剣よりも強いペンの遣い方
アンジャッシュの大島さんじゃない方、渡部さんが豊洲市場を出禁にされたというニュースを見かけました。まあ、実際に出禁になっているかどうか自体は、週刊誌の記事を報道するネット記事しかみていないので、信用のしようがないのですが。
記事になったことを記事にするって、面白いですよね。僕のこのnoteは記事になったことが記事になっているのを記事にしていることになるんでしょうか。
さて、
出禁になったことを前提にすれば、この出来事からわかることは、
さすがに渡部さんが可哀想ということでも、
豊洲市場側は渡部さんではなくマスコミを出禁にすべきだったということでもなく、
「マスコミがやってくる」ということを恐れて就労者を排除してしまうほど、マスコミがいかに疎まれているか。ということだと思います。
本筋から逸れますが、記者の匿名性と雑誌社のパワーが味方に付いているとはいえ、この状況を記事に書ける週刊誌の胆力はすごいですよね。
twitter上で論争を繰り広げている人たちの中には「マスコミは悪だが、渡部氏も許されざる悪だから仕方ない」という意見が散見されたのですが、
マスコミが悪者であるという論と、渡部さんが悪者であるという論は別なんですから、悪は成敗、というシンプルな出来事にしてはいけないと思うんです。
マスコミは嫌なことをしている人たちで、渡部さんは悪いことをしたので反省しようとしている人(渡部さんの心の中は分からないので、状況判断です)。
マスコミは、過去に罪を犯した人を(渡部さんは犯罪者ではないです)、今は悪いことをしているのではなく更生のための行動を取っていても、揚げ足を取ろうと周囲を囲っているのです。
今回渡部さんが豊洲市場を出禁にされたことで、更生の妨害と、豊洲市場に対する就労者1名の喪失とマスコミ対応のための時間奪取による営業妨害、3つの悪影響を及ぼしています。
もしかしたら「豊洲市場に迷惑をかけたことで、渡部氏はより罪の重さを知ることとなるから良し」という人がいるかも知れませんが(渡部さんは犯罪者ではないです)、
渡部さんを受け入れてくれていた豊洲市場の方たちがマスコミの殺到による被害を受けてしまうことを、制裁の代償として良しとするのですか?
僕はこれが正しい社会的制裁だとは思えません。
更生しようと働いている人を、それを支えようとしていた周囲もろとも破壊する行為を、社会的制裁と呼ぶ気にはなれません。
自分が正義だと信じてやまない者の振るう刃は、得てして必要のない破壊を生むものです。
マスコミは正義のために存在するものだという定義は正しいと思いますが、正義のためのツールであって、正義そのものではないことを、もう少し自覚して欲しいですね。
アンパンマンが恐れられる世界なんて、あってはならないでしょう。
アンジャッシュの由来は、
Joy(喜)、Angry(怒)、Sad(哀)、Happy(楽)の頭文字を並べた「JASH」に否定を表す接頭辞の「UN」をつけて「UN-JASH(喜怒哀楽がない)」
冷静な報道が求められるマスコミにはぴったりの言葉です。
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