見出し画像

1945年7月25日広島市上空

最近、広島市中島地区に気になり、いろいろと調べていた。そしたら偶然、広島市のホームページに1945年7月25日に米軍の上空写真をみることができた。

今は、平和公園であるその場所には、家々が立ち並び、対岸には産業奨励館がある。現在の平和大通りのところが白く映っているので、建物疎開のところからなと、平和記念館に問い合わせたところ、そうだという。

その写真を眺めているとそれぞれの家の営みが聞こえてきそうである。
きょうだい喧嘩、親が子供の名前を呼び声、やけになって配給のお酒を飲んでいる労働者、台所から漂うみそ汁のにおい、奥様達の愚痴や不満や噂話。寺では鳩を眺めている青年、隠れて会う恋人たちなどなど。

そこには、日常があったのだ。あの日の朝まで。

いつものように建物疎開のために学徒動員された男子中学生や女学生たち、
勤務先に出かけたり、通学のために家を出たり、夫や子供たちを送り出してほっと一息ついている妻、自宅で仕事の準備をしていたり、また、夜勤を終えて、さ寝ようとしていたり、それぞれの日常がその瞬間まであったのだ。

今まで、その凄惨な写真などからでしか知らなかった。ヒロシマ・ナガサキ。どこか、隔世感があった。

でも、あの瞬間までの日常に想いを馳せたとき

今までとは違う感覚となった。

https://www.city.hiroshima.lg.jp/uploaded/attachment/125228.pdf
広島市ホームページより 広島市旧中島地区遺構 1-3に広島市上空写真が掲載されています。








いいなと思ったら応援しよう!