めそめそしてる場合じゃねぇ(SYUUU/Base Ball Bear楽曲考察)
こんちゃ。
前回、Base Ball Bearのプールサイダーについての考察をやってきましたが、今回はSYUUUについての考察になります。
(過去にさかのぼっていく系ブロガー、百笠です。どうも。)
MVのコメント欄や各種SNSでの反応を見ると、
「これぞベボベ!っていう曲!!」
「湯浅将平さんや津野米咲さんに向けられて作られているのではないか」
「ここにきて4つ打ちの曲持ってくるのさすが」
といったものが主に多く見受けられました。
色々な人の意見を聞いて、どの意見も「なるほどなぁ」と納得することが多くあったのですが、今回はその中でも昨年亡くなった赤い公園の津野米咲さんへの曲ではないかという考えのもと、考察を進めていきます。
ここに書く内容が正解という訳ではなく、あくまで個人の考えをもとに考察していくに過ぎないため、ご指摘などあれば、教えていただけると幸いです。
さて――。
曲名の意味
曲名である"SYUUU"ですが、これは「にわか雨」の意味を持つ「驟雨(しゅうう)」を意味していると考えられます。
曲全体を見ても、大切な人が突然いなくなってしまい…というコンセプトのため、この考えは間違いはないでしょう。
また、MVのコメント欄に"SEE YOU"(またね)というダブルミーニングではないかというコメントがありました。
はい、こいちゃん天才~。
完全な別れを意味する”Good Bye”(さようなら)ではないところも
またいいですよね。
「突然の別れにはなってしまったけれど、
またどこかで巡り合えると信じている。」
そういったメッセージが込められていると私は考えています。
歌詞に含まれる赤い公園の曲たち
続いて、いくつか指摘のコメントが見られた歌詞の中に現れる
赤い公園の曲に関してです。
角曲がったら まだいないかな
透明な花の流れ 眺めても
赤い公園が初めて作ったデモCDの一曲目「透明」という曲名が入っています。
また、これは曲名ではありませんが、
曲中何度も出てくる”角曲がったら”というフレーズ
”角”は「つの」とも読めますよね。(さすがに考えすぎだとは思いますが)
また会いたいから さよならなんか いらなかった
おやすみ と 持ち上げたサイダー
3rdアルバム「純情ランドセル」14曲目に収録されている「おやすみ」
2ndアルバム「猛烈リトミック」10曲目に収録されている「サイダー」が
歌詞中に登場しています。
ふざけちゃいけない場面でふざけるバンドでありたい
この言葉は、佐藤千明(vo)脱退後、三人体制での初ライブ
「こめさくpresents~もぎもぎカーニバル~特別版『赤い公園ワンマンライブ2018☆はじめまして☆』」でのMC中に津野米咲さんが発した言葉です。
(ソースを探したんですが、見つかりませんでした…すいません)
この言葉を踏まえてサビの歌詞を見てみましょう。
降れ 降れ 涙を隠して
ほら すぐに晴れるまで
明日 笑ってふざけるから
フレー!フレー! 遠くできこえる
声 心の近くで
わかってる ふざけるよ
赤い公園ラストライブのでもこいちゃんは「僕はバンドとかロックは魂や精神は脈々と引き継がれていくものだと思う。」とのコメントを残していましたが、ここでの”ふざける”というフレーズは津野さんを意識したものではないかと考えられます。
津野米咲さんの突然手の届かないところへ行ってしまったという、
どうしようもない辛さ、悲しみ
津野米咲という人間を改めて考え、彼女が話す言葉や精神を思い返していくうちに、天国から「何めそめそしてんだ!!」という声が聞こえてきたのかもしれません。
それ故の”わかってる ふざけるよ”という津野さんへのメッセージではないのでしょうか???
またラスサビでは、次のような歌詞になっています。
降れ 降れ 涙を隠して
ほら すぐに晴れるまで
明日 笑ってふざけるから
フレー!フレー! 遠くできこえる
声 心の近くで
ありがとう ばかやろう
30年足らずの彼女の人生に対して、改めて、感謝の言葉を述べるとともに、
やはり、にわか雨のような突然の別れにやはり納得できないという気持ちが
”ばかやろう”という言葉に表れているのではないでしょうか。
まとめ
以上が、私の感じた偏見マシマシの考察になります。
いかがでしたでしょうか??
ひとつ確かに言えることは、ここで行った考察が全てではないということです。
私は音楽や芸術というのは、鏡のようなものだと思っていて
覗き込む人によって見える世界が変わる。
だからこそ素晴らしいと思います。
今回はほとんどボケ所を作れず終わってしまいました。反省反省。
真面目な話の中にも一つや二つジョークを入れられる"KOIKI"な人間でありたいものですね。
では。
百笠 双世