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桐生ココ卒業に際して、コンテンツPが思うこと

はじめに

本日正午、ホロライブに所属する桐生ココさんの卒業が発表された。

桐生ココさんといえば、Playboardが発表した2020年のスーパーチャットランキングで世界1位を獲得したことでも有名な、超大物Vtuberである。

ホロライブにとって多くの海外ユーザーを獲得する切っ掛けにもなった功労者が、また現在進行形で多くの利益を生み出しているであろうトップクラスの演者が、なぜ突然卒業するのか―――

その理由は、彼女自身の配信によれば、「言えないことがとっても多いので、皆さんには言わないことになります」とのことである。

これを見て、僕が最初に抱いた感想は「この発表方法はありえない」であり、桐生ココさん風に言えば、「こんなクソみたいなユーザーコミュニケーションを演者さんにさせることを決めたファッ〇ン責任者はどこのどいつだ」である。

巷では様々な憶測が働いているが、明かされていないことに対してあれこれ言う事に自分は意味を感じないので、それについてはこの記事では触れない。

ここで自分が言いたいのは、(仮に言えないことがあるとしても)「理由は言えません」というあのユーザーコミュニケーションだけは絶対にありえない、やってはいけない、ということだ。

※念のため書いておくが、演者のコミュニケーション自体を批判しているわけではなく、このコミュニケーションを設計した(あるいは許容した)責任者に対しての疑問・批判である。

カバーのユーザーコミュニケーションはどうなっているんだ?

ほんと、どういう意図・設計なのだろうか?怒りでも呆れでもなく、純粋な疑問として「何がどうしたらこうなるんだ?」と思ってしまった。(ので、ブログを書いている)

ここで自分の作っている(作ってきた)コンテンツを振り返った時、それらが100点のユーザーコミュニケーションを実施できていたかというと、お世辞にもそんなことはないのだが、それでもできるだけ誠実に、遊んで下さるユーザーを大切に考えて(時には会社とケンカしながら、でも最終的には会社にも応援してもらって)やってきたつもりだ。その結果として、上手くいってお客様に支持していただけたこともあれば、上手くいかずにお客様にお叱りを受けたこともあった。

でも今回の情報発表にあたって、これは「頑張って努力した結果上手くいかなかった」というものではなく、「そもそもユーザーコミュニケーションを何も考えていない」か「あえて地雷を踏みぬいた」ように見えてしまった。そうではないのかもしれないが、それくらいひどいコミュニケーションだと思ってしまったというのが正直な感想である。


「言えないことがたくさんある」のは当たり前だ。

桐生ココさんを取り巻くセンシティブな状況はこの記事を読む方だったらご存じだろうし、そうでなくとも、一般的に演者の卒業というのは演者・事務所の双方に様々な理由があることが多く、言えないことはある。それは当たり前のことだ。

しかし、その中で、双方が最終的に至った結論を尊重し、できるだけユーザーをネガティブな感情にさせないようにコミュニケーションを設計するのが、これまで応援してくれていたユーザーに対する筋というものではないだろうか。

ユーザーに対する誠実さの観点以外にも、そういった姿勢こそが会社の中長期的なブランド、ひいては利益につながるのだと自分は信じている。

「理由は言えません」というのは、「どうぞ自由に憶測してください」というのと何ら変わらない。事実、今回の卒業発表によって、カバーにとって不利な憶測がネット上に出回っており、残念なことにカバーの社会的評判やブランドを棄損する結果になってしまっている。

一度棄損されたブランドを回復することは、非常に困難だ。
特に昨今はSNS等の発達により、「自分の信じたい、自分にとって都合のいい情報だけに触れ続けることで、自分の特定の考えがより増幅されてしまう現象(= エコーチェンバー現象)」が問題になっており、憶測やデマを事後的に否定して正しい情報をインプットすることが極めて難しくなっている。

全ては最初が肝心なのだ。特にこういう卒業のような取り扱いの難しい話題に対しては、一片の曇りもないような(大半のユーザーに意図が正しく伝わるような)コミュニケーションを設計しなければならない。

