ジャズをインプロして歌う訓練で気づいたこと
私のnote記事をずっと読んでいる方はおそらく既知のことと思うが、この夏、私は大好きなコンテンポラリー・ジャズ・ボーカリストであるEmilia Martensson氏の集中講義を受けていた。
そして先々週、最後のレッスンが終わった。
(まとめるのに時間がかかった!)
最後は個人レッスンでこの夏の総括。やり切った安堵と充足感…いや、ちょっと寂しいなぁ、というくらいにはレベルアップ出来た気がするし、自分のことを少し好きになれた。その気持ち、まさに『愛しさと切なさと心強さと』
実際にプロ一線で活躍しながら、教えてもいるEmiliaから学んだことはたくさん。練習方法はもちろん、モチベーションやマインドの保ち方まで幅広くギュッと教示してもらった。
はじめの個人レッスンで体験したことを紹介しているのでよければこちらも見てもらいたい。
(そしてある程度英語で受け答え出来る/興味のあるボーカリストは是非 次期メンバーシップが12〜1月からスタートするらしいので、彼女の無料のニュースレターを登録しておいてほしい)
1. ポップスとジャズを歌うことの大きな違い
今回最後のマンツーマンのレッスン。シンガー4人とのオンライン講義約1週間+前後に個人レッスンというフォローアップがしっかり付いている。何がしたいかを自由に決めていいよと言われて、初レッスンの時のようにまた歌いたい、私のレパートリーからまた別の曲の歌い幅を広げたいと伝えた。
(教えてもらった内容は多面的に色々あるのだが、営業妨害に値しないように掻い摘んで伝えていく、と言ってもメソッドは伝えずとも割と詳しく私の体感を書いています。)
私がジャズを歌う上での大きな悩みは、このnote記事の通り「歌い方が決まり切ってしまう」ということだった。スタンダードを歌うことは毎ギグ(ライブやコンサートも)違う人や音、空気感の中で、楽曲とキー、リズムの共通項だけをある程度決めて、新しい会話=アンサンブルを即興で作ることだと認知している。しかし、旋律まっしぐらのワンウェイロード!うちの自慢はコレ!という決め打ちポップス畑でスクスクと育ってきた私は迷いなく既存の音に当てがっていくことに慣れてしまい、毎度同じパターンになってしまうのだった。もちろん守るところは守る、所謂正確なピッチ、トーンやリズム出すことも大事。だけどライブとなればその時だけの空気をうまく読み取り、もっと自由に音にしてみたいものなのだ。
とりあえずこれだと選んだのはよく歌っているBlue Skies。
歌い終わった感想は…私的には悪くない?悪くないが何となく模範解答のような既出の歌い収まり。可もなく不可もなし、という感覚だった。講義でやったことを意識してみたものの、どうしても曲を覚える時に聴き込んでいた録音のメロディーパターンにどうしてもハマってしまう。
2. Blue Skiesを選んだ理由
Blue Skiesを知った当時、ディスクユニオンの新宿ジャズ館という言わばジャズ専門のCD・レコード屋で働き始めたばかりだった。R&Bやソウル、言わばブラックミュージックが好きだけど今まで全然触ってこなかった(正しくはなんか怖くて触れられなかった)世界であるジャズに踏み入れたく、それならばジャズ聴き放題のレコ屋だろうと思ったのがきっかけだ。『千と千尋の神隠し』のように履歴書を持って、「ここで働かせてください!」と、言って即採用してもらった。(幸いにも学生の頃にCD屋で勤務経験があり即戦力だったからか…それか電話で、面接アポを取って行ったからだと思う。「ふん!桂(かつら)っていうのかい?贅沢な名前だねぇ…!今からお前の名はケイだ!いいかい、ケイだよ!」とは言われなかった)
勤務中は、およそ数十~百年近く前のインスト曲(ボーカルがない楽曲)から歌モノでも往年の…というような店内BGMの中、耳を突き抜けてきたのがヘイリー・ローレンという、女性ボーカリストの麗しい声。弾力のあるチャーミングな艶やかさに軽快にスウィングする。そして録音のバランスが綺麗。
