メキシコ日記・・30年ぶりのメキシコ旅行
二年間の療養生活を終え、リハビリをかねてメキシコ旅行。ここには娘の名前の由来となる浜辺もある。若かりしき頃の思い出の地。三週間の旅行ののちキューバに渡る予定であったが・・カンクンで緊急入院。オアハカ、グアナファト、プラヤデルカルメンを巡る旅の記録である。
1日目・・出発の日
朝が来ました。
旅立ちの朝である。昨夜は興奮してか、あまりよく眠れなかった。まぁ、飛行機の中でたっぷり寝れるからそれはそれでいいかも。時差ボケも直さないといけないし・・
メキシコに着くのは、日本時間で明日の早朝。わが町からだと、成田での乗り換え時間を入れると24時間の道のりである。長いです・・考えたら、ため息出そう・・
メキシコシティは2400メートルの高地。空気が薄い。そのため、肺の弱い私には少し心配である。いきなりメキシコシティはきついので、近くのオアハカという街で少しのんびりする予定である。ここは1500メートルの高さで、この前行ったカトマンズと同じくらいである。
この街は初めてではない。三十年ほど前に訪れた。田舎ののんびりしたいい街である。
その時の旅行記でこんなことを書いている。
ソカロに面したホテルに泊まることにした。窓から緑の多いソカロが見渡せるいい部屋である。ソカロでは町のオーケストラが演奏をしている。30人くらいの楽団で、みんな楽しそうに演奏している。それを聞きながら昼食を取る。旅のいい所の一つに昼間からビールを飲めるということがある。
ビールを注文すると必ずどの銘柄にするか尋ねてくる。テカテというのを頼むとレモンが一緒に出てくるので、ついこれを頼んでしまう。食事が終わると酔ったのか眠たくなる。
部屋に戻り昼寝をすることにする。窓の外からはオーケストラの音が聞こえてきて、まさに天国である。ふっと、頭の中が真っ白になる。これが無我の境地と人は言うのであろうか。初めての経験であった。幸せの極致である。
オアハカで今の体調を整えて、その後いろいろメキシコの街を回る予定である。
いざ出発である。
2日目・・メキシコ到着
無事メキシコ、オアハカに到着しました。現在、メキシコ時間午後9時。寝てないので、すごく眠たいです。
ホテルにチェックインして、これから出かけようか思案中。メキシコの夜は12時くらいまで賑やかなので、まだまだ大丈夫。お腹が空いているので、何か食べ物を探しに行く予定。ただ、寝てないので思考力ゼロ。
ここまで、いろいろありました。英語もほとんど通じない完全アウェーの中、右往左往。まぁ、書き出すとますますご飯が遠くなるので、それは後ほど。このまま寝てしまうのも辛いし・・ホテルのレストラン閉まってるし・・非常食のカップヌードル1日目に投入なんて・・
まずは外を歩いて来ます。
とりあえずは無事についたということで。
泊まったホテルは・・
3日目・・オアハカ散策
今日もヘロヘロになってホテルに戻って来ました。予定では今日は時差ボケを直すために休息日と考えていたのですが・・夜中あまり眠れなかったので、朝食後、爆睡。昼までは予定通り、安息日でした。
昼から、ちょっとだけオアハカ市内観光をと出かけたのですが・・
本格的に歩いてしまいました。
まずはメルカードへ。
どこの国でも市場は活気があります。そして、安い。ここで私のサングラスお買い上げ。とにかく日差しが眩しいので、歩けません。そのために・・お値段・・600円。
ついでにカミさんは老眼鏡。よく老眼鏡なくすもので・・こちらは300円。
しかし、市場の雑踏に疲れたのでソカロの近くのレストランへ。お約束のビールです。今日は体を休める日だからと、昼下がりをまったり・・そこで終わらせればよかったのですが・・
ビールの勢いで、オアハカの文字のあるサント・ドミンゴ教会へ行くことに。暑い中、ヘロヘロになりながら到着。
写真撮るたけで終わればいいものを、さらに教会付属の美術館見学。軽くと思ったのですが、中身が濃く、つい長居をしてしまった。
最初は近所歩きということでサンダル履きで出かけたのが失敗の始まり。帰り道、足を引きずってました。
その帰り道、二階建てのオアハカ市内観光バス発見。これなら歩かなくても市内観光できると思ったのが浅はか・・バスの中で寝てました。
私たちが乗ったので、わざわざ英語ガイドが乗車してくれたのに、聞き手はカミさんのみ。どうもすみません。
ガイドの人も何か申し訳ないと思ったのか、特別にお土産くれたりして。
時差ボケのヘロヘロの一日でした。夕食は出かける元気もなく、ホテルの前のタコス屋さんで。これは灯台下暗しで美味しいレストラン発見でした。
まぁ、こんな感じでの1日でしたが・・・やっぱり時差ボケがきついです。
4日目・・バスチケット購入とモンテアルバン
今朝のミッションはミトラ行きのツアーを探すことと、プエブラ行きのバスを予約すること。
ホテルの人に聞いて、バスのチケット売り場へ。なんとなく雰囲気で、スペイン語だけでチケットを買える寸前まで。最後、お金を払うときにトラブル。窓口のお姉ちゃんがイロイロ言いますが・・理解できるわけもなく・・
困っていると、後ろの青年が助け舟。手数料7ペソいるけど了解するかと聞いていると教えてくれた。
そこを乗り越え、カードの支払い。暗証番号入れて、さぁ終わりと思ったら・・このカード使えません・・とのこと。そのとき持っていたカードはアメックス。バスチケット売り場では使えませんでした。
キャッシュはないのかと聞かれ、手持ちのお金がなくなっているのが判明。とにかくホテルに帰り仕切り直しです。
