怪談14 死霊と子ダヌキ
死霊に生霊、呪いにモノノケ。
怪談と言っても、色んなものに因んだ話があります。
私には、死霊の顔は見えません。生霊は、頭の中で感じたものがホログラムのような色で見えます。やたら神経が立ったような夜に、瞼を閉じて変な人形の顔が浮かんでは消えてを繰り返すようなときは、呪いの類だと思っていて。モノノケは…今のところ肉眼で遭遇したことはありません。
ただ一度、夜中に目が覚めたと思ったら、白黒の写真のような老女の姿が浮かんできたことがありました。
うわ、死んだ人…と考えていると、段々と顔が見えて、目がジッと見つめて来ていました。
死霊は顔が見えないのに、と思ったのも束の間。それが拝み屋のようなことをしていた人で、よくない心のままに亡くなっており、死してなお力を持っていることを直ちに感じてゾッとしました。
その目を見続けていてはいけないような気がして、意識を離そうとするのですが、顔を直視していないはずなのに目が合うという、不思議な感覚に襲われました。
そのうち、ギロリと睨んだ目は白眼の部分が真っ黒に。グググと映像はそのままで、近づいてくる気配がします。
このままでは憑かれる!と思い、こういう時に唱えるようにしている南無妙法蓮華経を頭の中で浮かべるものの…ここで、いつもとは違ったことが起こりました。
南無妙法蓮華経を浮かべたところ、ぽこん!と小さな白い小坊主の後ろ姿が出てきます。南無妙法蓮華経!とまた浮かべると、小坊主もまたぽこん!と出てきました。
ぽこん!ぽこん!ぽこんぽこんぽこん!
それを繰り返しているうちに、沢山の小坊主の背中が目の前に広がって、向こう側が見えなくなっていったのです。
そのとき、半分夢現の頭に「あぁ、これは子狸たちだ…」と浮かんだのでした。
実は件のタヌキの記事を書いた後、色々と思うところがあって「行く場所がなければ、庭にならいていいよ」と想いの中で伝えていたのです。
帰るにも場所がない、あってもまた工事があるかもしれないならば、狭い庭だけれど居たらいい。ただし、悪さをしないでね。と。
目の前のまん丸の背中たちを見て、なんとなくだけれど、庭に来た子狸たちが守ろうとしてくれているのだなと思いました。
その後、小さな背中たちに守られながら、南無妙法蓮華経を唱え続けながら、やがて眠りに入り、朝を迎えることができたのでした。
見えない世界には、危ないものが居るのだと思います。半端に意識が合うようなとき・自身が迷っているときほど、そういうものを感じてしまうのだと思います。
けれど、見えない世界には不思議がたくさん。その中には、もしかしたら自分を守ろうとしてくれるもの・私が生きている方が良いものも、いるのかもしれません。
見えなくていい。知らなくていい。だけど、時々ほんの少し心が温かくなることもある。
見えてよかったことなど、あまりないけれど。それはそれで、豊かな人生でもあるのかなと。時々は、思えることもあるのでした。
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