9/29(日)ウォーキング・デッド・ダイアリー 1-1「目覚めの朝」はいつもきつい。feat.LITTLE ZOMBIES『WE ARE LITTLE ZOMBIES』
あらすじ
主人公のおじさんが怪我した後、昏睡状態から起床したら、ゾンビだらけで困ります。母を失った父子にとてもヘルプされ、お元気になられて、いざ知らぬ間に離れ離れになった家族探しに。都合良く馬が見つかったため、勝手に奪い取り、東京ど真ん中みたいなビル群へ駆け出したら、大量ゾンビに襲われます。馬は死ぬ。
ダイアリー
主人公ニックは、保安官として働いてる。冒頭でギャングと銃を撃ち合って、一度弾をくらった後に、「大丈夫だ!」(防弾チョッキのおかげなのに、スカしている)などと言った直後、マジで狙撃され、死にかける。起床後、世界はゾンビだらけになってる。
私の寝室にはミモザのドライフラワーというスカしたものが飾っており、朝日に照らされるミモザを毎朝見るたびに「今日も1日仕事頑張るぞ」という目論見はとうに消え失せています。もはや寝室にミモザはいない。
毎朝きつい。「今日も仕事か・・・」と毎朝思う。そして通勤電車には、同様にゾンビ化したいつメンたちが乗車しており、スマホをいじるか、じっと目を閉じてる。ウォーキングすらしてない。シッティング・デッド。
ニックは起床後、迷いなくゾンビ化した世界に進んでいく。家族を探すという、おそらく生物にインストールされた本能に従って。わたしは家族がもういるのに、ゾンビ化した世界に毎日突き進んでいる。それはもう本能が壊れているということではないでしょうか。岸田秀『ものぐさ精神分析』で「人間は本能が壊れた動物である」と仰っていた。
お馬さんにまたがり、ニックはいざゾンビだらけの高層ビル群へ。私(ゾンビ)たちも、日々高層ビルに突撃し、大量のゾンビたちと戦闘している。でも、ゾンビ同士がもう戦わなくて、よくないですか。
映画『ウィーアーリトルゾンビーズ』のテーマ曲は、端的に「ゾンビ」を定義してくれている。
この映画は、私たちがゾンビから脱却するための物語であり、「生きてるくせに、死んでんじゃねえよ。」と思いっ切り頬をぶっ叩いてくれるのです。さっさと目を覚ませよって。
明日の朝、私は多分目を覚ます。本当に「目を覚ます」朝を、いつか迎えるために。
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