みんなの願い事が叶わなくてもなんかいい感じになりますように。(KANA-BOON/HOPE楽曲考察)
はじめに
あなたが好きだった人が突然亡くなってしまったら、どんな気持ちになりますか?
ほとんどの人は「悲しい」気持ちになって、涙を流してしまうこともあるでしょう。私も同じです。
でも、その「悲しい」という感情は一生続くもの、もしくは一生続かなければならないことなのでしょうか?
個人的な話になるのですが、私が身近な人の死を初めて体験したのは、
中2の冬、おじいちゃんが亡くなった時です。
祖父のお葬式の際、最も印象に残っているのは、葬式が終わり、
みんなでご飯を食べていた時、笑い声が絶えなかったことです。
さっきまで涙を流していた人も
「じいちゃんは賑やかな方が好きやから!」と言って、
祖父との思い出話に花を咲かせていました。
私はそれまで「死」というものはどうしようもなく悲しいものだとばかり
思っていたのですが、この風景に衝撃を受けたとともに、
とても「粋」だなと子供ながらに思い、将来はこんな人間になりたいと
考えるようになりました。
そのような経験あったからこそ私は、津野米咲と赤い公園を好きになったのかなと感じています。
津野米咲さんが作る楽曲の魅力の一つとして、
「ネガティブだから書けるポジティブ」というものがあります。
(レッパーさんの言葉を引用させていただいています。)
「悲しまないで」とストレートに言うのではなく
悲しい涙もいいことさと
たまのたまには許してみよう
(スーパーハッピーソング/赤い公園)
どうしても好きになれない人や嫌なことがあっても、
性格合わない人なら
どこにでも居るよね
嫌いになるのは簡単だけど
手を取り合って
音楽かけて
馬鹿騒ぎはじめよう
(楽しい/赤い公園)
自分の中の「ネガティブ」を認めたうえで、「ポジティブ」に向かっていく
という、ある意味「人間臭い」部分が、
聴く人に寄り添ってくれているような気がしていて、
私はとても魅力的に感じています。
非常に話が逸れましたが、つまり今回の記事で私が言いたいことは
いつまでも「しんみりお葬式ムード」は辞めません???
ということです。
赤い公園のPVのコメント欄やSNSの書き込みなどを見ると、
「もっと津野さんの音楽が聴きたかった…」
といった、悲しみのメッセージが多く見受けられます。
そういったコメントをすることが悪いという訳ではないのですが、
それらを見るたびに、津野さんが残した
素晴らしい音楽たちが、なんというか
悲しみの涙で埋まってしまうような気がしてしまって
自分はすごく違和感のようなものを感じてしまいます。
そんな中、私は"KANA-BOON"の"HOPE"という曲を聴きました。
津野さんが吸っていたタバコの銘柄を冠したこの曲は、
自分の中で、上手く言葉にできずモヤモヤしていた思いを
代弁してくれているように感じられることが多くありました。
(本題に入る前に既に1100字を超えておりますが(-_-;).)
今回は、"KANA-BOON"のHOPE"を聴いて自分なりに感じたことを
まとめていきます。
考察
いつだって忘れない
桜が散り 蝉が鳴き終えても
雨に打たれ風に吹かれても
いつだって離れない
落ち葉が舞い 言葉が白んでも
こころ ふたつ寄り添っているんだ ほら
"言葉が白んでも"という表現は個人的にすごく気に入っています。
"白"という色は冬を連想させるとともに、色が抜けていくような印象も
想起され、何とも言えない寂しさを感じられます。
こぼれ落ちた 愛の跡
気付けば乾いて消えていく
そんな夜を越えていく
まだ寂しいけれど 行くよ
Aメロにもあったように、彼女がそこにいたという事実は、
自分の中で消えることはないけれど、
彼女がそこにいた"跡"(ファンや周りの人間が彼女のことについて話す声)は、
だんだん少なっていくことは間違いない、ということへの示唆でしょうか?
抱いているよ
ずっと遠くへ行ってしまっても
ねぇ 聴こえてる?
この音色すべて 君の日々の糧にしてよ
抱いていて 想いを込めて
綺麗に咲く日まで
赤い林檎をひと齧り
夢で逢えたらいいのにね
まずなによりサビは、津野さんや赤い公園を連想させる
歌詞がモリモリですよね。
今は目の前にいない『彼女』に対して、音楽を通して
「前を向いて進んで行くつもりだから安心していてね。」という
メッセージを感じることができました。
いつだって待ちぼうけ
壊れた時計のような気分でさ
いまもここで君を探している
人生はハイスピードで流れていく
一歩も止まれない
そんなじゃ疲れちゃう
今夜はゆっくり眠っていいよ
この部分の歌詞は先述の「ネガティブだから書けるポジティブ」に
近いものを感じています。(曲全体からも感じますが)
「人生は立ち止まる暇なんて無いから突き進むしかねぇ!」のではなく、
「焦らずまた明日から頑張ればいいじゃん??」と言える余裕。
"今夜はゆっくり眠っていいよ"という歌詞も、
wasabi(谷口鮪×津野米咲)の"sweet seep sleep"と通じる部分が
あるのかなと感じます。
たいていのことは
笑い飛ばしてしまえばいいよ
たったひとつだけ
涙流す理由(わけ)はひとつでいいの
大事にしまった 誰にも教えない心
赤い信号 手を繋ぎ渡れば
怖くなんてなかったんだ
二番のサビの歌詞は、赤い公園の"スーパーハッピーソング"と通ずる部分を
非常に感じています。
"たいていのことは 笑い飛ばしてしまえばいいよ"という部分は
"まっかっかな紅葉も
たんぽぽも粉雪も
似合うスマイルを手に入れて
仲間たちのしあわせを
心から祈ってたいのだ"
"涙流す理由(わけ)はひとつでいいの"という部分は
"悲しい涙もいいことさと
たまのたまには許してみよう"
と通ずる部分があるのかなと感じました。
ちなみにここでの”涙流す理由(わけ)とは、何かが『終わる』ことだと
個人的に考えています。(例:誰かの死やグループの解散など?)
