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ずっと忘れられない、母の手紙のような言葉を残したい

私決めたわ。(急)

実は最近極端に左目の視力が落ちてしまい、少し気をつけて生活して下さいと言われて。しかめ面でこの顔が歪んでも、明日見えなくなっても、例えば極端な話、声が出なくなって寝たきりになっても、心だけは生きていたい。心は目の前の誰かに常に寄り添って生きようと。

その為に日々レッスンのお仕事の隙間や終わった後はずーっと携帯やノートに向かって文筆に勤しんでいる。言葉と書くことは、心を残せる唯一の方法だと思うから。いや目を労われ、私よと言いつつ既に半目を諦めている。レーシック手術か?と思ったものの角膜の形状が何とかということらしく、このまま進行すれば移植手術を受ける以外回復しないとのこと。なんと、それは残念。

…まぁ片目生きてるだけ良いとしよう!

そうして、私の身や心に変化があったり、上手く書けない時に思い出す、母から昔いただいた(敢えて謙譲語にする程素敵だった)手紙がある。

30ウニュウニュ歳になった私が今でも覚えているくらい、自我の気づきが多かった小学2年生の頃。人見知りで周りと上手く会話が出来ず、友達との距離も掴めず、当時の担任の先生が事あるごとに私と手紙をやり取りしてくれていた。その流れもあってかクラスの誕生会で先生の計らいから、母が私に宛てて書いてくれたのだ。それがずっと、私を守ってくれている。昔の言葉なのにいつまでも文字に温もりがあって、そんな風に生きているものを残せたらと書き続けている。

字も言葉も、私よりもうんと綺麗なんだよなぁ…
物語のような書き始まりで。最後にはP.S.先生への感謝の言葉も書いてある。商売人の両親のもとに育った母らしいわ。

あれ…目が霞んでる?と思ったそこのあなた。
安心してください、オール・モザイクという暴挙です。

「こうして書けば、良くかけるよ」

という母を真似て書き進めれば読書感想文で表彰されたり、小論文を書いて学校に合格できたり、音楽コンテストでは作詞作曲した「Twilight Dew」でグランプリいただいたり!人生の分岐点には常に、この手紙が根底にあったように思う。

いつか自分に大切な人が出来たら見せようと思いずっとこっそり持っているんだけど誰か現れるんかしら?笑

その人にはきっと私が新しい言葉を書いているのだろうけど。

見る度に心が洗われ、いつ開いても泣いてしまう手紙。言葉が目の前で、いつも私を丸ごと包んでくれる。母との思い出は他にもたくさんあるけど一番はこの手紙をもらったことで、二番目には、その母から途轍もなく怒られて(内容は全く覚えていない)何も言えなくなった私が、落ちついてから手紙を書いてこっそり枕元に置き、翌朝仲直りできたエピソードがランクインする。

手紙しかないやないか。

しかし会話よりも写真よりも、ずっとずっと内側にあるソリッドで大切な言葉が見えた時に、私はその人のことを利害関係や色眼鏡を介さず、本当の意味で好きになれるのだ。こうして、或る日の心をいつまでも写しておきたいと思っている。

明後日は母の誕生日なので久しぶりに言葉を認めておこうか。どんな便箋と封筒がいいかな、などと思いを馳せる時間もまた一興だ。


【Live Information】

世間は今月、運動会・行楽シーズンらしいけど、私の身には色々と災いもあった1ヶ月だった。

来月は、幸せで溢れてくれよ!というか絶対そうしてやるくらいの意気込みでやるー!

よければライブも遊びにきて!

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