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夫が餃子の皮を作っている間に、妻はリバティおおさかに行ってきた。

今日で閉館した、大阪人権博物館(リバティおおさか)。
お昼のテレビのニュースで「本日で閉館の・・・」とやっているのを見て
私「行きたかったなー」
夫「行ってきなよ。今から。今日で閉館でしょ?」

でも緊急事態宣言解除になったばかりで混雑している場所は避けたい・・・
混んでる?混んでるよね?
昨日行ったという方に聞いたら「めちゃ混んでた!!」と。
リバティおおさかに電話で問い合わせたら「今のところ混雑って程じゃないですよ。距離をとって見れるくらいです。」と。

夫「だから行けって。」
私「一緒に行く?」
夫「行かねー。そういうの興味ねえし。俺、今から餃子の皮作るし。」
私「けっ」

なので、餃子の皮から餃子を作るという夫に息子を託し、急遽行ってきた!!

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リバティおおさかについてはこちらから
ここはもともと地元の部落の人たちが、子供たちに教育を受けさせたいと資金を集めて土地を買い、学校を作ってほしいと大阪市に寄付した場所。
この地にできた小学校はその後移転され、跡地にその意義を継ぐものをと35年前に作られたのが、今のリバティおおさかというわけです。
なので建物は小学校を模したものになっています。
大阪府と大阪市から補助金を受け、運営を続けてきました。
しかし「税金で維持するような施設ではない」と、府市は13年に補助金を撤廃し、さらに市は同館の撤去と敷地の返還を求めて15年7月に提訴しました。
その後、和解に至り今年の6月でこの地を明け渡すことに…
リバティおおさかは本日5月末で閉館になりました。
2年後に移転しての再開を目指しているけど、移転先の目途はたっていないそうです…

そんな問題視されるような展示内容なの?と気になりながら、最終日にして初めての来館。

展示内容はこんな感じ。(HPより引用↓)

1・いのち・輝き
人工呼吸器をつけて生きる?/性別にとらわれない生き方/働く権利/DVや児童虐待/HIV・AIDS/環境/犯罪被害者 など

2・共に生きる・社会をつくる

世界と大阪/在日コリアン/ウチナーンチュ/アイヌ民族/ハンセン病回復者/障害者/ホームレス/被差別部落/大阪の歴史 など

3・夢・未来

いじめ/働くということ など

よっぽど部落問題に偏ってるのか?なんて思ってもいたけど、実際見てみても全然そんなことはなく、様々な視点で人権を考え、歩んできた歴史が展示されていました。
「今のところ混雑って程じゃないですよ」と言われていた館内は、私が行った時にはまあまあな混雑(苦笑)
なるべく人の塊を避けて、そわそわちょっと足早の見学になったけど、水俣病のエリアで、訴訟の原告団の方が当時の環境相の小池さんに訴えている映像に足が止まりました。

「少しは自分が水俣に生まれたことを誇りに思わせてください」

泣きそうになった。

患者と認めてもらえず、偏見や差別に苦しんだ人たち。
この場合の「誇りに思う」って、自分自身を受け入れるとか、人から認めてもらうとか、そんな話ではないんだと思う。
自分の運命と向き合って、向き合って、向き合って、その先にある誇りだと思う。
向き合うことは、行動を起こすことであったり、逆風を浴びることもあったり、それ自体がしんどい作業なんだと思う。
それでも、その先にある「自分はここにこうして生まれてよかった」と思いたい誇りがあるんだと思う。
この言葉に足が止まったのは、おそらく自分自身とどこか重なるところがあったからだと思う。
今は、部落に生まれたことを私は誇りに思う。

「税金で維持するような施設ではない」と言われたリバティおおさか。
人権という概念の進化や、いろいろな角度で人権の在り方を考えることが出来る、世界で唯一の人権に関する博物館が、差別と向き合った人たちが暮らす地にあることを大阪府市に誇りに思ってほしかった。

とある大学の先生から頂いた、同和教育に関する聞き取り調査の報告書を再読しながら、帰りのガラガラの電車の車内でまた考えた。
子供たちのためにならないとも言われたリバティおおさか。
子供たちのために向き合っている学校の先生たちはどう思うんだろう…
考え過ぎてまた泣きそうになった。
電車の中で泣くのは気まずいから堪えた。

本日(2020.5.31)の東京新聞↓↓

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家に帰ったら夫が皮から作った餃子が出来てた。
今夜はビールと餃子。
いろんなこと考えすぎてなんか頭も重いんだけど、皮から手作りの餃子もなかなかお腹に重いんだよ…
(おいしくいただきました)

Futatsu:のふたつめでした。

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