まずは、なくなった現金の確保。銀行に向かいます。シティバンクの口座から手数料なしで下ろせるのはバナメックス銀行。その銀行の場所はソカロの反対側にあるのは昨日確認済み。
ソカロを横切ろうとすると、キャッチセールスの兄ちゃん登場。写真を見せて売り込んできます。適当にあしらい無視した後、ふと気が付いた。ひょっとして、探しているツアーではないかと・・
戻って、兄ちゃん聞くと、ぴったしカンカン。探していたツアーの売り込みでした。1日ツアーで200ペソ、1200円。安いです。その場で申し込んで、明日ホテルへお迎えとなりました。
一つ、ここでミッション終了。
銀行でお金をおろして、バスチケット売り場へ。係のお姉さん、ちゃんとパソコンにデータ保存してくれてました。全て、同じ流れなので、スムーズに完了。
今日のお仕事、午前中で終わりました。
さて、この後、今日は何しよう・・
ということで、午後から昼寝をする予定でしたが・・
やっぱり出かけてしまいした。
行き先はモンテアルバンという遺跡。名前の通り、山の上にあります。半病人の私には辛いところです。街から、乗り合いバスに乗ること30分。急な坂道を登り切って到着です。
ここは二度目の訪問。三十年前に来ています。その時の旅行記には・・
バスは町中を出て、山を登り始める。急な坂道である。ガードレールがないので、ひ やひやものである。30分もしないうちにモンテ・アルバン遺跡に着く。本には丘の上 とあるが、結構高い山の上である。ガイドの連れられて1時間ほどの説明があり、その後は自由行動となった。しかし、説明と言うより授業という感じである。客とガイドが 論争を始め、さらに別の客がそれに加わる。ガイドも大変であろう。
客のほとんどが考古学に興味を持っており、専門家もいるようである。かなり突っ込んだ話のようである。ここはまだ完全に発掘調査が終わっていない。ひょっとすると、金銀財宝がまだまだ 出てくる可能性があるので、ついつい発掘中のところで足が止まってしまう。
それにし ても暑い。乾期なので空気も乾燥していて喉が乾く。数本ある木の下に逃げ込んでいる 人も多い。午前中に来て良かったと思う。午後の暑さでは見学どころでないであろう。
ピラミッドの上に登ると、360度のパノラマである。オアハカの盆地が全て見える。色は赤茶である。風が気持ちいい。
この時はまだ未開発で、いたるところに岩がゴロゴロしていた。その岩には、いろいろ絵が書かれていた。その岩は今は博物館の中・・そして、昔なかった遺跡がたくさん増えていた。発掘したのであろう。昔は荒れ野原という感じだったが、整備されて観光地になっていた。
しかし、いくら観光地になっても暑さは一緒だった。帰りの予定を早めて、そくそく街へ帰還。その足で、もう一つのモンテアルバンにむかった。
そこは、モンテアルバンホテル。前来た時に、このホテルで民俗舞踊のショーを見た。まだやっているかと思い、行ってみると、やはり残っていた。今日の席に空きがあるかと調べてもらうと、なんとか確保できた。
ショーの始まりは8時半。食事をしながらのディナーショーである。
ショーの中身は変わっていなかった。鮮やかな衣装で若者が踊る。そして、なんと私も踊ってしまった。踊り子さんに誘われること、二回も・・どうも外国人は目立つようである。カミさんも、結構盛り上がっていた。
楽しい夜を過ごすことができた。
5日目・・ツアー参加
オアハカ郊外にある石灰岩でできた滝イエルベ・エル・アグア見学ツアーへ。片道2時間の距離にあり、公共機関が使えません。行くならば、タクシーかツアー参加。大体こういうところは足元をみて高い料金がかかるのですが・・今回は200ペソの格安ツアーが見つかりました。
さらに行くだけでなく、途中、ミトラ遺跡、世界で一番大きな木、織物工場、メスカリ工場の見学がついて来ます。かなりお買い得なツアーなのですが・・・美味しい話には、当然いろいろありまして・・
バウチャーの右隅には小さな文字で、入場料、昼食は別途とあります。やっぱりね・・結局、入場料は総額200ペソほど追加になります。
まぁ、これで計400ペソのツアー。普通のツアー料金ですな・・
が、それだけではすみませんでした。
滝を見た後寄ったレストラン。たくさんのツアーバスが止まっていたので流行っているのでしょう。ビュッフェ形式で、各自食べるタイプ。席についても、なんの案内もなし。メニューなし。
席にじっと座っているわけにもいかないので、他の人がしているように皿に適当に料理をとって食べることに・・味はまあまあ普通。種類も多いです。
でも、いくら種類が多くても、体は一つで、食べれる量は限られています。飲み物の注文が来ても、メニューなしで尋ねて来ます。よくわからないシステムです。
さて、食べ終わって、ウエイターが置いて行った請求書は・・
これ間違ってますよ・・メキシコにきて、そこそこいいところでも食べていますが、二人で200ペソ超えたことはありません。
385ペソ・・
これ、四人分ではと、尋ねるといろいろ説明する。あのう、スペイン語わからないのですが・・
不満そうに証拠写真をとって、500ペソ札を渡すと、150ペソ戻って来ました。35ペソ値引きです。隣の席でもトラブっているようで、支配人らしき人が来て説明していた。みなさん、ご立腹です。
最初に値段を教えないで、食べた後に教えるって、これやばくない・・新手のぼったくりツアーの手口のようです。
まぁ、確認しなかった私が悪いのですが・・
その後のミトラ遺跡の見学、私はパス。
