二度の挫折。僕の高校サッカー
こんにちは。ヒロヤです。
珍しく雨が降っていますね。でも僕の心の天気は晴れです。一日やれることをやりたいと思います。
さて、今日は少し僕の話をしようと思います。
基本的な情報はまとめて載せておきます。
1999年12月生まれ
本名 カゲヤマヒロヤ
現在大学3年 某大学体育学部所属 スポーツ指導専攻
〜2020年3月 都内某街クラブで中学生を指導
2020年4月〜 新しい場所で指導予定
2020年4月1日 note開設 YouTubeチャンネル開設
↑時間のある方覗いてみてください^_^
難しく書きましたが、要は普通の大学生です。
ここから少し自分の話をします。
少々長くなりますがお付き合いください。
*
僕の人生はサッカー一色だった。
小学校では区の選抜に選ばれて大会に出たり、中学校では地域の選抜に選ばれたりしていた。
自信を持って入学した高校。
まず一つ目の挫折が待っていた。
10試合以上ある高校1年生だけの公式戦に、1年間一度も出場することができなかった。
意味がわからなかった。本当に意味がわからなかった。
同じクラスの仲間が上のカテゴリーで試合に出ているのを見て、本気で悔しかったし何度も辞めてやろうと思った。
俺だけ選ばれないとかザラにあった。クラスでは仲良くしてる友達も、心の中では見下してるんじゃないかって思った。
「俺を使わないのはマジでセンスない」
中学まで試合に出るのが当たり前だった僕にとって、この最初の挫折は人生最大のものだった。
僕は足が遅い。身長はそこそこ高かったけど、技術もそこそこで飛び抜けている訳ではない。戦術面と基礎体力には自信があったくらい。
悔しさを力にできる才能が昔からあった。(単純に負けず嫌いをカッコよく言ってみた)
だから死ぬ気で努力した。できることはなんでもやった。走りは、たまにずば抜けて速いやつの次になれるくらいにはなった。コーチに言われて自分のポジションじゃないポジションもいろいろやった。
結局高校1年の間は日の目を浴びることはなかった。
腐ることなく(部活用語?でやる気がなくなってだらけること)、日々努力を続け、徐々にカテゴリーは上がった。
BチームのTOPになったぐらいの時、そのカテゴリーのリーグ戦(以下地区3部)で継続的に試合に出ることができた。背番号は10番。
開幕戦で点をとった。絶対に忘れない1点。仲の良い友達も一緒に出ていて、生涯忘れられない試合になった。
その時僕たちを見てくれていたE先生。たくさんのことを学んだ。人間性、プレー、思考。僕に関しては飯のことまでいろいろ教えてくれた。
夏日焼け止めが垂れてきて目が真っ赤になっていたけど、あの時はありがとうございました。
あの頃は本当に楽しかった。仲の良い友達とする本気のサッカーほど僕の魂を震わせるものはなかった。凌ぎを削りあった二時間後には帰り道一緒に馬鹿をする。そしてまたグランドで真面目な顔をしてサッカーについて話す。
試合を戦い続けて、地区3部のメンバーは結局そのあとほとんどがAチームに上がった。
僕たちの代(高校3年)になる前の2月くらいからAのTOPで出れるようになった。
コーチたちも僕のことを評価してくれていたのがわかった。
高校サッカーには3つ大会がある。関東大会東京都予選、インターハイ、全国高校サッカー選手権大会(テレビでやるやつ)だ。
その期待に応えたい、もっと試合に出たい。
その気持ちで努力を続けた僕は関東大会とインターハイは出場することができた。どちらも東京ベスト8。
順調にいっていたサッカーライフに見えたが、インターハイが終わった夏前ぐらいにTOPから落ちた。
理由は多分、僕が人の評価を気にしすぎたからだ。
僕は僕がうまくなることよりも、試合に出ることが目標になっていた。心のどこかで僕のサッカー人生は高校で終わると感じていたのかもしれない。
今の僕から当時の僕に一つ言えるならば、「うまくいってる時こそ自分を疑え」だ。
そして迎えた選手権東京都予選。
他の会場がほぼ全て中止になるような大雨だったが、なぜか僕たちの会場だけ試合が行われていた。
結論から言うと、僕が試合に出ることはなく、試合も負けた。
水が溜まり、前にボールを蹴るしかないような状態だ。
いまだになぜ試合が行われたのか理解できない。
試合に出ていない僕でさえ、あの日のことを思い出す。こんな雨の日なら尚更だ。
僕たちは都内でも有数のゲーム支配をするチームだった。パスでボールを支配し、立ち位置と体の向きで解決する。それを遂行するだけの選手は揃っていた。
終盤まで勝っていたゲームだった。その時の僕の心境は
次の試合は絶対にメンバーに入る。
だった。その自信はどこからきていたのかわからなかったが、このチーム、仲間ともっと長くサッカーがしたい。そう心から思っていた。
負けが決まった瞬間、涙が出た。ありえないくらいでた。一生で一番泣いた。チームが負けて悔しかったのもあるが、何もできなかった自分が情けなかった。
その試合は同じクラスの二人が試合に出ていた。あの時は慰めたり、寄り添ったりできなくてごめん。つくづく自分の小ささを思い知らされた日だった。
これが二つ目の挫折。
今となっては良い思い出だけど、あの時の感情、匂い、雰囲気は今でも鮮明に思い出せる。
それこそが僕の原動力の一部になっているのは確かだ。
*
大学生になって指導を始める話はまたの機会にします。これもまた長くなりそうですが、この試合に出れなかった日が大きく関係している気がします。
最後に、
辛い時も楽しい時も一緒に行き帰りをしてくれた友達に心から感謝したい。
あの日々を絶対に忘れないし、あの日々に価値を与えるのはこれからの僕の活躍次第だと思っています。
またボール蹴ろう。
*
全ての出来事は中立。
”良い”も”悪い”も全ては自分の解釈次第。
拙い文章ではありますが、ここまで読んでいただきありがとうございました!
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ヒロヤ