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宗教って…ねえ

「あいつんとこ〇〇教だけどいいの?」

旦那の友人がこっそり私に耳打ちをした。

結婚前の事で

それがどうした?って感じだったが

以前旦那が付き合っていた恋人は

その事が原因で結婚を断ったらしい。


そんな事を全く考えないで

付き合い始めて半年後

妊娠しちゃったからさー大変!


旦那に打ち明けたら

舌打ち混じりで

「信仰している宗教が

おろす事を許さないからなぁ…参ったなあ‥‥」

と呟いたのを今でもしぶとく覚えている。


喜んでもらえると思ったのにな……。


娘たちの前では

口が裂けても言えないエピソード。


これが宗教という言葉に傷ついた

最初の出来事だった。



宗教が人生の全てを狂わせるほど

怖い存在だとは思わないが、

おかしいことをおかしい!と言えない環境は

今考えるとやっぱり変!


最初に嫌なことは嫌と

しっかり意思表示していたら

違った人生だったのかもしれない。


結婚すれば私が信仰する事を

当たり前のように思っている人々の

お供え、お供えと

お金の話ばかりのお説教。

そして最後には、

「神様が欲しいのはお金ではない!

全てをお供えするその心が欲しいんだ」

と言っていた。


本当におかしな話だ。


旦那はお金がないときは

借金してでもお供えしていて

その行いを尊いことだって信徒のみんなが絶賛してたが

流石に子供が生まれて独身の頃のように

お供えできなくなると

すぐさま会長の奥様に呼ばれて

「旦那さんのお供えで子供達4人が学校にいけてるんよ!

ないと困る!」と本心がポロリ!って時もあった。


貴重な休みも朝からおつとめ。

月に3回。

最後には4〜5回に増えて

その度に1円でもいいのでと

お供えとは別にお供え袋を渡されたりもした。

悪い事が起こると

その心使いが悪いからこうなったと

いろんな人の悪口を言って

人を褒めることもせずお説教三昧。


その宗教の始まりは、

今から100年以上前

純粋なお助けから始まった。

教祖と言われる人が亡くなったのちに

その教えを儲けの材料にするべく

現在のシステムを作り

変な神話もどきが出来上がった。


それを作った人こそ

1番の悪だと思うのだが

信じきってる人の前で言うすべなし!


その事を強く訴え

本部に逆らってまでも

純粋に教祖の考えを実行し信仰する教会も

あるにはあるが……

宗教名を使うこともできず

本部から孤立している。


おかしい話。

おかしくても誰にも言えなくて


結婚から教会を離れた25年間ほどの

半分を無駄に過ごしたような気がする。


この時間をもっと自分のために使えたら

今の自分はもっと変わっていただろう。


義母が体調を崩し

分厚い封筒をお供えして

母は神様に最後のお願いをした。

母が言うその時の会長の

ありがたい言葉とは

「旅行に行ったり外食したり…車を買ってドライブしたり、

自分の欲を満たすために

神様への気持ちをおろそかにした

その身勝手さがこの病気の原因だ」

と手紙にまで書いて言い切ったんだ。


その言葉に母は涙しながらか感謝し

枕元に置いて大切にしていた。


そしてずっしり重いお供えの袋。


母が亡くなった後、

その手紙を探しに会長は病院に来たが

必死に探すも行方不明。


多分母宛の手紙だし

大切にしてたものだから

棺にでも入れようと読まずに

妹が持って帰ったのだろう。

その事を知ってるのは

最後まで母のそばにいた私と妹だけ。


必死で探したのは

みんなに読まれるとマズイと思うような事が

きっと書かれてたんだろう。



私がイヤイヤ入信したのは

亡くなった母が喜ぶからで、

母がいなくなったら

なんの意味もなくなった。


私の実家は浄土真宗だ。

母方の実家は真宗。

これも立派な宗教だ。


「どんな宗教でも存続するためにはお供えがいる。

仏教も多額のお供えを無心するじゃないかー!」

が旦那の意見だが……


違いはここに書いての通り


●人の批判を信仰の材料にする。

●お供えを強要する。

●月に何度もおつとめをして

丸一日踊ったり歌ったり

意味のわからない事をやらされる。

●お助けと称して飛び込みで家を回ったり

祝詞をあげながら鳴り物を持って

ドンチャン音を立てながら街を練り歩く。

●入信するまで何十時間も神様の話を

聞きに行かないといけない。

●3ヶ月の修行がある。

……で持って全部の教会がそうではないだろうが

私の通ってた教会は

人の悪口や呪いのような言葉と

人の不幸を喜ぶ会話で

淀んだ空気の吹き溜まりのような場所だった。


どんよりしながら

小さな娘を連れて教会へ行き、

どんなに晴れてて気持ちいい休日も

朝から夜遅くまで暗い教会の中。


足が痛いと言うと

教会に足を運ぶことに

不満があるからそうなったと言い。


娘が風邪をひいたら

夫婦間のイザコザが摩擦を起こして

娘が病気になったと説教が始まる。



生活に不釣り合いな額のお金と

前向きな明るい気持ちまで

お供えして


若かりし双子の母は、

バカだの悪など言われながら

必死で20年以上頑張って通ったのでありました。



神様を信じてないわけではない。

要は信仰のあり方だ!


間違ってる事を間違ってると

その頃の自分に言ってやりたい!



お母さん!ごめんね!







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