織物工場、当然パス。
メスカリ工場・・酒の匂いにつられ見学。
街に戻って来たのは、予定から遅れること2時間。8時を回っていました。
まぁ、ツッコミどころ満載のツアーでしたが・・
話はさらに最悪のパターンに・・
部屋に帰ると、カミさん、強烈な下痢に・・昼ごはんの何かが悪かったようです。薬も飲んだのですが、夜中何回もトイレに行き、朝まで寝込んでいました。
6日目・・プエブラへ移動
朝起きても、まだカミさんの調子は悪いのですが、本人がなんとか行けるということで・・まず、最悪の場合考えて、バスにトイレがあるかどうか、チェック。ちゃんと、トイレサービスの印がついていました。それにしても、トイレがサービスなんて、ちょっと面白い表現。
バスの発車時間が12時なので、余裕を持ってホテルをチェックアウト。タクシーで、バスターミナルへ。渋滞もなく、すんなり到着。メキシコはタクシーが安いので助かります。
昨日の夜から、カミさん何も食べてないので辛そうです。食べると出るので、我慢しているとのこと。申し訳ないですが、私は昼ごはん用にパンを購入。
12時になってやっとバスに乗車。豪華バスです。乗り心地満点でカミさんも上機嫌。これでなんとか移動できそうです。
しかし、オアハカ市内は渋滞で進まず、幸先悪し。途中は高速道路で快調なはずですが、山に入ると片側一車線。前に遅い車がいると、なかなか進みません。サボテンの森の中、のんびりドライブというところでしょうか。
結局プエブラについたのは2時間遅れの6時半。そこからタクシーでホテルへ。ホテルから外に出る気力もないとのことで、ホテルのレストランで夕食を取ることにしました。トリップアドバイザーで評判を調べると、プエブラで11位の高評価。値段が怖いですが、ここは頑張りましょう。
カミさんはスープ、そして私はステーキ・・飲み物はカミさんは水で、私はビール・・なんか申し訳ないですが・・
味は文句なし。お勘定は二人で二千円ほどでした。まぁ、私のステーキが千円以上してますが・・楽しみにしていたサボテンのステーキもついて来たし・・満足の夕食でした。
これで明日の朝、元気になっているといいのですが・・
7日目・・プエブラ観光
朝早くから、パトカーが走るし、警官が立っているし・・遠くから、何か叫び声も聞こえて来ます。何か事件でもと思っていたら、ホテルの前をマラソンランナーが走っていきます。
カミさんは体調はま今ひとつなので、私だけ見学をかねて散歩です。交通規制が敷かれているので、街中は一台も車が走っていません。まだランナーが来ていないところは、まるでゴーストタウン。
その後、有名な通りをぶらつき、そして、マラソンゴールへ。市民マラソンのようで、いろんな人がゴールしていきます。中には、犬を連れたり、子供連れだったり・・
昼前にはカミさんが復活したので、改めて市内観光。ソカロでブランチの後、カテドラルでミサに参加。何度見ても、カトリックのミサは荘厳です。
そして、日曜市が開かれている有名な通りへ。まぁ、いろいろ物が売られています。
見ているだけで楽しい市なのですが・・この頃から暑さが厳しくめまいが・・高原の町なので、空気は薄いは、紫外線は強いは・・博物館へ緊急避難。
今日は日曜ということで入館料が無料。タダだけどチケットを買わないといけない変なシステム。そうすると、料金0ペソのチケットがもらえます。
この博物館、Museo Amparoというらしい。
紀元前の遺物から現代美術まで色々展示しています。全て見ようと思うと、ゆうに半日はかかります。
屋上はカフェになっていて、食事もできます。サボテンステーキも焼いてました。ここで体力回復するまでジュースを飲んでまったりです。
涼しくなったところで、また市内観光です。疲れているので二階建てバスで手抜き観光。
が、途中から雨。
さらに雷も・・
そのため、一階の屋根のあるところへ。
なんとための130ペソ・・ため息・・
8日目・・プエブラからメキシコシティへ
プエブラからメキシコシティに移動して来ました。
さらに高度が上がり、2400m。気のせいか空気が薄く感じます。
歩くと疲れやすく、ビールも早く酔いが回ります。酒飲みには安上がりの町です。
さて、メキシコシティに来て、まずすることは・・洗濯です。
少しはカミさんが洗っていたのですが、かなりの量の洗濯物が溜まってます。ホテルに洗濯機があるかと期待したのですが、なし。ランドリーサービスの値段表を見ると、靴下ですら100円。
これは無理だと、コインランドリーを検索したのですが・・見つかったのは数キロ先。それを検索している時に一緒にでききたのが、ラバンデリアという言葉。どうも洗濯屋さんという意味のようです。
アジアを旅行していた時は、いつも洗濯屋に頼んでいた。一キロで大体300円くらいなので助かっていた。
近くの店を調べて見ると、ホテルから800mくらいのところにあると出た。これは行くしかないと、少し下町っぽい通りを歩いて行った。グーグルさんが教えてくれた場所にたどり着くも店の姿なし。
今までも色々グーグルさんには泣かされている。これ、ガセネタかも・・
念のため、鍵屋の爺さんに聞いて見ると、あるという。
左に進み、さらに左と手で示す。
言われるままに進むが、左に曲がる道はない。どうもビルの中へ入るようである。
適当なビルに入り、そこでラバンドリアと聞くと、やはり同じゼスチャー。
これは確実にある・・
その次のビルの中で聞くと、英語がわかるかと聞くので、イエスというと・・フォーティツーと返ってきた。
42???
