多様性の獲得によって、笑いの幅が狭くなる
MBSで放送されている「ちゃちゃ入れマンデー」にて、
絆創膏や今川焼きの地方ごとの呼び方や、お馴染みのご当地CMメロディーの違いについて取り上げていました。
スタジオのタレントさんや、リビングで一緒に見ていた母親は、自分の地域以外の地域での呼び方やメロディに対して「全然違うやんw自分らのが一番いいわ」と笑っていましたが、
多様性を獲得しつつある僕は「なるほど、そういう呼び方やメロディがあるのか」と、単純に情報として受け取っていました。
これは、多様性の獲得によって、笑いの幅が狭くなったということじゃないでしょうか。
芸人さんの変人キャラコントを見たときも、脳裏に「ありえない話ではないし、障がい者の方の中にはこういう人もいるだろう」という視点が生まれてしまって、昔より笑えなくなってしまっています。
例えば他にも、おバカタレントの知識の浅さを面白がったり、高学歴の学生の変わった性格を面白がったり、
言ってしまえばこれらは差別による笑いということになりますが、
とはいえ、他を否定して嘲けているわけではないので、排除すべき笑いではないと思います。
そうなると、僕がひとりで勝手に笑いの幅を失って損していることになります。虚しい。
何でもかんでも受け入れた結果、何も感じない人間になってしまうことだけは、避けていきたいですね。
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