子どもの声を聴き合う――「子どものこころのプロ」と「聴こえのプロ」から学んだことの共通点
はじめに
先日、同日に2つの会に参加する機会がありました。
講演会「レジリエンスを再考するー子どもの育ちとウェルビーイングの視点からー」そしてもう一つは勉強会「福岡こどものきこえを支援する会」です。
医療従事者として、また1人の大人として拝聴し、両者の深い共通点を感じました。子どもとの関わり方、子どもがSOSを発する状況や、その声にどう気づくか、受け止めるか――それらを改めて考えてみます。
**注意**
いずれの会も本当に奥が深く、今回私が学んだのは全体のごく一部に過ぎないと思います。今回の勉強会の内容は、そうした全体像の一部分を切り取ったにすぎないということを、最初にお伝えしておきたいです。
それでもなお、「子どもの声をどう受け止めるか」「大人がどう関わるか」という姿勢は、どのモデルやどの制度でも共通するテーマだと感じたので、この記事で私なりの気づきをまとめてみようと思います。
子どものウェルビーイング:社会のひずみを真ん中に
「子どもを中心に」から「社会のひずみを中心に据える」へ
多くの場合、「子どもを中心に考えましょう」という言葉を耳にします。しかし今回の勉強会では、「子どものことを子どもだけのこととして取り扱おうとすると、社会の構造的な課題を見逃すことがある」というご指摘があり、ハッとしました。子どもを“守る存在”と見なすだけではなく、社会のひずみに目を向け、そのひずみを大人だけでなく子どもも含めて議論する――そうした姿勢が欠かせないというのです。
「子どもの意見を大切にしたい」「子どもを尊重したい」と思っていても、実際には「子どもって何もわからないでしょ」と暗に決めつけてしまう場面があるかもしれません。この勉強会では、そうした態度が子どもの声を消してしまう背景になるのではないかと考えさせられました。
「SOSを出す教育」ではなく、「SOSに気づく力」を育む
勉強会のなかで特に考えさせられたのが、“SOSを出すための教育”という考え方への違和感でした。もちろん、子どもが自分の困りごとを自発的に表現できるようになることは大切です。しかし、その前に周囲の大人がSOSに気づく力をつけることこそ必要ではないか、と山口さんは強調されていました。
言葉を発することができる子どもばかりではありません。学校で教わる「困ったときには声を上げよう」という方法が必ずしも全ての子どもにフィットするとは限りません。だからこそ、言葉ではなく態度や表情、空気感などから子どものサインを読み解ける大人が増えることが欠かせないのです。
「なんでも相談してね」と表面上だけ言っている大人は、実は子どもたちにとって一番信用できない存在かもしれない。そんな厳しい指摘も、非常に胸に響きました。
こどものきこえを支援する:関係を育むアプローチ
関係発達的なアプローチ
もう1つの勉強会「福岡こどものきこえを支援する会」では、言語聴覚士の中村公枝先生の臨床映像を拝見しました。子どもが自然とまねをし、遊びを通してスムーズにコミュニケーション能力を伸ばしていく姿に感動しました。
その背景には「関係発達的なアプローチ」があるとのことでした。子どもと同じ目線に立ち、遊びややり取りを通じて、自発的に言葉や意欲を引き出していく――これは単に指導テクニックを教えるというのとは違う、ある種の伴走的な関わり方のようでした。
親も一緒に変わっていく
このアプローチの特徴として、「子どもだけでなく親も変わっていく」という点が挙げられていました。指導者が子どもの興味や視線を丁寧に拾い、お母さん・お父さんと一緒に遊ぶ様子を示すことで、自然と家庭での関わり方にも変化が生まれるそうです。勉強会の中で「気がつけば親子共に伸びていた」という事例が紹介され、印象的でした。
共通する「子どもの存在の捉え方」
子どもは単なる“守られる存在”ではなく“主体”
2つの勉強会を振り返ると、子どもを“ただ保護の対象”としてではなく“社会の一員”として見る考え方が共通しているのではないかと思いました。ウェルビーイングの勉強会では「社会のひずみを子どもと共有して考える」、難聴児支援の勉強会では「一緒に遊びながら子どもが主体的に伸びていく」。どちらも、子どもの内面にある力や意見が大切にされているように感じます。