すると、カミさんがビルに数字が書いているのを見つけた。なるほど、ビルの番号を教えてくれたようである。
少し歩くと、確かに42の文字。そこに入ると、中には数軒の店が入っていた。しかし、その中には洗濯屋さんなし。
その一軒の店主にラバンドリアと聞くと、階段を上がれという。
二階に行くと、数台の洗濯機が置かれている店を発見。
やっと見つけた。
しかし、店主不在。自分で洗濯せよということか・・
悩んでいると、主人が戻ってきた。袋に入った洗濯物を差し出すと、三日後にできるが、それでいいかと言う。了解すると、重さをはかり、預かり証をくれた。
完了である。
帰り道、鍵屋の爺さんが最高の笑顔で見送ってくれた。それにしても、スペイン語分からないのに意思疎通できるものである。お互い、人間。なんとかなるものだ。
意外に早く洗濯問題が解決したので、その後はホテル周辺を観光。
結局1日で14キロ歩いていた。途中、しょぼい日本人にもあったが・・
日本人同士の方が会話できなかったりして・・
9日目・・ 国立人類学博物館へ
田舎者にとって人混みも疲れるところである。特にメキシコシティーに来てからは人に揉まれて動いている。
満員の地下鉄にも乗った。噂で治安に問題があると聞いていたので緊張していた。しかし、乗っている人は親切で乗り換えを教えてくれたりする。少なくとも東京の地下鉄より楽であった。
メキシコに来て思うことだが、人が優しい。何がしら、助けられて生活している。
本日のお出かけ先は国立人類学博物館。有名な太陽の石、アステカカレンダーがあるところである。三十年前、ここの博物館の屋根に圧倒された記憶がある。
昔の旅日記にはこのように書かれている。
一流ホテルかと見間違えるようなロビーを通り中庭にでると、一本の柱に支えられた50m四方もある大きな屋根が目に飛び込んできた。メキシコの人には失礼だが、こんなにすごいものがここにあっていいのだろうか?と感じてしまった。
その柱は直径5m程しかなく壁を伝わって水が流れ落ち、まるで噴水が大きな屋根を空に押し上げているように見える。UFOが頭の上に浮かんでいるようである。
残念ながら、屋根は工事中で周りを壁で囲まれていた。噴水も止まっていた。少し残念であったが、アステカカレンダーは相変わらずの迫力を持って迎えてくれた。
ここに4時間ほどいただろうか。広い博物館を全て見た。見るもの見るものがすごく、気持ちにマンネリ化して来た。贅沢な話である。
10日目・・テオティワカンへ
今日は疲れているので休息日と思っていたのですが・・
カミさんが起きるなり、今日はどこに行くと聞く。寝たら元気になったという。ならば、いざテオティワカンとなった。
地下鉄を乗り継ぎ、北バスターミナルへ。さらにそこからバスに乗り、テオティワカン遺跡へ。
ツアーを使えば楽なのだが、高い。一人一万近くする。この方法でいけば一人千円ほどですむ。さらにツアーで行くと時間制限がある。私の場合、体が人並みに動かない。自分のペースで動きたい。そうなると、自分で行くのに限る。
三十年ほど前に行った時も、ツアーを使わなかった。
そして、たどり着いたテオティワカン。あまりの変わりようにびっくりした。
まず入口が変わっていた。ど真ん中の太陽のピラミッドの前が入口になっている。以前は入口から太陽のピラミッドまで1キロほど歩いた。それが入ると、すぐ前である。
いきなり太陽のピラミッドがドーンとである。感激の光景である。カミさんは、感激を通り越して、びっくりしていた。写真からは想像できない大きさ。これだけは実際に見ないとわからないものである。
世界で三番目の大きさである。さらに、登れる。が、今の私の体では・・・諦めていた。
中腹まではと、登って見た。ゼエゼエ言いながら登れた。上を見上げると、頂上が近い。こりゃ、行くしかないでしょ。なんどもなんども休みながら、頂上へ・・
登れた・・・
日常生活がやっとと言われた私の体が、ピラミッドに登れました。
やればできる・・
その後、月のピラミッドも登る。ただ、ここは途中までしか登れなくなっていた。昔来た時はもっと上まで登れた記憶が・・
その時、犬がピラミッドの上まで登って来た。
昔の思い出が蘇って来た。
開門まで1時間前であったが、係の人が中に入れてくれた。誰もいない廃墟のなかに入った。門番の人が飼っている犬が道連れである。雨の降るなか遺跡の中心にある死者の道を歩いていく。まわりの光景は石造りの風化した宮殿が続く。
20分ほど歩くと太陽のピラミッドが見えてきた。世界で3番目に大きいピラミット。多くのいけにえの上に立つピラミッドである。そしてその先には月のピラミッドである。
まず、月のピラミットに登って遺跡全体を眺めたいと思った。なんといっても人がまだ誰もいないのである。昔のままの光景が見れるはずである。
急な勾配の階段を犬と一緒に登る。かなりきつい運動である。上に登って振り返るとそこには広大な遺跡群が広がっていた。・・昔の日記より
やればできる。
満足の1日であった。
11日目・・ 休息日
私の体は元気なのだが、どうもカミさんの体調は良くない。今回の旅行二度目のダウンである。どうも教会に行くとお腹が痛くなるようである。ひょっとして、カミさんは悪魔の手先なのかも・・
私の見立てとしてはカミさんは食べ過ぎだと思う。日本にいる時は朝はそれほど食べない。それがメキシコに来てからは、朝から食欲旺盛である。
例えば、こんな朝ごはんである。まず、カプチーノとパンを食べる。日本なら、これくらいで終わるのだが、さらに卵、ハム付きのパンケーキ・・ポテトグラタン・・
まぁ、私と分け合って食べているのだが、ちょっと多すぎ。こんなのがメキシコに来て続いている。当然、胃も疲れるはずである。
メキシコの人はよく食べる。周りの人を見ていると、普通にこれくらい食べている。つい、周りの人に合わせて注文してしまう。
これから少し食べる量を減すことにしよう。
と思っていても、店に行くと美味しそうなものばかり・・体に悪い国である。
12日目・・新しい市内バス路線ができていた
メキシコシティのメトロブス(metrobus)に新しい路線ができていた。メキシコシティのバスを乗りこなすのは難しい。30年前に来た時は、レフォルマ通りに走っているバスしか使わなかった。どこでも手をあげると止まってくれ、適当なところで降りれるので助かった。
しかし、今年来てみると、そのような路線がなくなっているようである。
国立人類学博物館から手をあげて乗ったバスは、すぐ近くの地下鉄の駅が終点となった。以前だと、かなり長い距離レフォルマ通りを走った。
