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だけど願いはかなわない 終章


「普通、フった相手の元で働き続けられるもんかぁ?」 

コラムのネタ出しに煮詰まった鬼塚さんが、書斎の畳にごろんと仰向けに寝そべりながら、八つ当たり丸出しで口を尖らせて言った。

「それ、セクハラな上にパワハラですから。」

結局、鬼塚さんは『まとまった金』が必要無くなり、私もマネージャーを続ける事になった。いや、正確に言えば、『まとまった金』の額が、鬼塚さんが考えていたよりも桁違いに安かったのだ。

可能な限り負担してあげたいと思っていた、最初の奥様の息子さんの海外移植にかかる費用。それは、鬼塚さんが想像していた、よくマスコミが報道しているアメリカでの心臓移植にかかるような高額なものでは無かったのだ。息子さんが受けるのは、提供者が死亡していなくとも生体間移植が可能な腎臓、それもアジア圏内で受けるらしい。

元奥様から改めて提示された額は、国産の少し良い車を買える程度の金額だった。

けれど、もともと減らしていた脚本の仕事をキッパリと辞め、コラムに専念しながら小説を書く時間を作る事にしたため、私の方から減給を申し出た。まだ当分はあおいちゃんと一緒に住み続ける事になったし、どうやら私は自炊も出来るらしいので、収入が減る事に対する不安も無い。小説が軌道に乗るまでは私の仕事量は減るので、それが妥当ですと主張した。

鬼塚さんは、「どこまで俺をかっこ悪くさせるんだよ!」と怒り、お給料の問題は据え置きになった。

寝そべったままなかなか起きない鬼塚さんに、優しい口調で語りかけた。

「四個目のバツは、他の人と作って下さい。私とは、もっと楽しい世界を見に行きましょう。鬼塚さんならできますよ。」

「お、なんだそれ、ちょっとエロいな。」

「それ、セクハラですから。」

「どうせ、目指せ芥川賞!とか直木賞!とか言うんだろ?無理無理!小説を書いた事が無い素人は恐ろしいぜ。」

仰向けのまま拗ねた子どもの様に足をばたつかせる鬼塚さんを見下ろしながら、私は嘘偽りの無い笑顔で言った。

「私は、鬼塚さんは川端康成や大江健三郎に並ぶ人だと信じています。」

「お前っ…!それ…。」

鬼塚さんは思わず上半身を起こしながら言い淀み、それから顔中にシワを寄せてどこか嬉しそうに「馬ッ鹿じゃ無ぇの!?」と、豪快に笑う。

その笑い声は非常に耳心地が良く、私もつられて声を出して笑った。


・・・・・


病院の待合室で、ローカルニュース番組が連続不審火事件の捜査に進展があったと『橋本真央容疑者』について報じていると、あおいちゃんの番号が呼ばれた。

あおいちゃんが癌である事は、あおいちゃんのおばさんから私の母親を通して、あれからすぐに私にバレた。私も付き添って診察室に入ると、まだ若い医師が柔らかい口調で説明してくれた。

「精巣癌は、『治る癌』という医者もいるくらいで、死亡に至るケースは少ないです。まず、癌が精巣だけにとどまっている場合、適切な治療を受けることで殆どの患者さんが完治します。転移している場合でも、その多くが抗癌剤治療で治ります。」

あおいちゃんが、暗い顔で反論する。

「でも先生、祖父が同じ癌で亡くなっているんです。」

「おそらく、中田さんのおじいさんは他の臓器に転移していて、その上で放置されていたのではないでしょうか?癌治療は日進月歩です、おじいさんの時代とは比べ物にならないほど医療技術は発達していますし、あまり心配されないで下さい。」

いつも気丈なあおいちゃんの拳が、膝の上で震えている。

私はその拳にそっと手を添え、言った。

「大丈夫。私が支えるから。あおいちゃんが、ずっとそうしてくれたのと同じ様に。」

病院の帰り道、私はあの日あおいちゃんにしたお願いをもう一度口にした。

あおいちゃんは、笑って取り合ってくれない。

「あのな、俺は、お前には幸せになって欲しいんだよ。普通に好きな人を作って、結婚して、幸せな家庭を築いて欲しい。」

「幸せの形なんて、人それぞれでしょう?同性愛者のあおいちゃんがそれを言うの?私の幸せは私が決めるの!」

そうして私は、あおいちゃんの手を取って、幼い頃のように手を繋いで歩き出した。

「イエスって言ってくれるまで、何度でも言うからいいもん。あおいちゃん、ずっとずっと、私と一緒に暮らそう。仲良しのおじいちゃんとおばあちゃんになろう。」

苦笑するあおいちゃんに、私はニヤリと笑って切り札を出す。

「あのね、気付いてないかもしれないけど、私達って、その気になれば医療の力を借りるなりして、子どもだって作れちゃうんだよ。あおいちゃん、子ども、好きでしょ。」

あおいちゃんの三白眼が一瞬輝き、そしてそれを必死に取り繕ったのを、私は見逃さなかった。

「だから、治療、頑張ろうね!」

私はつないだ手をブンブン振り回し、小さな子どもの様にはしゃいだ。


・・・・・


私達は、日々、小さな嘘をつきながら日常をやり過ごし、それぞれの願いを抱きながら生きている。

もしかしたらその願いは、叶わないのかもしれない。

それでも、何かを願う気持ちそのものが、その人の人生に幸せをもたらしてくれる事もある。だから、私達は願う気持ちを止められないのだ。

そう。願いは叶わない、かもしれない。


だけど ーーーーー 。









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