拡大解釈かもしれませんが、何かが続いている限りは
前向きに生きていこうというメッセージを感じました。
終わりが来たなら記憶を少しだけ
ドラマティックにするつもり
君とずっと もうずっと
もうずっと もうちょっと
あと少しいたいだけ
あと少しだけでいい
ここでの"ドラマティック"とはどういう意味なんでしょうね。(考察とは)
いなくなってから、改めて「あの人」との思い出が走馬灯のように
駆け巡る感覚を言い表していると考えていましたが、
"するつもり"という未来の"終わり"に向かって"ドラマティック"にする
ということなので、もしかして自分(鮪さん)が死んでしまった時のことを言っているのかな?でもそうしたら、"記憶をドラマティック"にするのは誰なのか??
とかぐるぐる考え続けていて未だ答えが見つかっていません。
抱いているよ
ずっと遠くへ行ってしまっても
ねぇ 聴こえてる?
この音色すべて 君の日々に届けに行くんだ
抱いていて 想いを込めて
綺麗に咲く日まで
赤い林檎をひと齧り
泣いてるんじゃないって君は言うかな
"泣いてるんじゃないって君は言うかな"
赤い公園のラストライブを見たときに全く同じことを個人的に思いました。
ラストライブが始まる前は、どんなエモーショナルなライブになるのかと、
ティッシュ箱を手にしてライブに臨みましたが、(実話です笑)
始まってみると、演奏はかっこいいし、アレンジもいいし、
(曲によってはうるっと来たのもありますが…笑)
今日が最後ということも忘れ、ただただ素晴らしいライブに
自然と笑顔になって、のめり込んでしまいました。
「最後だからって涙溢れるライブになんかしねぇよバーカ!」と
笑っている津野さんの顔が思い浮かんで、最期まで「粋」だなぁと
感じました。(ライブDVD発売したら詳しく感想書きたいですね。)
少し前の記事になりますが、「KOIKI」を発売したころのインタビューで、こんなことを言ってました。
EMTG:最近は天変地異も多くて、音楽をやることへの遠慮もあったりしますよね。
津野:そうなるのもわかるじゃないですか。空気的に嫌な気分になるのもわかるし。でもそういう時に、バカじゃないふりしたいんですよね。どうしてもみんな。自分も一緒になって考えたい。というふうに空気を読んでいて。でも、自分が自分の中で生まれた悲しみではないですよね。外から刺激されて生まれた悲しみで。それよりも誰かの中に生まれた喜びは、そういうものによってなくしてはいけないし、喜んじゃいけない瞬間ってないはずだし。と思ったんですよ。そうでありたいなっていう。大切なひとに対しては特に。ああなんか、天変地異起きてる、世界やばい、でも私今日子供産まれました、ごめんなさい。結婚式延期しました、なんで?って。おめでとうって私たちだけでも言えたらいいと思いますね。
確かに、津野さんがいなくなってしまったことはどうしようもなく
悲しいことだけれど、それで津野米咲が遺した素晴らしい音楽たちが
全て悲しいものになる理由になるのはなんか違うのかなと
個人的に思っていて。
鮪さんはそういった意味もこの歌詞や、曲全体に
込められているのかなと私は感じました。
愛しているよ ずっと
このまま世界が終わってもさ
赤い希望の火を灯し
涙が燃え尽きてしまうまで生きよう
"赤い希望"、つまり「赤い公園」の魂を受け継いだこの曲(HOPE)に
"火を灯す"、つまりタバコに火を点ける(→新たなスタート??)をしていく
という意味でしょうか??
「赤い公園の精神を引き継いだこの曲からバンドの活動を再開して、
悲しい気持ちを乗り越えて生きていく」
という、すごく希望にあふれたメッセージを感じました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。。
今までの考察と違って、歌詞全部に対してあーだこーだ
好きなように語ってみました。
話をまとめるのがどんどん下手になっているような気がしているのですが
気のせいでしょうか…???(笑)
とりあえず、私が発信したいことは"津野米咲"は音楽の中で生きている
ということです。ベボベのこいちゃんの「音楽は受け継がれていく」
という言葉は、本当にその通りで、津野米咲や赤い公園は
いなくなってしまったけど、現在、そして将来、
津野さんの影響を受けるアーティストはたくさんいます。
そういった目線で、改めて色々な曲を聴いてみると、
新しい世界が見えてくるかもしれないですね。
ほいじゃ。
百笠 双世
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