すぐに降ろされ、納得できなかったのだが・・
レフォルマ通りに出て、バスに乗ろうとした。やはり、昔乗ったバスは来ない。その代わりに二階建ての赤いバスが頻繁に来る。このバス、二階建てなので、ツアーバスだと思ってたいたら・・新しくできた七号線のメトロバスだった。
確かに国立人類学博物館の前にもたくさんの二階建てバスが走っていた。人類学博物館からグァダルーペ教会まで旅行者が行きたいところをカバーしてくれる嬉しい路線である。なんなら、二階席に乗っているだけで市内観光ができる。素晴らしい路線ができたものだ。
しかし、まだ、公式のMetrobusのホームページでも6番線までしか説明がない。かろうじて、このページにあるグーグルマップだけが7番線がのっている。
バス停の案内地図を見ても、6番線までの古い路線図のところが多い。グーグルで出て来るバス情報も古いものばかり。メキシコに来て思うのだが、ネット情報が新しい情報に追いついていないことが多い。そして、検索かけて出て来る情報は古くなったものが上に来る。グーグルさん、何とかしてよぅ・・
バス路線だけでなく、その他の情報も日本語ベージのものは古いものが多い。
ヨーロッパの地球の歩き方の初版が出た頃、情報が怪しく、地球の迷い方なんて言われて使い物にならなかった。
今、古いグーグル検索結果が旅行者を迷わせる原因になっている。
例えば、カンクンの空港情報。第4ターミナルまでカバーしている日本語情報は少ない。知らないで第4ターミナルに降り立ったら、迷いまっせ・・
みなさん、古い情報に気をつけましょう・・私も気をつけねば・・
13日目・・殺人事件と出会う
殺人事件現場に遭遇した。メトロバス七号線に乗っていた。何気なくバスの外を眺めていると、パトカーが二台止まっている。
バスもその横に止まった。なんだろうとよく見ると、一人の男が倒れている。それを数メートル離れて数人の警官が見ている。よく見る刑事ドラマと同じ光景である。倒れ方も同じ。
あまりに普通に出会ってしまった。
そして、バスが発車し、その場所を離れた。
郊外に出ると治安が悪くなると聞いていたが・・その近くで降りる予定であったがやめた。終着駅まで乗って、それから折り返すこととした。
終着駅。そこは地元民の信仰が厚い教会だった。賑やかな雰囲気が漂っていた。おかげで気分が落ち着いた。
メキシコシティ最後の夜はマリアッチ。トリップアドバイザーがホテルのすぐ近くにあるよと案内してくれた。口コミを見ると一人300ペソくらいの予算とある。最後の夜だからと出かけて見た。
目的はマリアッチを聞くだけだから、メニューは安めのものを選択。二人で400ペソですんだ。その代わり、マリアッチのバンドと世話をしてくれたおばさんメイドに多めのチップを弾んだ。
マリアッチのバンドは総勢十名程。そのバンドに囲まれて数曲歌ってもらった。いい思い出ができた。
14日目・・グアナファトへ
メキシコシティからバスで5時間ほどのグアナファトへバスで移動。。
週末はフェスティバルということで街が盛り上がっています。観光客も多く、私の泊まっているホテルも満室です。
今いる部屋、便利そうで不便な部屋です。二階で道路に面しているので、バルコニーからパレードを見ることができます。メゾネットの部屋なので、中二階にベットがあります。二階に登って、さらに登ります。特別な部屋をあてがってくれたようです。しかし、空気の薄いところでは、結構辛いです。
キッチンがついているのですが、テーブルがありません。ベッドのサイドテーブルを使ってパソコンを使います。
場所は街のど真ん中。ただ、坂の多い街。どこに行くにも登ったり降ったり。朝ごはんの会場がちょっと離れたところにあって、登って降ってたどり着きます。食べた後、部屋に戻るのも大変です。
ミサが開かれるので、至る所から鐘が聞こえてきます。町歩きをしていると、すれ違う人から挨拶されます。日本人が珍しいのでしょうか・・子供はガン見してきます。
人の写真を撮っていいかというと、気持ちよく応じてくれます。この人たち以外にもたくさん写真を撮らせてもらいました。外国人に優しい街です。
ただ、街を歩いて写真を撮りたいのですが・・坂道が多すぎ・・
修行のような1日です。
15日目・・グアナファト観光
グアナファトは盆地にあって、昼の暑さがすごいです。昼前から市内観光していたのですが、日差しがすごい。そのため、街並みがくっきり・・
この街は女性に人気の都市とか。確かにインスタ映えする街並みです。日本人の女性もよく見かけます。
この暑さの中頑張って歩いていたのですが・・坂道多すぎ・・
喉が乾いて、昼ごはんにビール。
レモンを絞ったビールがうまい。
昼ごはんは・・鳥の丸焼き。
店先で焼いていて、吸い込まれるように店内へ。
メキシコは一人分の量が多いので、一人前だけ注文。半羽頼むと、ご飯とサラダがついてきました。これを隣に座ったお嬢さん、一人でペロリと平らげてました。
しかし、メキシコの人はこれが普通です。私たちは二人でも残してしまいました。お値段は五百円ほど。お味は懐かしい味。子供の時食べた鳥の丸焼きそのものです。味付けは塩味のみです。
ビールを飲んで気持ちよくなって、ホテルの部屋でシエスタ。夜の観光に備えます。この街の観光は夜がメイン。楽団が街の中を練り歩きます。
16日目・・グアナアフトからカリブ海へ
グアナファトからカンクンへ移動。
ホテルから空港までUber使おうと、リクエストすると到着まで15分とのこと・・街の中をぐるぐる回っています。グアナファトの街の中は一方通行が多い上、トンネルだらけ。バス停すらトンネル内にあるくらい。
街の中のいたるところでトンネルへの入口があります。かなりホテルまで近づいたと思うと、突然、相手の車が消えた・・
どういうこと・・
そして、違う車が現れた。また、待ち時間15分。じっと車がくるのを地図で見ていると、だんだん遠ざかっていく。大丈夫かいなと見ていると、方向転換。近づいてきました。そして、そろそろというところでまた車が消えた。
予約した航空会社はinterjet。できれば2時間前に空港に着きたい。ホテルから空港まで30キロほど。少なくとも、30分はかかる。だんだんやばくなったので、Uberを使うのを断念。
ホテルのフロントでタクシーを頼むと520ベソ。足元見られました。Uberだと、300ペソくらい。千円以上の無駄出費になった。
