カエルの子はカエル。はまずい。
確かにそんな話を聞くことはたまにある。
いや、最近はあまり聞かなかったけど、昔耳にしたことがあった。
でもそれではいけない。。
僕の子は、僕のようになったらいけないよね、やっぱり。
育児の目線から考えると常々そう思う。
なぜなら、僕が育ってきた社会環境と、この子達が育っていって大人になったときの社会環境はまったく違うんだから。
僕自身は、謙遜ではなく、教養もなく、人脈もなく、お金もない。
ナイナイずくし。だからといって別に不幸と感じることも無いし、普通に生活をしている中では問題ない。
ただ、子供が同じじゃダメだと思うのは、僕が生きてきた中で、「人生における選択肢が少なくなる」という現実を知ったから。
学校選びも選択肢が限られていたし、就職もそう。
今だってできることはいろいろな制約から限られてくる。世の中やる気があっても出来ることと出来ないことがある。
そう、人生は年を重ねれば重ねるほど、いろんな制約がかかってくるんだ。
そして、そうなってしまうバックグラウンドの背景は間違いなく「教育」にある。(僕はこの「教育」をおざなりにしてしまった)
きっと中学生くらいの段階で大きな方向性が既に見えてきてしまい、高校生の段階ではある程度自分自身のポテンシャルというものが決まってしまう。
それから後の這い上がり方と言えば、社会の競争の中で戦っていく、競争戦略を練り上げるしかない。
基本的な競争戦略の練り方
・今の社会環境はどうなっているか?今後はどう変わるか?
・自分はどんな世界(市場)で戦かおうとしているのか?
・その世界(市場)のトップ達はどんな人たちか?
・自分の強みは何か?
・トップの人達との間で差別化できるものは何か?
・自分の価値はどう発揮できるか?
とかそんなこと。
やりすぎ?
いやいや、やりすぎじゃない。
このくらい考えておかないと、変えられないんだ。
僕が娘に提供したいのは、娘の人生の大きな土台となる部分。
解釈が異なることを防ぐために補足をすると、人の人生そのものは作れないし、親が考えた通りの大人になってもらおうなんて、レールをひくようなことを考えているわけではない。自分自身で考え行動できる状態になった時に、「自分自身で考え、その中に十分な選択肢がある状態」としておく必要がある。ってこと。
制約の話にもどろう。
これらの制約を解くため、親として知っておきたいことは、世の中のいろいろなルール(悪いことも良いことも)を知り、うまくコントロールできる「やり方」というものが世の中には存在していること。
そして、ルールというパズルを上手に組み合わすことができれば、子供のチャレンジの幅が広がる。
これは、お金の作り方だったり、専門的なスキルだったり、コミュニケーション力だったり、人脈だったりといろいろなパズルがある。
今は娘に、「ダディのように立派になるんだぞ!」なんて僕からは言えないし、「ダディのようになったら大変だから、そうならないように頑張りなさい」と妻は言うだろう。いや、もう言っている。。
でも、
「もっと良くできる!」
「良くするためにはどうすればよいか?」
こんなことを考えている時間はとても楽しい。いろいろなパズルを今楽しんでいる感じか。おー、こんなバリエーションもあるのかー。みたいな感じ。
ただ、育児をしている中で、「モンテッソーリ」やら、「リトミック」やら、「非認知能力」やらといろいろ出てくるわ出てくるわ。
それらをどう処理していけばよいんじゃい!?って都度混乱。
これらの教育ツールは、
結局んところ、それらをやって我が子をどうしたいの?
という自分への問いに返ってくる。
「自立できる子に」というゴール設定もあるけども、
「で、それでどうなの?」とさらに自分へ問うと、納得感が薄い。
多分、ゴール設定はそこでは無さそう。
我が娘を、パーフェクトヒューマンにしてやることは絶対出来ないし(そんな人いないし)、
僕のDNAを持っている以上、パリコレのようなスーパーモデルにもしてやれないだろう。(娘よ、父を許せ)
そこじゃないんだ。
「なるようになる」
さじを投げてそういった教育方針にすると、きっとカエルの子はカエルとなる。(可能性が高くなる)
だから、ちゃんとした教育方針を打ち立てて、僕と娘で一緒に楽しく新しい道に進んでいけるような独自のモデルを作る必要がある。
そうだよね。
How to の取捨選択も育児に必要だけど、まずは基本理念とゴール設定をしていく必要がありそうだ。
「ダディ。なんで私は生まれてきたの?」
こんな哲学的な質問にもちゃんとした僕なりの「解」を贈ってあげたい。
「私は生まれたくて生まれてきたんじゃない!プンプン」
そんなこともきっと言われるだろうが、君は生まれたくて生まれてきているはずだ。それを自然と感じてもらえるように環境を整えておこう。
みんなそう。
僕だってそう。
母は、誰かから依頼されて僕を産んだわけじゃない(と思う)し、僕自身がリクエストしたわけでもない。
でも生まれてきたからにはちゃんとした理由があるし、死ぬまでに全うすべきミッションがきっとある。
僕には僕のミッションがある。はずだ。
子育て中、何も考えずに生きるというのは僕自身の人生を無駄にすることのようにも感じるし、娘とともに、僕ももっともっと成長したい。
娘の人生は娘の人生。
僕の人生は僕の人生。
だから、カエルの子はカエル。ではまずいんだ。