SOSに気づく力――大人側の感受性が鍵
どちらの話でも、大人側がどれだけ子どもの変化や小さなサインを拾えるかが大事だとわかりました。子どもはうまく言葉を使えない場合がありますし、「大人を試すように」無意識に行動することだってあると思います。そのときに「どうせまだわからないでしょ」と判断してしまうか、「何か伝えようとしているのかな」と受け止めるか――そこに違いが出てくるように感じました。(もっとあるのだと思いますが、気になる人は本を読んでみてください。)
医療現場での具体例――そして「子どもだけ」の話ではない
診療では、幼児や乳児を処置の際にタオルやシーツで巻いて固定することがしばしばあります。安全のために必要なケースももちろんありますが、ある先生は必ず「どんな処置をするのか」を子どもにも伝わる言葉で説明し、納得してもらってから進めるようにしているそうです。その結果、巻かなくても協力してくれる場面が増えたと聞きました。多忙な医療現場では難しいこともありますが、「相手をひとりの人間として尊重する意識」だけでも対応が変わる可能性を感じます。
この学びを通じて、実は子どもに限った話ではないのだと思い至りました。障害の有無や年齢によらず、そこにいるだけで不安を抱えていたり、言葉にならないSOSを発している人は少なくないからです。たとえ身体的にも精神的にも“問題がない”と見える人であっても、背景にはさまざまな不安や葛藤を抱えているかもしれません。
医療の現場には、言葉でうまく説明できない患者さん、医療知識の乏しさから質問自体が浮かばない患者さん、言いたいことがあるのに遠慮してしまうご家族など、多彩な状況が混在しています。周囲はどうしても「必要だと思う対応」を機械的に行いがちですが、そこには「実は声を上げたい」あるいは「うまく説明できずに困っている」人が埋もれているかもしれません。
子どもの例は分かりやすい事例かもしれませんが、これは本来どんな人に対しても意識するべき姿勢です。自分からうまく主張できない人や、SOSの出し方が分からずにいる人の声をきちんと受け止めるために、医療者だけでなく社会全体が「気づく力」を高める必要を感じます。一見“問題なさそう”に見える人でも、表情や雰囲気から小さなサインを発しているかもしれません。そこに目を向けることが、安心してケアを受けられる環境づくりの第一歩ではないでしょうか。
まとめ:少しずつ社会を変えていく意識
2つの勉強会を通じて、「子どもって大人が思っている以上に、いろいろ感じ、考えている」と改めて感じました。そして、その声やサインにどう気づき、どう受け止めるかは、大人や社会の準備次第だということを痛感しました。
難聴児支援では、子どもの小さな反応を見逃さず、遊びや対話を通して自然に学びを引き出す。
子どものウェルビーイングの勉強会では、社会のひずみを含め、子どもと一緒に問題を考える姿勢を重んじる。
どちらにも、大人が子どもに対して“聴こうとする姿勢”を持つことの重要性が共通しているように思います。
これからも私は、医療の現場でできる限りの声かけや説明を心がけ、その先にある社会の問題にも少しずつ目を向けたいと考えています。大きな変化を起こすのは簡単ではありませんが、まずは1人ひとりが子どもの声をもう少し聴こうとしてみる――そんなところから、何かが動き出すのでしょうか。
おわりに:今日からできるプチアクション
あと1フレーズ、子どもに声をかけてみる
「どうした?」「平気?」「次はこうするよ」など、簡単な言葉でも子どもを安心させるきっかけになるかもしれません。親御さんや周りの大人と“子どもへの接し方”を話し合ってみる
ふとした雑談でも構わないので、「子どもがSOSを出しやすい環境ってどんな感じかな?」という話題を出してみる。短時間でも自分の“子ども心”を思い出す
どんなときにワクワクしていたか、怖かったときはどうしてほしかったか…。少し想像するだけで、子どもへのまなざしが変わる気がします。
もしこのまとめを読んで何か共感していただけた方がいらっしゃれば、嬉しいです。「子どもとどう関わるか」は、個人だけでなく社会全体のテーマだと感じました。小さな気づきや対話が積み重なって、よりよい環境が生まれる気がします。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。