また、Blue Skiesのマイナー(暗い)メジャー(明るい)を行き来するような、ブルーのニュアンスが始めと終わりで明暗変わる楽曲…すごい。同じくシンガー(とはいえジャパン・田舎のぺーぺー)の私にとっては新鮮で、その後自分でも歌いたくなって何度も何度も聴き込んだ。ライブ盤なのに、録音の良さにも感動したものだ。
↑その後聴いたこちらも最高。。
故にその記憶が色濃く、無意識のうちに寄せた歌い回しをする完全和顔のホリー(堀〜)・ローレンがそこにはいた。何度も繰り返し継続した事象ほどやたら未来で誇らしげで、過去が妙に鮮やに目を惹くのは不思議だ。辛いことも時が経てば忘れるという意味で『日にち薬』という言葉があるが、それは忘れず継続する習慣にも、同じく言えると思う。時間というのは、for 全人類そして人生への永久均一無償保証だ。空気のような良薬ながら、しれっとジワジワ、むごい。合成オピオイド…いやストゼロより安価、というかある意味負荷ゼロー♪な超危険ドラッグ。時代がこれだけ便利になれども、慣れども、時間の用法容量だけは正しく解明されないままだ。固定概念というのはルーティンの常用から生まれていく。
3. どうコーチングしてくれたか
Emiliaは、そんな元ストゼロ厨な私(東京の阿佐ヶ谷に住んでいた頃、今は亡きコーラ味ロング缶を仕事終わりに飲んでいた…懐かしい~)ホリー的、自己採点65点のギリギリ合格?の歌でも、たくさん評価してくれた。自分の意見がうまく伝えられなかった時も、一度も否定しなかった。むしろ私の意図を汲み取り、他の言い方で「こういう事?」という風に私の手を取り、良い部分を褒めてくれた上で、じゃあ次はこれを試してみようと一つずつ鍵を渡してくれる。ドアを開ける度に、それに対して「すごい、出来たね、頑張ったね」ではなく「どうだった?どう感じた?」と問うてきた。一歩ずつ、一つずつ。小さな鍵を合計6つ程私に手渡して、後ろからドアを開けていく姿を見守ってくれていたのだった。あの頃出会った荻窪警察の兄ちゃんのように。(昔、スト缶飲んで歩いて帰ってたらよく職質されてちょっとずつ仲良くなった、超優しかったな…私ヤバかったんだろうな…笑)
ただ鍵穴に鍵を刺すことはできてもどう回して開けるのかは、扉によって違う。左右何回?番号?ホテルのカードキーのようにピッとすぐ開いても電気の位置や付け方は部屋によって違う。真っ暗闇ではちょっとずつしかミッションをクリアできない。自由にジャズ歌う事もやはり一歩ずつ、ということなのか。
彼女のアドバイス通りを一つずつやれば始めよりも格段に良くなっていた。そしてレッスン時間の残り最後「この6つの鍵全て、何でも好きに使っていいから、考え過ぎずまた2ラウンド歌ってみて」と言われた。
1ラウンド、あれこれ試して自分でも普段のパターンにハマらず、よく歌えた気がした。おぉ、ジャズー!歌えてるというか私じゃないみたい、歌うの!うれしい!たのしい!大好き!(byドリカム)
それが、2ラウンド目の後半戦…Bセクションで躓く。ぐぬぬ、アイデアのエネルギー切れのような感覚。そこから私はここぞとばかりに、決め打ちポップ信仰の余波を引き摺り、テンプレ教の、1拍目信者としての最期を全うしていた。盛り上げたその後の余裕がなくなってから、余白を開けずに鉄板フレーズで埋めてしまっている事に気づく。そして気づいて、ヨレる。
~おまけに誤魔化しの、歌の語尾ビブラートをたっぷりと添えて~
細かくいっぱい『出来ない』を見つける事は昔から得意だなぁ、本当に。
4. ジャズは人生。歌えば、たくさん私が出てくる
ホテルの扉に例えた経緯で、こんなエピソードを思い出す。地方遠征のライブ演奏前は大体いつも何故かトイレに行きたい一心でホテルについて、古代文字のような読み取り不可の字体でチェックインを済ませ、一目散にエレベーターで言われた部屋へ向かう。鍵をガチャガチャと入れようとするも上手く通らず「はぁやっと入った!っしゃ!」と思いきや、左右回せど上手く開かない。