ここでちょっとしたシミュレーションを考えるが、仮に自分がホロライブのプロデューサーだったら、谷郷社長に頭を下げて、桐生ココさんのためにビデオメッセージを一本撮ってもらうだろう。

今回の卒業に至った経緯と(理由の詳細は言えないのですが、お互いが何ヶ月も話し合いを続ける中で最終的に至った着地点であり、今では双方が納得してポジティブに捉えようとしています、など言い方はいくらでもある)、そして何よりこれまでのホロライブに対する貢献について感謝を告げる内容のビデオメッセージだ。(ちなみに、谷郷社長のツイートがされてはいたが、ツイートでは肝心の温度感や誠意が伝わりにくいので、弱い)

これがまず一本出てくるだけで、カバーに対する印象が全然違うはずである。
仮に桐生ココさんとケンカ別れでなく、円満退社だったのであれば、その後に「桐生ココ×YAGOOのコラボ配信」を企画してもいいくらいだ。(これくらいぶっ飛んだ、ふざけたことをやれば演者とカバーとの関係値の悪さを憶測されることもないだろうし、その配信では正しい意味で責任者が責任をとってヒールを引き受ければ良いのだ)

ホロライブにとって今回の桐生ココさんの卒業は、長期的に第一線で活動してきたメンバーの初めての離脱である。そういう意味ではノウハウが溜まっていなかったのだろうが、それにしてもひどいユーザーコミュニケーションだったように感じた。

なお、天音かなたさんが発表直後に急遽行った雑談配信が、結果的にユーザー感情をいくらか鎮火させることに貢献したのだが(あれがなければもっとひどい状況になっていてもおかしくない)、本来ならああいうことを演者に頼るのでなく、運営側が狙ってやらなければならないはずである。

ユーザーにとっては悲しいことだが、ホロライブのような運営形態において、演者の卒業は避けては通れないものだ。
今回の件を教訓に、次回以降演者が卒業する際には、より丁寧なユーザーコミュニケーションが設計・実施されることを願ってやまない。

実績をもった演者の独立、令和における”事務所”の役割

話題は変わるが、昨今、芸人や芸能人などで、ある程度有名になって実績を持っている人(かつYouTubeで成功している人)が次々と独立していく傾向がある。

今回の桐生ココさんの卒業が、この文脈にあてはまるものなのかは分からないのだが、仮に彼女が新しいステージを求めてホロライブから離れる(≒独立する)ことを選択したのだとしたら、そこには上記の傾向と共通する、あるひとつの課題があるように思う。

それは、「十分に成長して円熟期を迎えた演者(芸人、芸能人)に対して、事務所が提供できる”本質的なメリット”は何か?」「そこにおいて、従来の力関係や構造は通用しなくなってきているのではないか?」ということである。

まず、成長期をこれから迎える、まだ無名の演者にとって、強い事務所に所属することには大きなメリットがある。これはちょっと想像してもらえれば分かることだろう。(例えば、ホロライブのブランドを借りることで、新人はチャンネル登録者数10万人以上という凄まじく有利なスタート地点から活動を始めることができる。これは見かけ以上に大きなメリットで、本来なら一番難易度の高い0人→10万人という”キャズムを超える”ところを事務所の力だけで出来てしまうのだ)

しかし、一方でチャンネル登録者数100万人を超えるような、十分な規模をもった演者にとって、事務所が提供する”本質的なメリット”とは何だろうか?

かつての芸能界においては、それは「TVや雑誌などのメディアに出演できること」であった。メディアへの出演を決めるにあたっては、芸能人本人ではなく事務所が力を持っており、演者は自らのさらなる成長のためにも事務所の力を利用し、事務所は演者を使って稼ぎ、両者はWin-Winの関係であった。

しかし、YouTubeの登場が全ての構造を変えた。演者はいつでも、自由に、YouTubeという世界最強のメディアに出演することができ、そこには事務所の力は全く及ばない。

