について

1Fは山本實彦(読み:やまもと さねひこ)という改造社の社長と、改造社に作品を載せていた文豪達の展示になっていた。
出版社の社長なのもあって、様々な文豪とやり取りした手紙や原稿が展示してあるのだが、これがとても面白い。
字の綺麗さ、文章の修正の仕方、使っている原稿・ハガキの選択、言い訳の表現など、性格・個性が一目で分かるのだ。
個人的に面白いと思ったのは佐藤春夫の手紙だ。どの順番で読むのか読み解くのに5分ぐらいかかった。

また、関東大震災で被災した時のエピソードで、出版に必要な紙・機械・資料が焼失したにもかかわらず、休刊せずに出版を続けたと書いてあった。
しかも、各作家達に「1.自分の被災状況 2.この震災で一番記憶に残っていること」のアンケートも取っていたとのこと。
転んでもただでは起きない、その精神を見習いたいものである。

3.2F「有島武と有島三兄弟」

2Fは有島三兄弟とその父有島武の展示である。
といっても展示内容の濃さとしては、
里見弴>>>有島武郎・生馬>>有島武
ぐらいの差はある。

ちなみに、2Fに上がるまでの階段の踊り場に里見弴の書が飾ってある。もう最高である。
個人的に下から見るよりも、階段を登りきってから見る方が好きである。

里見弴の人生を中心に、父や兄弟のこと、三兄弟の作品・手紙等が展示されている。

また、この階には里見弴にまつわる映像、ひとつ10〜15分程のものが計10本程度あるため、全部観るなら余裕を持った計画を立てることをお勧めする。
あの川端康成が野球をしている里見弴を笑顔で見ている映像があったり、お子さん達がクリスマスの思い出を語ったりする映像があったりするので、ぜひゆっくり最後まで見ていただきたい。
生前交流があった人や本人が語る映像には、文字を通して知る姿とまた別の良さがある。

展示物一つ一つから伝わる有島三兄弟の芸術性の高さには、目を見張るものがあり、取る筆が異なろうとも、高いクオリティのものを作り上げられるその才能に惚れ惚れする。
時に天は二物を与えるものなのだと、痛感させられる。

年表を見ていて気づいたのだが、
有島武と幸子(資料によっては「幸」の場合もあり)、お二方とも苦労人・再婚というのもあり、有島武が35歳の時にようやく有島武郎が生まれているとのこと。
現代だとあまり違和感はないが、当時だとだいぶ高齢での第一子誕生ではないだろうか。

だからなのか時代だからなのかは分かりかねるが、有島武郎の父親評と有島生馬・里見弴の父評は差が大きい印象を受ける。
一方は「殊に峻酷な教育」、もう一方は「多忙で内の事などは全く念頭に置かなかった」「無干渉主義」と振り返っている。

有島兄弟の中では六番目の里見弴。一番目の武郎と10歳差、三番目の生馬と5歳差、七番目の行郎と5歳差である。※ざっくり換算なので多少のズレあり
そう……兄姉たちの中では末っ子時代が長いのが里見弴である。

長男と下の兄弟達での教育の差、末っ子でいられた時間の長さの差など、人格形成に影響がありそうだなと感じたので、いつかこの方面でも調べたい。

里見弴が自分達兄弟のことについて、書いてある文章があり、そこには
・仲は良いが、普段は個人主義
・兄は兄、自分は自分
・長兄(武郎)は大変立派な人 と書いている。
自分にも兄弟がいるので、この内容に非常に共感すると共に、仲良き兄弟であるための秘訣であるのだと強く思った。

ここまで2Fの展示についてまとめたが、この調子だと終わりが見えない――上記内容のほとんどは2Fの展示室の入口から最初の角を曲がるまでに展示されてる――ので、この項目はここで切ろうと思う。
実際に現地に行って、その目でぜひ見ていただきたい。

4.特別展示「父の郷里にて」(会期終了)

今回の特別展示では、有島武郎、有島生馬、里見弴のそれぞれの父の故郷との関わり方の違いの解説や、「ひえもんとり」の原稿の展示等があった。

三兄弟と薩摩川内の関わりをまとめると、
有島武郎:父の視察の同行や墓の整理で来訪。1回のみ。
有島生馬:療養中の数ヶ月間、居住経験あり。武郎亡き後、有島家の代表としてやり取りを行う。
里見弴:生馬の展覧会の時と、「父の郷里にて」の広告内に使用されている川内来訪の時の2回のみ。

来訪理由も回数も差があるところに、有島三兄弟らしさを感じた。


「ひえもんとり」の解説には、末尾の文章の変更点のことが書いてあり、この文章の有無によって物語の受け方が変わるのか気になるところである。

ここに、高木志麻子(有島武の次女、四番目の子)の書も飾ってあったのだが、名前と一緒に99歳と書いてあるのだ。
この兄弟、平均寿命が異常に長いぞ……。

5.軽い気持ちで覗いた物販コーナー

特別展示まで見終わった後に、ふと気づいた。
物販コーナー見てなくない……?
(なんならどこに物販コーナーあった……?)
来館前に公式サイトを見て、なんとなく予算を考えていた人間とは到底思えぬ失態である。

最悪場所を聞こうと思いながら、特別展示室から退出し、受付の方に顔を向ける。

そこでようやく物販コーナー(棚)を視認した。
そう、受付の正面にあったにもかかわらず、受付時にもクイズラリーを提出した時も気づかなかったのである。

念願の物販コーナーを見つけた私は、記念にサイトに載っていた図録を何冊か買おうと、棚を上から下まで眺めた。はたと左下で目が止まる。そこには箱入りの書籍が3種、ポツンと置いてあるのである。

は……???

値札と一緒に「唇さむし」と「満支一見」と「雑記帖」が置いてあるのである。

は……??????

あまりに想定外の出会いだったために、受付の方に確認する始末である。

「すみません。つかぬ事をお聞きしますが、あちらの左下にある書籍は買えるものであってますか……」
「あ!買えますよ!在庫見てきますね!」

……

買っちゃった

買っちゃった!

事務室から見たことないサイズの紙袋を出していただきながら、
「すみません、もしかしたら袋が耐えられないかもしれません……」と心配された。
「サブバッグがあるから大丈夫です!」と袋ごとサブバッグに詰め直す人間は、傍から見ればさぞ奇怪であっただろう。

こうして私は、新しい知識とさらにその先への知的探究心と、約4kgの資料を手に、川内まごころ文学館を後にした。

6.一旦まとめ

特に記憶に残った展示品についてのnoteを後日改めてあげる予定だが、このnote以上に駄文・乱文になることが見込まれるため、一旦まとめる。

里見弴について知りたいがために、遠路はるばる鹿児島まで赴き、多種多様な資料を見聞きしたが……

彼のことは分からないままである。

当たり前である。94歳まで生きた人間について、2ヶ月と5時間で理解するなど不可能である。
そして知れば知るほど、人間は多面的な生き物だと突きつけられる。この世にある資料を全て読破したとて、彼のことは分からないままだろう。

だからこそ面白い。

私の好きなゲーム作品へのから言葉を借りて、ひと夏の思い出を、このnoteを締めたいと思う。

「君のことを知ろうと思った。知りたいと思った。」

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