ヤベェ、ピンチ。跳ねながらエレベーター前の受話器前まで戻ろうか…という時にガチャガチャっとやると、レバーを下げると開くシステムだった事に気づき、そこから電気をつけトイレの位置までスムーズに探り当てて、ギリセーフで用を足し…!一旦落ち着く。事が済むとその後はスムーズで、うがい手洗いと、エアコンをつける。部屋のレイアウトをある程度理解したかと思いきや、安心慢心。まだ荷物の整理前にふかふかオフトゥンダイブ、すぐに撃沈。タヒ。
30分程でようやく起き上がりテーブルを見ると、鍵の開け方の紙をしっかりもらっていた事に気づく。何故、アソコを急所と言った人は今回の新札になっていないのかな、と思う。そして片付け終わらぬまま、もう出向かなくてはいけない時間だ!となる。
待てよ、これだ。
出来た、やった、とりあえずあと少しで完了!の一歩手前で分かった気になり、掴んだ感覚を手放してしまう癖。これはジャズを歌う上だけではなく、私の習慣で、人生そのものだった。火がついてから6〜7割、無心で走り込んだと思ってゴールが見えたら、心がポキッと折れる。おまけに、はじめのセオリーは確認すればもっと簡単な方法があることを後で知る。Majiでガチ折れ5秒前~♪で、最後は何とか、期限締切云々の義務感にケツを叩かれやり切ったり。その完遂する体力も、年々落ちてきてしまっている気もするが。
そして何より明瞭なのは、私が曲全体トータル『出来なかった』点縛りで見ていることだった。ジャズは一音鳴った音から、これありかも、これもありなら、これも良いかも?というように、新鮮の連続をテキトーではなく、落ちついてリラックスした状態から適当な鍵を使って開けていくことだった。
5. インプロは、習慣を捨て、違和感を受け入れること
どんなに素晴らしい即興のメロディパターンやソロも『ドレミファソラシ』と『♯♭』からなる音、そして決められた小節という区切りだ。何もないところから、今から火を起こします…スプーン曲げます…みたいなMr.マリックレベルで(令和の民よ…平成に置き忘れ語句祭り開催中です。ググって、最後までついてこい!)新しく生み出されるものはない。ポップスもジャズも同じ音楽、だけどジャズといわれる即興をするなら、先ずは1から絶対!とか、基本のドー!みたくスタートしなくてもいい。ファから入って、3拍目からでもいい。次は?いつもと違うソから。そしたら敢えて前の拍から突っ込んでもいいね?…次じゃあ一旦考えて、良いの思いつくまでは休んでからまたスタート!もアリ。次は一緒に話そうぜ、遊ぼうぜ~ってほかの楽器を見て「Shall We Dance?」的に呼び込んで歌で誘ってみてもいいのだ。
曲全体を全部、かっこよく完璧にやり切ろうと思わず、それを次の2小節、できたら4、8…と増やしていけばいい。いつも思っていた「全体的にう~ん、ちょっとなぁ」が、こんな風に積み重ねていったら今回は1ラウンド、要は32小節もいつもと違う手応えがあったのだ。私よくやった、グッジョブ。次はそれをちょっとずつ伸ばせばいい。いつもの癖で『出来なかった』と考えるのではなく「ここまでいけたからエエヤン!じゃあ次は2ラウンド目の数小節を、別の切り口でいってみよう。まずは~…」と、気軽に新しい感覚へとステップ・バイ・ステップで触れていく。
過去の蓄積の中から抜け出す為の、ほんの僅かな違いを受け入れる許容。今、この時もまたいつもと同じが埋めて甘くボヤけていくかもしれない。それを変えたい気持ちがあるなら、先ずはいつもの○○を一端手放し、無理のない程度の違和感をチョイスしてみようか。日々一刻の新しい感性の扉は、鋭い眼差しでも意外と超近くから睨んでいる。
なんと さいこうのソロフレーズが おきあがり なかまになりたそうに こちらを みている
…かもしれない。
いい音楽も歌も人生も、他の優秀な人の腕や誰かの手柄だけではなく、この瞬間、自分の心身の先々の動き方をちょっと変えてみることから始まっていたのだ。
▼ シンガーソングライターとして、ライブと、歌の先生として実地・オンラインでもレッスンをやっています。気になった方は是非こちらからお問い合わせください。