見出し画像

来るべき臨床のための思索ノート



※これは〈自分の臨床の解像度を上げるため〉に言語化し文章に落とし込む実験であり、最近得られた反省を元にした自戒で、自分に向けて語りかけています。



臨床とは何か、について考えていきたいと思う。

ずばり、臨床はパフォーマンスであり、総合芸術なのだと思う。

人間は「体験」という商品にお金を払っている。


コンサートが開催される。

どこでやるのか場所が決定され、演出家が空間を演出する。歌手や演奏者はコンセプトに沿った衣装を見に纏いパフォーマンスを行う。

その空間に身を置き、目で姿を見て耳で音を聴く「体験」をするために、チケット代10000円などの対価を払う。

ダンスや演劇もそう。


ディズニーランドに行く。

ウォルト・ディズニーの意思を引き継ぎ、完璧に世界観が演出されている。一歩足を踏み入れただけで、「非日常感」を味わえる。

キャラクターは園内を練り歩き、時に写真撮影に応じる。

キャストは、「ディズニー節」で乗り物の説明をしたり、元気いっぱいニコニコ笑顔で道案内をする。

それらも全てパフォーマンスである。
ディズニーランドに行くという「体験」をするために、チケット代9600円を払う。


人間の消費パターンは「体験を得る」「物を得る」「時間を得る」「知識を得る」など様々な種類がある。(と言ってもこの四つが大半を占める。)


この中で、臨床が当てはまるのは「体験を得る」ことであるのだと思う。


臨床は、「治療」または「癒し」というジャンルのエンターテイメントだ。


治療家は、完璧に練られたパフォーマンスを患者さんに提供するアーティストだとも言える。


自分なりの話し方、ことば、声の高低、ボリューム、話の間、スピード、表情、視線、手足の動き、身体全体の移動の時間、そして自身の容姿。髪型、服装、化粧、持ち物等々。

全てがパフィーマンスのうちである。

演目は自由だ。気を操るのでもいいし、鍼を顔にたくさん刺して視覚にも訴えかけるのでもいいし、究極に気持ちいい指圧をやってもいい。それらの組み合わせ方と流れをオリジナルで作っていく。


治療家は、役者、脚本家、演出家を1人でこなす必要がある。ひとり治療院ではないなら、受付や助手は脇役だ。脇役の演技が下手だとどんなに主演が素晴らしい演技をしようが、そちらに気が散ってしまい、本来期待できるはずの評価を得られない。

表参道のカリスマ美容師は、「表参道のカリスマ美容師に髪の毛を切ってもらう」と言う体験を売っている。しっかり自己分析し、自分の強みを知ってブランディングできている人が勝ち残っている。

それと同じことだ。


商品を売るのではない。

価値を提供して、その価値に見合った金額を頂く。


私たちの診療はあくまで自由診療である以上、来る患者さんは、自分を尊重してほしい、という自尊欲求が高い。

その自尊欲求を最大限に満たし、幸せな気落ちにさせて、

「来て良かった〜また来よう。」と思わせたらそのパフォーマンスは成功。
「普通だった。今度は違うところも試してみよう」と思われたら失敗。
「最悪だった。もう二度と来ない」と思われたら大失敗。

どれだけ知識があろうが、話し方が偉そうだったり、患者の話を遮ったり、少しでも気に触ることを言う治療家は絶対に成功しない。

「自分は患者の前でそんなことをやるわけがない」と誰もが思う。

しかし、案外これがめちゃくちゃ難しい。

日本には元来「以心伝心」の文化があり、日本人は相手の非言語要素から本音を読み取ることができる特殊能力を身につけている民族である。つまり、思ってもないことや嘘は「バレる」。  
 
それに、自分を小馬鹿にするような言動に過度に敏感でもあるので、ほんの少し鼻息が「フッ」と漏れるだけで鼻で笑われたように感じて、無意識にその人を遠ざけてしまう。

仮に60分のコースだったとしよう。扉を開けてお出迎えする瞬間から見送る瞬間まで、全てにおいて演出家としての「正解」がある。

患者はすでに他の治療院で施術を受け、患者自身の中での「正解」を知っている。
待ち時間が長過ぎたりお茶が出てこなかったりホスピタリティーに欠けるようなことがあれば目ざとく見つける。


このサービスは減点方式だ。

だけど、どんな完璧な脚本を用意して、最適な切り返しをできるようになったところで、イレギュラーは必ず訪れる。これはもう、人間を相手にしている以上はどうしようもない。

そのために一番重要なステップはラポール形成→ファン化だ。

最初から絶大的な信頼関係を構築しておけば、多少の失言も「先生の言うことなら、確かにそうなのかもしれない」とか、相手の解釈が変わる。他者に患者を取られる心配もない。

特に富裕層をメインターゲットにする場合、相手は格下の人間が大勢いる状況なので、へこへこ格下で居続けると舐められる、飽きられる、代打がきく。

特に時間のない彼らのほとんどが、全ての物事において、新しいものを探すより、一度気に入れば一生それを愛用し続ける傾向にある。

謙虚でいることは大事だが、自分自身が対等に面白い人間で居続けることが一番大事であり、そこで信頼を得られれば、他に変えの効かない唯一無二の存在になることができ、決して切れることのない強固な固定客になる。

だから、学生のうちにやるべきなのは生理学の細胞の名前を丸暗記することじゃなくて、パフォーマンスの訓練をすることだ。

この練習は対人相手でしかできない。数をこなせばやり方もわかる。

とにかく現場に立つこと、人の何倍ものインプットをして、それをどんどんアウトプットできる環境に居続けたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?