Uberはメキシコシティなどの都会ではすぐ来る。メーターを使わないメキシコでは、タクシーでは値段交渉から入る。Uberだとそれが省ける。便利である。
しかし、どうも田舎ではそうはいかないようである。
ネットでカミさんが調べると、行くふりをくるくるまわり、キャンセル料で稼ぐ車もあるという。どうも、そんな車に出会ったようである。
色々回った高原の街はこれにて終了。
3時間かけてカンクンへ。その後バスに乗り、プラヤデルカルメンへ。
ここ、プラヤデルカルメンは今、世界で一番人気の観光地。
かつて30年前に訪れた時は小さな町でしたが、賑やかなリゾート地に生まれ変わっています。世界中から観光客が集まっています。
そのためか、昨日までいた街とは雰囲気がガラリ・・メキシカンからアメリカンへ変わりました。
レストランの種類もインターナショナルで色々な店があります。
ひさひざのイタリアンの店で晩御飯。
味は良かったのですが、会計の時にぼられました。店がぼったと言うより、ウェイターが仕組んだようで・・
一応、ぼったくり対策のため請求書の写真を撮るようにしています。レシートはメキシコの場合、支払いの後は客の手元に残らないことが多いので・・
それを見たウエイター、会計が終わっているのに急にカクテルを進めてきます。そして、強引に二人分のカクテルを置いていきました。支払いが気になったので、ホテルで請求書を確認すると・・頼みもしないカクテルが二杯分追加されてました。
なるほど、請求書を写真で撮られたので、やばいと思ったウェーター、追加した品物をテーブルへ持ってきたようです。
こんなところも、アメリカンとなっています。
17日目・・コスメルへ
プラヤデルカルメンの朝。
ホテルは木に囲まれているので、鳥の鳴き声が賑やかです。
ホテルの朝食も、一気に貧疎なアメリカンへ。シリアル中心で、暖かい料理なし。パンとコーヒー、ジュースで簡単に済ませました。
昨日まで、朝からたっぷり食べていたメキシカンの朝食。ついつい食べ過ぎていたので、健康にはいいかも・・
さて、今日どこに行こうか・・
海にしようか・・
ジャングルにしようか・
考えた末、コスメル島に渡った。1時間にも満たない船旅である。船上ではバンド演奏があり、ナオミ風のおばちゃんが踊ったりして盛り上がっていた。さすがメキシコ、ラテン気分満載である。ちょっとしたカリブ海クルーズの気分を味わえた。
島に渡ると、本物のクルーズ船が何隻も停泊していた。コスメル島は透明度の高い海で有名である。ダイビングやシュノーケルを楽しむ人が集まる。
私も潜りたいところだが、まだ傷が閉じていない。残念ながら、泳いでいる人を眺めているだけである。せめて雄大な海を見ようと、タクシーをチャーターして島を横断してみた。
たどり着いた海岸は残念ながら流れ着いた藻で覆われていた。なかなかうまくいかないものである。
車をチャーターする際、ツアー会社からビックボートの客は高くするが、あなたはカルメンからの小さな船だから安くすると言われた。微妙な気分・・
コスメル島を楽しんでいる人は年寄りが多い。プラヤデルカルメンの街は若者中心が、コスメルは年寄りが多い。そして、島の通りにはずらりと世界中のブランドの店が並ぶ。多くのクルーズ船が停泊するためである。
この街を歩く年寄りは服装が若い。派手な格好をして、堂々と歩いている。それがまた似合う。
コスメルの文字で写真を撮っていたら、一緒に写らないかと誘われた。
そのほか、色々声をかけられた。旅に出ると、みんな友達・・そんな気分にさせてくれる島であった。
コスメル島から帰って、プラヤデルカルメンの街を歩いていると日本人カップルに出会った。まるで汚物を視るがごとく、無視された。
すみませんねぇ・・
海外旅行気分を害してしまって・・
18日目・・ チェチェンイツァーへ
チェチェンイツァー観光。
朝8時半のプラヤデルカルメン発のADOバスに乗り、出かけてきました。行きは4時間、帰りは3時間半のロングドライブ。しかし、バスの乗りごごちがいいので、それほど苦になりませんでした。まぁ、バス旅はほとんど寝てますが・・
が、うとうとしていると・・
ご褒美をつかわそう・・
天領でござる・・
なんて、日本語が聞こえてきます。バスの中で流れている映画を視ると、なんと日本の映画・・ではなく、江戸時代の日本を舞台にするアメリカ映画でした。
内容は隠れキリシタン。吹きかえられたスペイン語がわからなくても、話の流れは理解できるものでした。出ている俳優も浅野忠信や片桐はいりといったところで、なかなか面白い。
後で調べると、沈黙という有名な映画・・
無知とは恐ろしいもので・・・
それを見ているうちに、チェチェンイツフーに到着。
早速、チケットを買って入場です。
ちょうどその時、日本語観光ツアーの方も同じ時間に入場でした。後ろについて行って、無料で日本語ガイドに乗っかろうとしたのですが、カミさんに怒られました。私的には、いいアイデアと思ったのですが・・
遺跡の中は予想どうり、灼熱ツアー。
休むところを探していると、セノーテの近くでカフェ発見。事前のネット情報では、遺跡内では飲み食いできるところがないとの情報。やっぱり、ネット情報・・
ただ、ツアーで行く人のコースにはセノーテのところは入っていないようで・・遺跡内の人ごみとは打って変わって、静かな場所。
もう一箇所も、同じくツアーでは省略されるところにありました。まぁ、昔来た時はなかったから、最近できたものかもしれません。
セノーテのカフェのいいところは、遺跡に入る前のぼったくり料金ではないところ。入場する直前でも、水は200円以上します。
そしてここでは、なんとカップヌードルが・・お値段、お湯込みで25ペソ。150円ほどです。そのほかの料金設定も良心価格。
しかし、遺跡の中は土産物屋多すぎ。昔は、入り口付近だけだったのに・・遺跡全体にあります。せっかくの遺跡巡りが台無しになります。
さらに、土産物屋からは、誰が教えたのか・・
高いよ・・
高いよ・・
との日本語が蔓延。
それだと売れないよと、安いよという言葉をレクチャー。
さらに、皆さんの合言葉はワンダラー・・
百円と言うと売れるよと。
日本人反応するからと、何人かに指導しました。
もし、チェチェンイツアーで百円の声がかかったら、私の指導のタマものです。
3時間ほど観光して、天文台のところで休んでいると・・
日本語でありがとうございますと子供の声。手を合わせて、私に話しかけます。フランス人家族の一人でした。ニコンのカメラを見せ、日本びいきをアピールします。
