ルールを疑う
未成年のスポーツ選手が、飲酒、喫煙したことで、代表を外されたことに対して、ルールがおかしいという人がいたり、ルールを守らなかったのだから仕方がない、という人がいます。
私は、ルールを絶対視するのはどうかと思う立場です。
誰でも、北朝鮮のルールで裁かれたくないし、裁かれる人に同情するでしょう。
極端な例ですが。
仮に、日本で、交通事故で人を殺してしまった人は死刑なんてルールがあったら、それは、ルールがおかしいんじゃないって思う人が多いでしょう。
中には、民主主義の手続きを経て、法律でそう定められたのなら、それは仕方がないことだという、民主国家のルールは絶対だという人もいるでしょう。
その見解もわかるのですが、私は、ルールを絶対視しない立場です。
車社会では、間違えて人を殺してしまうことがあるかもしれないけれど、それは死刑までの重い罰を与える必要はないと思います。車に乗れなくなってしまいますから。
で、ちなみに、未成年の選手が飲酒喫煙した場合に、代表から外すのは、別に法律で決められたものではありません。
組織のルールでしょうけれど、それほど、絶対視すべきとまでは言えないでしょう。
例えば、法律に反したルールを定めた組織が、組織のルールに基づいて制裁を課した場合に、それが法律に反するという理由で、制裁が取り消されることもあります。
そのスポーツ選手も、制裁が過剰だと裁判で争うことができるかもしれませんが、
そんなことしていては、時間がかかって、結局、間に合わないでしょうし、
裁判なんてしたら週刊誌やテレビに狙われて、日本中の心無い人たちから今まで以上に罵詈雑言を浴びせられ、とても耐えられないでしょう。
事実上、詰んでいます。
法律だって、憲法に反していたら、無効になります。
ルールだから、というのは置いておいて、本当に、未成年が、飲酒、喫煙したら、代表を取り消すべきなのか、ということを考えてみるべきだと思います。
つまり、もう少し軽い制裁ではダメなのか。
例えば、犯罪を犯した場合には、刑罰が与えられます。
その最大の理由は、抑止力です。
制裁を与えられるとわかっていれば、その人に限らず、犯罪を犯すのをやめておこう、という気持ちになりやすいです。
社会から犯罪を減らすために刑罰を課します。
社会のために、個人に対する人権侵害が正当化されます。
ちなみに、犯罪者を全て死刑にすれば、抑止力は最大になります。
フィリピンのドゥテルテさんは、麻薬犯をバンバン死刑にして、麻薬犯罪が一気に減ったそうです。
けれど、日本では同じことは認められません。
刑罰は人権侵害なので、必要最小限度でしかしてはいけないことになっています。
間違えて交通事故で人を殺してしまっても、間違えて交通事故で人を殺してしまいかねない人が、十分に注意をして運転をしようと思う程度の刑罰で十分だということです。
では、未成年のスポーツ選手に対して、代表を外すことをしなければ、喫煙、飲酒を止められないでしょうか。
そんなことはないでしょう。
多分、メディアにバンバン流されただけで、本人はもう二度と飲酒、喫煙をしないと心に誓ったはずですし、その他の未成年スポーツ選手も、絶対にしないようにしようと思ったはずです。
であれば、特別な制裁は必要なかった時思います。
もしかしたら、記者会見を開いて謝罪をさせるぐらいのことはしてもいいかもしれないけれど。
とか、今後、同じように未成年で、飲酒、喫煙が横行するなどの事態が生じたら、その時に重い制裁を検討すれば十分だと思います。
人は権力を持つと、それを使って人に制裁を与えたくなるものです。
しかし、よくよく考えて、制裁は必要最小限に定めるべきだと思います。