赤い目をしたインコとの出会い②-ペットロス-
心のぬかるみから出る方法は、人によって違う。
私の場合、20代の頃は鉱物だった。今は生き物。
好きだからという理由だけで、好きなことをしているけれど、自分でも「何やってるんだろう」と思う瞬間はあります。
でも、ふとしたタイミングに、それまでは出会えなかったものに出会ったり・過去に手放したものに出会い直したりする。
そういうときに、やっててよかったなとは思います。
昨日、赤い目をしたインコをお迎えしたことを書きました。その子をお迎えしたときに、人から話していただいたことが心に残っています。
それは、その人と鳥さんとの思い出でした。
誰かにとっては理解できないことでも、別の誰かが、また生き物の話題を口に出せるようになるなら、自分が好きで何かをすることも悪いことではないんじゃないかなと感じました。
立て続けに、お別れした生き物の絵を依頼していただいたことがあります。
そのときは、まだ私自身が生き物への想いを思い出していく前でしたので、絵を描かせていただくことのありがたさしか感じていませんでした。
今は、思い出を大切にしたいという方たちの気持ちを、そちら側に立って考えることが出来ます。
ペットロス…といえば、生き物がいなくなって悲しいってことでしょ?というくらいの認識だと思います。
でも中には、もう二度と生き物に触れまいとする人もいます。そのまま精神や身体に症状が出たり。生活を立て直すのに時間がかかることもあります。
大げさな。と思われるかもしれませんが、人間に打ち明けられないことを打ち明けたり、ずっとそばにいてくれる分、育てていた生き物がいなくなるのって悲しいんですよ。家族や友達を亡くすのと同じなんじゃないかな。
わたし自身も経験があり、生き物の話ができない時がありました。自虐的になりましたし、もう一生、生き物を育てる資格はないと思っていましたね。
最近では、一番大好きだったベタの女の子が亡くなってしまい、やはりポッカリと穴が空いています。
でも、うまく言えないのですが、同じような経験をして、また生き物に触れている人・話ができるようになったという人を見ていたら、私も希望が持てるし
こういう流れになって、良かったのだなと。
すぐに次の生き物を迎える気にならないというのもわかるし、元々は野生にいた動物を、人間が育てるのはエゴだという言葉もあるけれど、それだけではないと感じていて
生き物と人にも、縁がある。
やっぱり、生き物が好きな人が、生き物に触れて幸せになっている姿を見たり、逆に、生き物が誰かの元で幸せになっている姿を見ると、それがその人たちの自然な姿なんだろうなと思うので。
生き物と暮らして、彼らのことを書きながら、絵を描きモノを作る人間を続けていきます。
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