なんか嬉しくなり、十円玉を子供達に配りました。これ、結構、海外旅行でいいアイテム・・昔はこれでジュースや酒、さらにはタクシー代までせしめたことあります。
非常に喜んでもらえ、それまで日本語を話さなかった子供まで日本語で挨拶してくれました。やはり、使えるアイテムです・・
ちなみに一円玉を渡す時は水に浮かべるとウケます。
帰りのバスは4時半出発。
4時間ほどの滞在でしたが、まだ足りない感じ。
ツアーで行くと、滞在時間は2時間弱とのこと。
ちょっと欲求不満でしょうね・・
いや、暑さ考えたら、それくらいが限界なのかも・・
ガイドさんがしきりに熱中症のことを気にかけていましたから・・長いロングフライトの後、すぐに灼熱ツアーではやばいです。
ちなみに病人の体の私・・半月の高地トレーニングが功を奏したのか、楽勝でした。
いゃあ、空気が濃いっていいですねぇ・・
19日目・・トゥルムへ
トゥルム遺跡はメキシコで一番行きたかったところ。
30年ほど前に行き、色々思い出が・・どれだけ感激したかというと、ここの遺跡がある砂浜の砂を日本に持って帰ったくらい・・
そして、その持って帰る間に色々事件が・・
これを語り始めると、とんでもなく長くなるので、また何かの機会に・・
まぁ、どれだけ気に入っているかというと、娘の名前はここの風景からつけたもの。それくらい思い入れのある地です。
プラヤデルカルメンから、コレクティーボで1時間ほどで到着。
ダイレクトに行けばもっと早く着くのだが、コンクティーボは途中で人を降ろしたり、拾ったり。基本的に乗合タクシーですから、好きなところで乗り降りできます。
そんな感じで寄り道しながら遺跡に通じる道に到着。そこから、楽しい列車バスに乗り換え、遺跡の入り口まで・・昔は当然こんなものはなく、時代の移り変わりを感じます。
着いてチケットを買おうとすると、様子が変わっています。入り口が立派な建物に・・
昔は掘っ建て小屋みたいなところで、チケットを買い、さらに名前と住所をノートに書きました。まだ発掘途中で来場者も少ない頃でしたから、そんな感じの入り口が・・立派になったものです。なんか、自分の子供が成長した様で嬉しくなります。
トゥルム遺跡に入ると、これまた綺麗に整備されています。
まるで、テーマパーク。かつての廃墟のイメージが全くなくなっています。地面むき出しだったところには、木が植えられ、まさにディズニーランド。いやいや、30年の時間を感じてしまいました。
ただ、残念だったのが、色々なところが立ち入り禁止に。これだけの入場者ですから、仕方のないところですが・・一番の写真ポイントが入れません。
ルールを守らない観光客は御構い無しに入って写真撮ってましたが・・情けない光景です。
さて、30年ぶりの再会を終え・・・何しましょう。午後の時間がぽっかり空きました。昼ごはんを食べながら作戦会議。
カミさんはボートに乗って海から遺跡を見たかった様ですが・・ここまで来て、今話題のグランセノーテを見ずに帰るわけには行けません。残念ながら、泳ぐことはできませんが、せめて見るだけでも・・
ということでタクシーに乗り、グランセノーテへ。
行ってよかったです。やはり話題になるだけのものはあります。
水の色が違います。
泳げないので、足だけつけてまったりです。亀さんが怖がりもせず寄って来たりして・・人間ナメてますね。ちょっと人間の怖さを教えておきました。
今日もいい1日でした。それにしても、毎日観光に出かけているので、出費がすごい状態です。明日からは、お出かけを減らして、ホテルまったり生活に切り替えます。また、それはそれでお金使ったりして・・
うーん、考えないことにしよう。
20日目・・カンクンへ
いよいよ、メキシコも最終節。カンクンに入りました。
今まで、少し動きすぎたので、今日からのんびりしたいと思います。
カンクンにて、思うこと。さすがカンクンです。海の色が違います。白い砂浜から、沖にむかって水色、青色、藍色とグラデーション。
そして、一気にアメリカ社会です。店はドル表示。ATMもドルでおろせます。そして、言葉が普通に英語。今まで、たどたどしいスペイン語で意思疎通していたのが、ガラリと変わります。
でも、挨拶はオラァです。人間関係、やはり挨拶が基本ですから・・
ホテル内のコンビニで、レジの人が洗濯は9時からだよって教えてくれます。
あれっとレジの人を見ると、先ほどランドリーの前でオラァと挨拶した人。そんなところから人の付き合いが始まります。とにかく、目が合えばオラァ・・
これ、基本です。挨拶すると、そこから会話が始まります。
さて、カンクンに入り、一気に物価が跳ね上がってます。
レストランなど恐ろしい値段。幸いにもホテルには電子レンジや食器があるので、自炊生活開始です。
プラヤデルカルメンからカンクンへ、コレクティーボで移動。両端をケツのでかい二人に挟まれての移動です。1時間の道のりを240円ほどで済ませられるので文句は言えませんが・・カンクンのセントロにつき、そこからタクシーでホテルへ。今回の旅行で一番贅沢なホテルになります。
と言っても、一泊13000円。豪華なホテルが立ち並ぶカンクンホテル街ではひんそな部類に入ります。
それでも、これくらいの豪華さはあります。
着いてすぐは部屋に入れず、しばらく時間つぶし。
こんなとこ行ったり・・
こんなとこ行ったり・・
炎天下の中、昼ごはんも食べずにうろついてました。
部屋に入れたのが、午後3時過ぎ。豪華なホテルにテンション上がりっぱなしでした。ホテルの中のスーパーで食材を調達し、遅い昼ごはん。
昼ごはんは、ピザを焼きましたが・・焼きすぎて、ピザせんべいになってしまいました。歯が折れそうなピザをかじりながら、ビール。でも景色がいいから許せます。
その後も、浜辺に出たり、色々ホテルの中をうろついてました。
そして、夜が来て・・ホテルのレストラン。今までずっと我慢していたマルガリータです。一応、病人ですから・・ビールは飲んでましたが、強い酒は控えていました。
これから、のんびりホテルライフということで、気が緩みました。また、このマルガリータがうまい・・おかわりしようかと思うくらい・・スペアリブのステーキにもあい、気分は絶好調。
食後、もう一度、ホテル内のスーパーへ・・この買い物の会計の時、軽い咳が出て・・目の前が暗くなり、座り込みました。ホテルの人が酸素マスクを持って来たり・・部屋まで車椅子で運ばれ、一騒動・・この時は、酒の飲み過ぎだと思ってました。
21日目・・緊急入院
