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土木作業員の小噺
これは、ある土木作業員さんのお話。
人間は食事をして排泄をする。この日の彼もそうだった。建設現場では、往々にして汲み取り式トイレを使用する。設置も移動も楽でどこかに流出させる必要がないからだ。そして、臭い。
東北地方出身の50代後半、身長は160センチほどの猫背。どこにでもいる作業員の一人だ。そんな彼を不幸が襲う。財布をトイレに置いたまま、そこを後にしてしまったのだ。
スッキリしたついでに後ろポケットまでスッキリさせた男は、一服中の同僚たちとタバコを吸うその時まで気づかなかった。慌てて戻ったがトイレには、何もない。そう、現場では一瞬たりとも気を抜いてはいけないのだ。安全とは、肉体的な被害だけで脅かされるものではない。
彼は意気消沈して仕事に戻った。酒、ギャンブル、女など金のかかる娯楽に給料を費やす者が多い業界で、この失敗は即ち死を意味している。これこそ、「お前はもう死んでいる」状態である。
だが、そんな彼を天は見捨てなかった。「これ、おっさんのじゃないですか?」と尋ねてきたのは、トイレの近くで作業していた若いタイル屋さん。つまんだ指先には、萎れた合皮の長財布が哀しく揺れている。
「んだ、んだ!おれの財布だ。ありがとうございます。ありがとうございます!」と叫ぶ男には歓喜の二文字がふさわしい。「お礼させてけろ。ジュース奢るじゃ」と持ち主は律儀に申し出る。「いや、可哀想だから遠慮しとくわ。中身、千円しか入ってなかったし。」とタイル屋の兄ちゃんは手をひらひらと振った。
紛失し、やっと戻ってきた財布。恩返しのため気前よく言ったものの、財産がゼロになっては本末転倒だ。いや、むしろ千円しか入ってなかったから戻ってきたのかもしれない。赤面した彼の顔を私は忘れることができない。
追伸、
たった千円で、あそこまでの悲壮感を出せることに心を動かされた自分がいます。