そうなった時、事務所に残る意味はあるのだろうか?経理?事務処理?スケジュール管理?いやいや、そんなものは事務所を使わず自分で専門家に外注してしまえば済むことだ。

特に芸人は一般的な俳優などと違い、どのように自分たちを売っていくか自分たちで考えて行動するのが当たり前である。
そう考えると、セルフプロデュースの上手い、自分の売り出し方をよく分かっている優秀な芸人ほど、事務所に価値を感じなくなるのである。

そしてこれは、金銭面での調整(例えば事務所側の取り分を減らすなど)によってバランスを保つことも難しい構造にある
なぜなら、事務所側の立場からすれば、一生懸命育てた演者(芸人、芸能人)がやっと有名になって、さぁこれから先行投資を回収できるぞとなった時に、「取り分を下げて欲しい」と言ってくることは到底納得できないからである。

お分かりいただけただろうか。これが、昨今起きている「優秀な芸人等が独立していくトレンド」の正体である。

なお、一昔前であれば、吉本芸人などが言っているように「育ててもらった恩を返す」というロジックも通用したのだろうが、現在の優秀で論理的な人ほど、「いや、今の自分にとってメリットが低い(事務所の取り分に対して事務所にいるメリットが薄すぎる)ので、辞めますね」となってしまう。


さて、このような状況下で、メディアへのアクセス権という力を封じられた事務所は、果たしてどのようなメリットを演者(芸人、芸能人)に提示することができるのだろうか?

自分は、これに対して2つの仮説を持っている。

1つは、圧倒的な企画力だ。これは企画を実現するという意味の実行力ではなく、その演者に対して最適な売り出し方や、そのための具体的な企画を提案できる力のことである。

例えば漫画業界を見た時に、今や個人で電子書籍を自費出版することができ、そちらの方で成功例があるにも関わらず(興味がある人は「みかみてれん文庫」を紹介するこの記事を読んでみることをオススメする)、漫画家や作家の独立が次々と起きていないのは、編集者の果たしている役割が大きいからではないか。

編集者は、時には読者の代弁者として作品に意見をしながら、漫画家・作家と二人三脚で作品やその人自身を売り出していく。ここに大きなメリットが存在するのだ。

もうひとつは、演者をあらゆるリスクから守るということだ。それは事務所にとって都合の良い時も、悪い時もである。

この点、世の中には2種類の事務所が存在する。「演者が炎上した時にそれを守って一緒に謝ったり、運営が前面に立って責任を被る事務所」と「演者が炎上した時に演者を処罰することで自己防衛を図る事務所」だ。

自己防衛は組織の常だが、特に昨今はコンプライアンスの厳守が叫ばれていることもあり、後者の事務所が増えてきているように感じてならない。

演者からしてみれば、いざという時に自分を守ってくれない事務所にどれだけ愛着が湧くだろうか?自分を金儲けの道具としてしか見ていないように感じてしまったら、自分も事務所に対してビジネスライクに接しようと思うのは自然な心情である。

一方で誠意というのは伝わるもので、「昔からお世話になっていた、家族のように付き合っていたマネージャーが解雇されることになったので、自分も一緒についていく」というような話もまた世の中には存在するのだ。

どちらが事務所、演者双方にとってWin-Winの関係かは、自明のことだと思う。

おわりに

ホロライブを運営するカバーの谷郷社長は、自身のインタビューで次のように語っている。

VTuber領域には、大きく2種類のビジネスがあります。
1つめは、事務所が主導してタレントプロデュースするビジネス。2つめは、VTuber活動を支援する仕組みを提供するようなビジネス。
我々が展開しているのは後者です。

引用元:https://venturenavi.dreamincubator.co.jp/articles/interview/6981/

Vtuberを個人事業主とし、その活動を支援する仕組みは、良く言えば演者の個性を最大限に生かし、事務所という窮屈な枠にはめずに演者を暴れさせられる良いモデルのはずである。

しかし、桐生ココのような、自分で自分をプロデュースすることに長けた才能の塊のような演者が十分に成長した時、それを引き留める”本質的なメリット”や、Win-Winになる構造はどこにあるのだろうか。

それこそが、ホロライブが今後5年10年と成長していくキーポイントになるのではないかと考えている。



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