一夜明け、体調も戻り、気持ちのいい朝ごはん。食欲もありました。この日は、さらに海に近い部屋へ移動するということで・・11時ごろ、ボーイさんが部屋に迎えに来て、移動開始。ホテルが大きいので、結構歩きます。
途中、足元がふらつき、まだ、昨日の疲れが残っているかなと休み休み移動です。そして、もう少しで部屋につくところで、体が痙攣・・
何事がおこったのか分からないうちに意識がなくなりました。
その後、カミさんの話ではホテル内、大騒動。すぐ近くにいたビーチセーバーの人たちが応急処置。ホテルの従業員、さらに大勢の客が集まったそうです。カミさんは、女性のライフセーバーの人に手を握られ、大丈夫だからと励まされ続けたそうです。
救急車で病院へ
ホテルが大きいので、10人近くの人に担架で抱えられ、救急車へ。
乗る前に、カミさんは金があるかと聞かれたという。最初は意味がわからず動揺していると、保険はかけてるかということで・・金がないと、救急車にも乗せてもらえない国・・いい勉強になったそうです。
それにしても、ひとり旅だったらどうなるのでしょう・・ちょっと怖くなります。
そんなこともあり、救急車に乗ったのは倒れてから20分後くらいとか・・そしてカミさんとともに、病院へ。日本と違い、横に座るのではなく、助手席に座らされたそうです。運ばれている途中、私も意識が戻り、苦しかったのを覚えています。
救急病院に着いてからは、救急治療室から検査の繰り返し・・その後、ICUにするか、個室にするかを聞かれた。大部屋などありません・・ICUだと、一泊180万円、個室だと40万円と聞き、当然ICUは論外・・
この段階でデポジットとして、80万円ほどカードで払ったそうです。
個室に運ばれた頃はかなり様態も落ち着き、普通に会話ができるようになっていました。
それにしても、私の体に残る大きな手術跡。縦横、合わせると1メートルくらいある傷ですから、医者から質問ぜめ。大網の移植手術など日本でも稀なもの。なかなか理解してもらえずに・・
やっとわかった時の医者の満足顔・・
今回のことには関係ないとのことで、その日の治療は終わりました。
色々あった一日・・私も大変でしたが、さらに大変だったのがカミさん・・保険会社との電話連絡など、大忙しだったといいます。
22日目・・病院生活
CT MRI 血液検査など、その病院でできる検査はほとんどした感じ。
スペイン語世界の病院。色々不安でしたが、なんとか乗り切りました。
まぁ、私が頑張ったというよりか、病院のスタッフが意思疎通に工夫してくれました。さらに、カミさんが病院との応対にも苦労したようで・・日本の大使館とも連絡とったというし・・知らないのは、私くらいで。言われるままに検査を繰り返していました。
そして、医者が下した診断は一過性虚血発作ということでした。要するに、何かしらの原因で脳に行く血液が減り、意識がなくなったとのことです。今の所、脳の中に損傷もなく、大丈夫とのこと。しかし、この症状の後、高い確率で脳梗塞が起こるとのこと。 一度日本に戻って検査することを勧められました。
病院設備はすごかった。
まず病室には付き添いのためのソファーベットも用意されていた。カミさんはここで寝ていた。ベット以外の設備も充実・・
ホテル並みの洗面台。手をかざすだけでペーパータオルが出て来ます。
日本では考えられない大きな便器。メキシコ人のお尻のデカさに合わせてます・・
このほか、シャワー、タンス、金庫までついていた。
食事は1日5回。
朝食の後、10時に果物の盛り合わせが出ます。
2時に昼ごはん・・ステーキなど、肉料理が出ます。
4時ごろ、またフルーツの盛り合わせとヨーグルトのおやつ。
少し遅れて、7時頃に晩御飯と続きました。
部屋も広く、食事も美味しい。ボタン一つですぐに看護師さんがやってくるし・・やってくる看護師さん、みんなユニーク。基本的にベテランが多い。若い人が珍しいくらい。性別は半々くらいで、中には、あっち系の人も・・とにかく明るい人ばかり。まぁ、極楽入院です。
しかし、やっぱり、入院は入院・・点滴で縛り付けられているし・・
一番、ビビったのが薬。とにかく大きいです。大きいだけでなく、色がグロテスク。まるで、毒みたいな雰囲気。帰国後、主治医にも見てもらったのだが・・まず、第一声・・でかっ・・
23日目・・退院・・そして帰国
二泊三日の入院の後、病院の近くのホテルでさらに2日静養し、それから飛行機に乗って帰って来ました。当然、格安チケットなど手に入るわけもなく・・ほとんど正規の値段に近い金額で帰りました。
使った費用、病院代、百八十万円。飛行機代、四十万円。合わせて、二百二十万円の出費でした。
日本に着いて、まずおにぎりを購入。日本の米がうまい・・そして、わが街の空港に着いたら、うどん。もう、たまりません。
日本に無事帰ってこれてよかった・・実感がこみ上げて来ます。
エピローグ
帰国後、保険の手続きと、病院への連絡。保険では全て賄えないことがわかりました。
カード付帯の海外旅行保険では、救援者費用が出るのが、一週間以上の入院とのこと。今回早めに退院したので、出ませんでした。
もっと長く入院できていたのですが・・精神的に外国での長期入院はきついです。結局、カミさんの分の航空券は自腹となりました。この辺がカード付帯の海外旅行保険の落とし穴のようです。
そして、入院代も一つのカードに着いている保険では足りなくて、二枚のカード付帯の保険を使うこととなりました。カード付帯の保険は合算できますから・・
治療費の高い国へ旅行するかた、お気をつけ下さい。ちょっと入院するだけで、1日あたり四十万円くらい使いますよ。10日入院すると、四百万・・やばいです・・
日本の病院ではメキシコで預かって来た診断書と画像データを渡した。
今回の顛末を話すと、すぐに一過性虚血の診断が下った。画像データを見てもらうと、メキシコでの診断通り、頭の中は問題がなかった。念のために、日本でもMRIと脳外科の診察を受けた。
主治医との話はメキシコの病院の話で大盛り上がり。二泊三日で、これだけの検査ができるところは滅多にないそうである。すごいところに入院したのですねと感心された。病院に払った百八十万円の話をすると、金持ち病院へ運ばれたのではないかという。
最後に主治医の一言。
我が病院の方がさらに設備はいいけどね・・と。
負けず嫌いの主治医です。
この記事は日記「どこかに行きたいなぁ」からの抜粋・補筆です
次に続く・・
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